第21話 花嫁の状況【後編 身代わり】
お登勢の献身のお蔭で快方に向かう煕子であったが、そんな彼女を
初めて煕子が自分の外見の変化に気づいた時である。煕子は鏡に映った顔が自分の顔であると信じられなかった。嫌、信じたくなかった。
鏡をみながら痘痕を触る。手のひらにザラッでもなく、サラッでもない感触。今迄無かった何とも言い表せない違和感。それは、正に違和感でしかなかった。救いを求める様に、右頬を同じ指で触る。右頬は滑る様な肌触り、その後、嘘であって欲しいと又、左頬の痘痕を触る。
痘痕の部分がもりあがっており、突起している場所が滑り止めのように、指先にあたり、指を滑らせない。同じ行為を何度か繰り返した煕子は、やがて指を左頬の痘痕におき、物思いをする様子で鏡をみつめる。その状況は長く、そのまま動かなくなってしまうのではないかと、お登勢がそんな思いに駆られた時、突然、煕子は指に力をいれ、爪をたて、痘痕を
慌てて、お登勢が止める。最初は、
出会ってから、自分の前で一度も泣いた事の無いお登勢が自分を泣きながら止めている。
ただ、煕子にはお登勢が何故泣いているのか、分からなかった。いや分かりたくなかった。分ってしまえば、怒りに身を任せられなくなる。それほど、彼女はこの世に絶望していたのである。
いくら力を入れても、身動きできない、その善意の束縛に煕子は呻いた。言葉にならない、どうしようもない怒りが、叫びとなって出てきたのである。自分の中の強い怒りが呻きとなって発散された後、その後に押し寄せる深い悲しみ、やり直しのきかない現実に、耐えきれず彼女は
娘のただならぬ慟哭に煕子の両親、妻木広忠とその
二人は、煕子の左頬から出血している事、お登勢が煕子を押さえつける様子をみて、状況を把握する。
予期し、二人が心配していた通りになってしまっていた。
父広忠は、お登勢と煕子の間に入り、煕子をおさえる役目を代わる。
『煕子、おちつけ、おちつくのじゃ。』と娘を抱きしめる。抱きしめられた煕子は、両手が不自由になり、また父の大きい顔、身体が邪魔をして自分の顔に手が届かない。
『離して!。離してよ。』と大きい声で叫ぶ煕子。
『離さぬぞ、離さぬぞ、お主がバカな事を止めない限り、絶対に離さない。』と、自分と煕子に伝える様に広忠は繰り返す。
『こんな顔になったら、生きていても意味がないわ。十兵衛様にも、もう会えないわ。死んだ方がマシだったのよ。』と煕子が吐き捨てるように大声で叫んだ時、もう一つの人影が素早く煕子に近づいた。
近づいたと思うと片手で、バシッと煕子の頭を叩いた。煕子の母、智である。
『お前が死んだら、この母も、父も一緒に死ぬわよ。』
『お前がそんな事を言ったら、命がけで、お前の疱瘡を看病してくれたお登勢がどう思うと、思っているのよ、そんな事もわからないの、貴方はね、生き残れただけでも運が良かったのよ。・・良かったのよ。』と、母もそう言うと、二人を抱きしめ、泣き出した。
部屋にいる4人が総て、心のままに泣いた夜となったのである。
その日、煕子は自分の命は自分だけの命ではない事を学んだ。しかし、その代償は高く、10代の煕子にとってはできれば学びたくなかった事であった。
3人の願いが届いたのか、その次の日の朝の煕子は平静を取り戻していた、が、それから1週間は自分の部屋に引き籠ってしまったのであった。
煕子の様子は、食事を届けに行くお登勢の呼びかけには答えるも、一日の大半を窓の外を虚ろな目で見つめる。そんな日が続いた。
1週間後の夜、煕子が何かを決断した顔で両親の寝室を訪れる。
両親を目の前に、煕子は悲しい顔で妹範子を入れて話がしたいと告げたのであった。
煕子の母知が、急いで範子を呼びに行く。呼ばれた範子と知が部屋に戻る。
範子は、煕子が病になった後、初めて姉と対面したので、煕子の痘痕とその悲しい目を見てショックを受け言葉を失い、挨拶も出来なかった。
そんな彼女の心を知ってか知らずか煕子は、範子とは視線を合わせようとせず、二人が座ると一つの決意を3人に話し始めたのである。
それが、十兵衛と範子を自分の身代わりとして明智家へ嫁がせるという事であった。
3人が煕子の提案を了承した理由はただ一つ、悲痛に悲しむ煕子の顔をそれ以上見たくなかった。
それだけであった。
顔に痘痕ができた煕子が、明智家に嫁ぎ、最悪の場合、痘痕を理由に祝言を断られる事もある、また仮に予定どおり祝言を行ったとしても好奇な目で見られるのは明白である。
既にボロボロに傷ついている彼女を、更に傷つける、そんな事出来る訳が無かったのである。
妹、範子は姉煕子を守る為、又名誉のために、姉の身代わりとして生きる事を決意したのであったが、彼女も大きな葛藤があっただろうと想像できる。
それから1カ月、家族の幸せと自分の幸せ、多くの葛藤の中、妻木家の姉妹は最後の時間を共にする。
十兵衛との祝言の日、旅立つ範子の乗っている籠を煕子は見送る事が出来なかった。
彼女の本音は、どんな姿になっても十兵衛と祝言を挙げたかった。しかし、それが十兵衛の為になる自信が無かったのである。好きな人に嫌われるのが怖かった。その怖さに負けたのである。
他の者達は、誰一人思ってもいなかったが、彼女自身がそう思っていた。そんな自分に十兵衛と結婚できる資格は無いと、自分を自分で
正に彼女は太陽の光の届かない、抜け出せる糸口もない、深い深い穴のどん底にいる状況であったのである。
しかし、その日夕日が沈む頃、誰もが予想していなかった事が起こった。
太陽がでる方角から一人、太陽の様な熱い気持ちを持った
明智十兵衛光秀が、煕子と妻木家の人々を救いにやって来たのであった。
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