第20話 花嫁の状況【前編 侍女の献身】

煕子が明智城から妻木城へ戻ってから、1週間が過ぎた頃であった。

その日は天気が良い日で、煕子は久しぶりに帰った妻木城の城下町を見に出かけたのである。


煕子の目的は、十兵衛からもらった様な押し花を自分自身で作ってみたく、その材料を買う為だった。

十兵衛と再会した時に、今度は自分が作った押し花を十兵衛に贈りたいと彼女は思っていたのである。


自分からの押し花を、十兵衛は喜んでくれるだろうか、その時彼は、どんな表情を見せてくれるのだろうか、そんな事を考えるだけで、煕子の気持ちは高鳴り、幸せな気分になっていたのであった。


町の花屋を数軒見て回った結果、彼女が選んだ花は、紫の藤の花であった。

藤の花は、日本古来から愛された鑑賞用の花である。名前の由来は諸説あるが、風がくたびに花がる、フク・チル・の音が重ならせ、最初は、フチと呼ばれ、時が経つにつれチの音を濁らせ、フジとなったという。

つる系植物である藤の花は、藤棚にかざるとそれは、同じくつる系の果物の葡萄にも似ているし、見方を変えれば、紫の桜の様にも見える。その美しさは何処か儚く幻想的なものである。

その美しさは、時代が変わった今も変わらず愛されている。


花屋で、藤の花を購入した煕子に、その店の女主人は藤の花の言葉の意味を教えてくれた。

花言葉は、二つ。『恋に酔う。』『決して離れない。』であると聞き、煕子は照れながらも、自分が藤の花を選んだ事は、十兵衛が自分の運命の人である事を伝えてくれているようで、嬉しかった。


花屋で買い物を終え、妻木城へ帰る途中、煕子は道端で苦しそうに休んでいる女性と出会う。

その者は、煕子に水が欲しいと話しかける。煕子は、水は持っていなかったが、町で買った桃があったので其れを彼女に手渡したのであった。女は、感謝の言葉を煕子に伝え、煕子の桃を受け取った。


煕子の親切な気持ちで行ったその行為が、病魔を彼女自身にもたらす原因であったと、その時の彼女は想像もできなかったであろう。


煕子の身体に異変が起きたのは、それから10日ほど経ってからであった。

高熱と、全身の痛みに突然襲われ、布団の上から立てなくなったのである。


周囲の者達が、煕子の異変に気づいたのがそれから二日後の夜であった。

煕子の熱が下がり小康状態になった為、一人の侍女が煕子の着衣を着替えさせようとした時、彼女の顔に赤い発疹が出ている事に気づいたのである。


その侍女は、驚きのあまりその場から逃げてしまった。疱瘡の恐ろしさを知る彼女は、動揺しながらも侍女の先輩のお登勢にその事を伝えた。報告を受けたお登勢は、その侍女には城内に混乱が起こる危険性を説明し、煕子の状況を口止めする事を誓わせ、その日は仕事をあがり、自分の部屋で待機するように伝えたのである。


お登勢の判断と、その後の仕事は無駄がなく的確あった。

彼女は、直ぐに煕子の状況を城主妻木広忠に伝え、今後の煕子の看病は自分一人で行う旨を伝えた。

命の危険が伴う、煕子の看病を自分から買ってでてくれた事に広忠は城主としてではなく、煕子の父として感謝し、そして詫びたのであった。


しかし、感謝を伝えたられたお登勢はというと、広忠へ苦言を呈する。

『殿様、感謝の御言葉も、謝られるのも、未だ早うございます。姫様がご快復された時迄、そのお言葉取って置いて下さいませ。私の命等、大したものではございませぬ。あの可愛い煕子様に捧げると思えば、本望でございますので・・・。』と、言いその場で平伏する。


その言葉を聞き、広忠は感極まり、『グッ』と呻くような声を出す。思わず目を抑えてしまう。こらえていなければ、直ぐに涙があふれるくらい、広忠の目は充血していた。


『それでは、姫様の看病がありますので、これで失礼致します。』とお登勢は毅然と言い、煕子の元へ戻った。

彼女のその毅然な態度は、諦めてはいけない、勝負はこれからだと、広忠に無言で伝えているようであった。

彼女の素早い決断がなければ、煕子は命をこの世に繋ぎとめる事はできなかったであろう。


その後、お登勢は2週間つきっきりで煕子の看病をし、煕子は九死に一生を得る。


煕子が峠を越えたと判断した日、お登勢は広忠へ報告するため広忠の部屋へ再び訪れた。

峠はすぎ、これからは時間と共に回復し、そのうち普通の生活に戻れる事を聞いた広忠は歓喜した。

しかし、歓喜する広忠へ、お登勢が伝えたのが、煕子の左目の下の左頬に大きく残ってしまった痘痕あばたの事だった。


広忠は、直ぐにお登勢と共に煕子の部屋に様子を見に行った。疲れて寝ている煕子の左頬をみると、横長に薄い赤色の痘痕が残って左頬を一部分を横一線に覆い隠していた。左頬総てを覆い隠してはいないが、正常な部分の肌との差が激しく、目立ってしまう痘痕であった。


煕子の左頬の状況を確認すると、『よい、よい、生きていてくれただけで、十分じゃ・・。』と広忠は小さく呟き、寝ている愛娘の頭を軽く撫でたのであった。

死の淵から、生還した娘を褒めるように、優しく撫でたのである。


そして、煕子を起こさないように静かに襖を閉め、二人は広忠の部屋に戻ったのである。

娘を救ってくれた恩人に、父親は改めて感謝したのは言うまでも無い。

その時、広忠は涙を流したという。その涙には、嬉しさと、悔しさ総てが入っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る