第17話 侍女の伝えたかった事

十兵衛は、自分の部屋に戻った。

平静は保っていたが、煕子が自分を監視していた事。又、出会って間もない自分を、直ぐに従兄妹である彦太郎では無いと見破られていた事に驚いていた。


(煕子殿は、あの侍女に自分の事を言うのだろうか?・・・。)

(いやもし、あの侍女に言うつもりであれば、最初から二人で会わないだろう。)

それは、楽観的な考えなのかもしれない、しかし、十兵衛の脳裏には煕子が侍女へ打ち明けている場面が想像できない。全くの勘であるのだが、その勘が当たっている自信があった。


何故なら、煕子が十兵衛を観察している期間、十兵衛もまた日々煕子を観察していたのである。

(あの女子は、私を陥れる為に、打ち明けているのではない、自分の本当の従兄の無事が心配なのだろう・・・。)


(仕方がない、当初の予定より、早いがこのまま姿を消すか。)

(明智一族が、美濃の内乱によって滅びないように、もうしばらく近くで見守りたいと思っていたが、そろそろ限界らしい。斎藤利政というあの傑物の野心が心配だが・・。)


部屋の天井を見上げ、様々な事に思いをはせる十兵衛。

暫くすると、気持ちを切り替える様な溜息をしたと思うと、部屋の中の荷物を整理し始めた。


整理を始め、半刻(1時間)が経った頃、襖越しに女性の声で呼びかけられる。

『十兵衛様、妻木煕子様の侍女、お登勢でございます。』

『お約束どおり、お話させて頂きたく、参りました。入ってもよろしいでしょうか?。』


『・・・・。少し、其処でお待ちください。』と、十兵衛は整理の手を止め、自分のしていた事が分からない様に、中途半端に整理した物を目の届かない位置まで隠す。お登勢に座らせる場所に座布団を置く。

そして、いつも自分が座っている窓際の本立ての前に腰をおろす。


『侍女殿、お待たせした。どうぞお入り下さい。』

十兵衛が、お登勢に入出の許可を出すと、お登勢は丁寧に襖を開け、部屋に入って来た。

部屋に入って来たお登勢は、十兵衛と視線が合う前に、直ぐに畳に座りその場で深々と頭を下げる。

『先程は、取り乱してしまい、大変失礼を御無礼を致しました。もう訳ございませぬ。』


『まあ、良い、侍女殿も、状況を誤解したのであろう、私はあの事を咎めるつもりはない。侍女殿、そんな入り口にいても、声が届かないので、其処に座布団を用意してある、其処にお座り下され。』

と十兵衛は静かに答え、お登勢に近くまで来ることを許した。


お登勢は、十兵衛の申し入れを了承の意を示す様に、下げていた頭を少し上に上げ、又深く頭を下げた。

そして、座布団の位置まで来ると、座布団には座らず、そのすぐ横に腰を下ろし、又その場で両手をつき頭を下げる。


『侍女殿、頭を下げられたままだと話が出来ぬ、頭を上げられよ。』

十兵衛から、許可を与えられたお登勢は、ゆっくりと頭を上げると、初めて十兵衛の顔を見上げる。


『煕子殿は、落ち着かれたかな。』

『はい、今は落ち着かれましたが、お疲れが出てたみたいなので、今は横になってもらっております。』


『そうか、それが良い。』と、十兵衛は言うと、暫し二人の間に沈黙の間が生じる。


『それで侍女殿、煕子殿は、お主にあの状況を何と説明したか、いや其方になんと言っていたか?』

『私も、正直、煕子殿があそこ迄感情的になるとは、思っておらなんだ。普通に碁を打っていて突然あの涙じゃ。私が困っていると、其方が参った。』


『煕子様は、私には何も言っておりません。私にも、貴方様にも。』

『あの方は、世話のかかる・・・、そういう御方です。だから、私が此処に来たのです・・・。』

と言うとお登勢は一息ゆっくりと呼吸を吐いた。


『私にも・・・、どういう事じゃ。』と予想外の侍女の言葉に、十兵衛は低いながらも好奇のひびきがある声をあげた。


十兵衛の声を聞いたお登勢は、ゆっくりと語り始める。その目は閉じており、彼女の眉間にはうっすらと皺が寄る。まるで、予想通り十兵衛が何も気づいていないという事を呆れているような、そんな表情であった。


『十兵衛様、1週間ぐらい前に煕子様が何日か体調を崩されましたが、あれは風邪ではございません。』

『原因は、貴方様が持って来た胡麻だんごです。』


『何ですと。』と、十兵衛は驚きの声をあげる。


十兵衛の驚いた様子も、お登勢の想定内であったらしく、彼女は淡々と語り続ける。

『姫様は、生まれつき胡麻を食べると、体調を壊されます。症状は何時も違いますが・・・。』

『量が少なくても、体中に赤いボツボツが出て、痒みが強いと聞いております。』

『間違って多く食べた時には、激しい嘔吐や、酷い下痢に襲われるのです。姫様のそのお身体の特徴を妻木家の者達の中で知らぬ者はおりませぬ。なので、妻木家で姫様に胡麻を食べさせる者はおりませぬ。』


『あの日、貴方様が部屋に帰られた後、私が部屋に戻ると姫様は一人では立ち上がれない状況になっておりました。』

『しつこく理由を聞く私に、介抱する私に、申し訳ないと思ったのか、姫様も最後は観念し御二人で胡麻ダンゴを食べた事を白状致しました。』


『何と命しらずな馬鹿な事をするものだと、私もひどく叱りつけました。』

『姫様自身も、自分が胡麻を食べれない体質であると分かっている筈なのに、と私が責めると、せっかく十兵衛様が用意してくれたものだからと・・。』


『心が未だ幼く、本当に馬鹿な御人です。そんな事をしても、誰も得をしないのに。』


『まったくその通りじゃ。・・・。』


『しかし、自分以上に人の気持ちを考えられる優しい御人である事は間違いありません。』


『・・・・。』、続けるお登勢の言葉を黙って聞く十兵衛。


『私からお伝えしたい事は以上です。』とお登勢は言い、畳に両手をついて深々と頭を下げる。


固まったまま、物思いに耽る十兵衛。


沈黙が暫く続く気配が出始めた頃、『それでは、私は姫様のお世話がありますので。これで失礼致します。』と言い、その場から立ち上がり、入り口の襖へ移動するお登勢。


『侍女殿、私はこれからどうすれば良いと思う。』と、部屋から出て行こうとするお登勢の背中越し尋ねる十兵衛であったが、お登勢はそんな十兵衛を突き放すように『御心のままに。』と小さき言葉を残して退室していったのである。


独り残された部屋の中で、暫く兵衛は胡麻ダンゴを持っていた日の、煕子の笑顔や様子を思い出す。


暫くして、十兵衛は呟く様に言葉をこぼす。

『・・・本当に馬鹿な女子おなごじゃ。』

煕子の人柄に惹かれていく自分を自覚しながら、十兵衛はこれから自分がしなければいけない事を考えていた。


別々の場所で人生という道を歩んできた二人が、その二人の道が交差する地点がある。

この日が、その日であったという事を二人が気づくのはもう少し後になる。


煕子の明智家での料理修業の終わりが見え始めた日であった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る