第15話 碁盤を通した交流

御付きの者に碁盤を持たせ十兵衛が煕子の部屋を訪れたのが、日が暮れかかった夕方であった。

昨日の煕子に対する行動の後ろめたさが、訪問時間を遅くさせたのである。


十兵衛が煕子の部屋に着いた時、煕子は部屋におらず、侍女お登勢のみがいたのである。

『侍女の方、叔父上から煕子殿が、碁盤を所望しておると聞いて、持って来た。』

『何処に置けば良いかな?』


『これは、御叮嚀に。有難うございます。では、此方へ』と、煕子の侍女お登勢は部屋の奥の窓の下を指さす。


お登勢の指示に合わせて、御付きの者達が碁盤と、碁石の入った袋を持って部屋に入っていく。

『煕子殿は、どちらかへ行かれたのかな?。まあ、良いか、それでは、碁盤は確かに届けたぞ、それでは私はこれで。煕子殿には宜しくお伝え・・。』と十兵衛が言葉を言って帰ろうとすると、十兵衛が言葉を言い終える前に、侍女は言い始めた。

『十兵衛様、煕子様は首を長くして、先程貴方様をお待ちしておりました。貴方が来たら、昔一緒に上った木の処で待っているとお伝えする様に仰せつかっております。』


『そうか、それは申し訳なかったな、しかし、もう間もなくすれば、日は落ちる。煕子殿には、其方から私が謝っていたとお伝えくだされ・・・。』と十兵衛が言い部屋を出ようとする。


『武士たる者がお逃げになるのか!。』と大きい言葉では無いが、はっきりと侍女は言った。


『??、其方、今、何と言った??』


『スミマセヌ、今、煕子様が此処にいたら、何を言うだろうと想像したら、私の口から言葉が自然と出てしまいました。お忘れ下さい。』と侍女は畳に頭をつけおじきをする。


不敵な侍女はそのまま、動きを止める。まるで、自分は言うべき事は言った、後は自分で決めてくださいという無言の圧力をかけている様に十兵衛は感じられた。


『・・・侍女殿、其方、なかなか気骨のある女性ひとじゃな。分った。私が悪かった。煕子殿に直接詫びてくる。』と言い残し、十兵衛は急ぎ煕子を探しに部屋を出たのである。


10年前の記憶等無い、十兵衛は、走りながら城内の木のある庭を急ぎ走り回った。

息を切らせ、走り回ったお蔭も有って、煕子を見つけた時は未だ日が暮れていなかった。


『煕子殿、此処におられたか?探しましたぞ。』

『彦太郎兄様、お待ちしておりました。二人で昔話をしたいと、考えておりましたら、部屋でするよりもこの場所が良いと思いまして・・・。』

『彦太郎、いえ十兵衛様、この木を覚えていらっしゃいますか?』

『10年前、二人でこの木に登った思い出を・・・。』

煕子が手で指した方向には、大きな杉の木があった。


『・・・覚えていますよ。子供の時は、山の様に大きく感じた木も、大人になってみてみれば、それほど大きくなかったと思うモノですが、この木はなかなかどうして、大きく立派でしたな・・・。』と苦笑いをしながら言った。


十兵衛には、その時の記憶が無い。煕子がいう思い出の記憶が無い。

(此処は、話を合わせておくか。私との会話のきっかけに、昔の思い出を使っているのだな。)と十兵衛は思い、話を煕子に合わせる様に言った。


『十兵衛様、よろしければ、昔の様に、この木に登ってみてくれませんか?。私みてみたいです。』と、煕子は笑顔でお願いをする。


『正直、着物が汚れるので、登りたくありませんが、煕子殿の願いであれば、聞かぬわけにはいきませぬな。』と、十兵衛は言う。


『・・・だったら、宜しいです。』と煕子はムッとした顔をする。


『はは、戯言でござるよ。戯言・・・。』と言って十兵衛は焦りながら慣れた手つきで木に登る。

その動作の無駄の無さ、躊躇の無さは、恰好が良く。勇ましかった。

煕子は、その姿を見ながら、キャッキャッと喜んで見せてくれるので、十兵衛も少し誇らしげな気持ちになってしまった。


大きい木であった為、登った場所から飛び降りるのは多少の勇気がいたが、日ごろ鍛えている十兵衛には問題無かった。飛び降りると、煕子がその場に駆け寄り、拍手をしてくれる。

(これは、予想外に良い交流が出来た。)と、十兵衛も内心満足したのであった。


二人は、木の前でその後も少し話したが、日も暮れてきたのでお互いに部屋に戻る事にした。

別れの際、十兵衛は煕子に碁盤を部屋に運んだ事を告げる。


『十兵衛様、もしよろしければ、私に碁を教えてくれませぬか?十兵衛様がお忙しいのは、理解しておりますが、少しでも良いのです。今度、叔父上様と一局とお誘いを受けておりますので、その時に恥ずかしくない様に・・・。伯父上との勝負は、3週間後なのです。』と煕子が、恥ずかしそうに言う。


『・・・、分かりました。その勝負の日まで毎日、半刻(1時間)ぐらいであれば、お付き合い致しましょう!。』と十兵衛は約束し、煕子へ部屋へ戻したのであった。


その次の日から、囲碁を通した二人の交流が始まったのである。


煕子は、毎日料理修業が終わると、部屋に戻り十兵衛を待つ。

十兵衛が煕子の部屋に行くと、碁の準備とお茶と茶菓子が用意されており、二人は其処に座り、碁をしながら会話をする様になった。


最初、口数が少なかった二人であるが、何気ないお茶の味や、茶菓子の感想を言い合っている内に、自然と会話ができるようになっていた。日が進むにつれ、煕子が料理修業で覚えた料理を準備して十兵衛に味見してもらう事もする様になった。


不愛想だが、忖度なく批評する十兵衛の姿を見て、煕子は喜んだり、時には怒る事もあったが、少しづつ十兵衛との交流が楽しくなり始めた。


良くも悪くもその交流を通して、煕子も十兵衛も互いに相手の真面目な人柄を理解したのであった。


二人が碁を共に打ちだして、2週間が過ぎた頃、十兵衛は珍しく自分で茶菓子を用意し、煕子の部屋を訪れた。用意したごまダンゴを見て、煕子はすごく喜んでくれた。

十兵衛は、その笑顔をみて嬉しかったが、感情を出すのが恥ずかしく、その日も何時も通りの様子で碁を打ったのである。


その次の日から、煕子が風邪を引いてしまい3日間、碁の交流は出来なかった。

十兵衛は煕子と会えない3日間がとても長く感じられた。

その感覚が、十兵衛は自身の変化という事にその時は気づかなかった。


彼の生来の性格か、それとも彼の長い人生経験の積み上げがそうさせたのかもしれない。


自分の仕事として始めた煕子との囲碁遊びが、いつのまにか自分の楽しい時間に変わっていたのである。


3日後、煕子の体調が回復し、囲碁の交流が再開した時、十兵衛は正直嬉しかった。

煕子の顔は、まだまだやつれており、本調子ではなかったが、彼女の顔が見れただけで心がホッとしたのだった。


気がつけば、あっという間に3週間が過ぎ、煕子は光安との囲碁勝負の日となった。

二人のおじ光安も、囲碁好きで腕もそれなりの実力者であったが、練習の成果か、煕子は健闘したのであった。3本勝負のうち、一局勝利できたのである。

『ワシも、煕子殿の様な娘が欲しかった!。』と煕子に誉め言葉をかけた光安であったが、妻タキの冷たい視線に気づき、タキにあわてて謝罪する。


二人の様子を見ていた、十兵衛、煕子は堪らず笑い声をあげる。二人の新しい思い出の日になったのである。


その日の夕方、十兵衛は煕子に最後の囲碁をしたいと部屋に呼び出された。

部屋には、茶菓子ではなく、甘酒が用意されていた。


部屋には、何時もいる侍女のお登勢がおらず、煕子ひとりであった。


二人は、何時もの様に碁盤を真ん中に、座る。

碁を打ちながら、十兵衛は煕子の実力が上がった事をしみじみと感じる。


碁を打つ時間が長くなり、十兵衛は一息つこうと用意された甘酒を盃に注ぎ一口呑んだ。

甘い、砂糖水といってもよい甘さだ。


呑んで、煕子の一手を待っていると、煕子はなかなか打たない。

手持ち無沙汰になり、甘酒をもう一杯呑む。


その姿をみて、煕子が覚悟を決めた様に碁盤に碁石を置く。置いたが手を離さない。

そんな煕子の様子が、不思議に思って、彼女の顔を見ると、煕子の目が自分の目を見つめている事が分かった。


『十兵衛様、正直に答えてください。貴方は何者ですか?本物の彦太郎兄様は何処にいったのですか?。』

気がつくと、煕子の目からは涙がこぼれていた。





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