第14話 十兵衛の憂鬱

煕子達が食事をしている頃、城から少し離れた川のほとりで十兵衛は剣の朝稽古をしていた。

天気の良い、爽やかな春の日の為、近くでは小鳥の声が聞こえる。


十兵衛は剣を振る。戦いを想定してというよりも、一心不乱に刀を振っていた。

戦の準備ではなく、身体を鍛錬するための修行である。

刀を振り続ける彼の額には汗が浮かび、来ている着物も雨に濡れたかのように湿っている。

衣服の状態が、彼の稽古時間を物語っていた。


一日の日課の剣の素振りを終えた十兵衛は、着ている着物を脱ぎ棄て、川に入る。

稽古で熱くなった体を、川の水で冷やしながら、彼は心と体に一息を入れた。


川の水は、十兵衛の身体を冷やしながら、また彼の頭を冷静にさせる。

川の中で彼の思考は、明智家の未来、自分がするこれからの決断を模索していた。


この頃、美濃の国の状況は日々変化し、その状況は他国の大名達からも注目されていた。

なぜなら、光安の主、長井新九郎が守護大名の土岐頼芸とき よりのりを尾張へ追放し、国の実権を握っていたからである。


元油商人の彼は、事前に守護代(守護大名が領地を留守にする際、代わって領地を管理する役職)斎藤家の名跡を継ぎ、斎藤利政(後の道三)と改名していた。


準備が整った利政は、己があるじである頼芸と考えが対立すると争い、そして勝利し隣国の尾張へ追放したのであった。主家を追い出し、見後に国を盗んだのである。

後世の人々が、戦国時代の象徴と評する下剋上を、彼はしたのだが、多くの者が盗んだという。

それは、明らかに相手を卑下した言い方であるが、裏を返せばそれほど彼の段取り、手際が良く、鮮やかであった事を証明する表現である。


しかし、利政が国の実権を握ったのは1543年、1545年のこの頃は未だ日も浅く、彼の領土支配は盤石では無かったのである。事実尾張に追放された土岐頼芸を、織田信秀は支援し、頼芸はその支援を受けながら反斎藤家の勢力の力を集め、美濃の国を奪還すべき精力的に動いていた時期である。

そんな状況であった為、斎藤家を支持する明智家の未来は、前途洋々であるどころか、今後の選択、時代の流れ次第では、滅亡の危機にも繋がる危うさが潜んでいたのである。


当時の一族筆頭である、明智光安はものすごい緊張感を持っていた事だろう。それは、次代を担う十兵衛もそうであった。


(伯父上は、利政を優秀な良き主君と良く口にされるが、やり方が強引過ぎる。)

(此度の私と煕子殿の縁談の話も、利政の強い要望と叔父上は言っていた。聞かねば、利政が明智家、妻木家の忠義疑う事だろう。煕子殿との婚儀が決まった暁には、利政が一度私と会いたいというのだから、いったい何を考えている事やら・・・。斎藤利政は、歴史に名を遺す人物だろう。しかし、私の味方になるか敵になるかは、別の話・・・・見極めてやるとするか。)

思考を巡らせる十兵衛の面構えに一瞬、童顔の顔には似つかないフテブテしさが現れ、そしてすぐに消えた。


(長井新九郎・・・斎藤利政、権力への近づきの方法、生き方が昔のあの男を思い出させる。何という名前だったか・・・。)

十兵衛は、自分の遠い記憶を手繰り寄せる様に目を閉じ、考える。


目を開けた十兵衛は、『呂不韋りょふい・・・。』と遠き昔の異国の宰相の名を呟き、川から出た。


持って来ていた替えの着物を着た後、持って来た荷物を集める。


(何にせよ、あの娘に気に入られる様に振舞うか、美味く気に入られれば、それなりに役に立ってくれるはずだからな。)


気がつくと川の水面に、十兵衛の顔が映っている。若い顔である。

十兵衛は、自分の顔を右手で触る。『後、5年、いや3年か、私が明智十兵衛として生きていられる時間は・・・。それまでに、お牧が世話になった人々に、私は何ができるのだろうか・・・。』


寂しい顔をしながら、着替えを終え、荷物を持って明智城への帰路へ着く十兵衛であった。


城へ着くと、叔父光安より午後に碁盤を持って、煕子の部屋へ行く様に命を受ける。

『畏まりました。』と快諾する十兵衛であったが、昨日の件で相手には嫌われているだろうと、少し憂鬱な気持ちになっていた。

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