第一総局の日常

曇空 鈍縒

プロローグ

 運転手には、3分以内にやらなければならないことがあった。




 俺は黒い洒落たヴォルガ(※ソ連の車。黒塗りの高級車でKGBが愛用)を運転しながら、腕時計を確認した。


 12:27分。


 今頃、アメリカに暮らす資本の犬どもは優雅なランチをし、祖国の労働者たちは硬い黒パンを齧っているか、あるいは食事すら忘れて労働に勤しんでいることだろう。


 そして俺は、祖国の冷たい大地から数百km離れた、うるさいほどに賑やかなアメリカの地で、アメリカ陸軍大佐と健全かつ両国のためになる話し合いをしている祖国の諜報員を迎えに行っている。


 もちろん、昼食など全く口に入れていない。なにしろ、後3分で諜報員との待ち合わせ時刻だ。遅れたら怒られるじゃ済まされない。


「第一総局は忙しいものだな」


 俺は軽くため息をついて、ふと嫌な予感を感じバックミラーの角度を調節する。


 数台の性能がいいアメリカ車が、俺の後ろをまっすぐに追跡していた。


 一応、民間車を装ってはいるが、流石に第一総局のベテラン運転手である俺の目は誤魔化せない。あれは明らかにCIAの車だ。


 どうやらKRラインの無線手連中は、仕事をしくじったらしい。


「ちっ、お客さんか」


 俺は舌打ちをして、アクセルを踏み込んだ。


 ヴォルガの強力なエンジンが唸り、車は時速200kmまで加速する。


 もちろん、ここは高速道路などではなく一般道だ。


 左右には多くの商業ビルが立ち並び、5車線の道路についても交通量は多く、時速200kmまで加速していい場所ではない。


 だが、自国民すら殺す国家保安委員会KGBが、他国民の安全を気にする必要はない。俺は車の合間をすり抜けて、どんどんと前へ進んでいく。


 スピード違反で捕まりそうだが、その時はパトカーも巻けばいい話。


 俺はしばらく走って、もう一度後ろを確認した。


 どうやら、CIAの方もなかなかに優秀な運転手らしい。俺の後にぴったりと付いてくるどころか、徐々に距離を詰めている。


 仕方ない。事故になったらヴォルガも数名のアメリカ人も俺の命もお釈迦に変わるが、少し危ない橋を渡らざるを得なさそうだ。


 俺はタイミングを見計らって、大きくカーブした。


 タイヤがアスファルトに焦げ付く匂いが、鼻腔をくすぐる。


 俺は悲鳴を上げる車体を無視して、さらにハンドルを回転させる。車は大きく回転して、対向車線に乗った。


 CIAの運転手たちは呆気に取られたような表情でこちらを見ながら通り過ぎていく。少なくとも、巻くことには成功した。


 周囲の車は、俺の危険運転に対し一斉にクラクションを鳴らしている。


 俺は申し訳なさそうな表情で彼らに手を振って、合流地点であるホテルを目指した。

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