第24話 【音梨夕愬】余命半年 その参

世の中はバブル時代、お堅い仕事をしている父親と専業主婦の母親、高等学校卒業後音楽の道に進んだ姉、高等学校すらも行かなかった俺はただただ家にいた。


同級生たちが成人式で集まるらしいが、俺は家にいた。


奴らとの思い出なんか俺の中で何一つ大事なものなんかないからだ。


かといって家の中で大事なものがあるのかと言われると何もない。


年老いていく親のために車の免許だけは取った。


車で走っている間は必要とされている気がして少し楽しくもある。


ずっと家にいる俺に厳格な父はあまり良い顔はしない。


母親は気にしなくても朝昼夕と食事を用意して昔から変わらずコーラやスナック菓子なども買い置きしてくれている。


そんな実りのない毎日が堪らなく退屈で、当時親に買ってもらった無線機でアマチュア無線を始めようと資格を取った。


誰が聞いてくれるかなんて分からないが、他の人との繋がりが欲しかった。


今まで自分から話しかけることが出来なかった俺が、見た目とか気にしなくても声だけで誰かと仲良くなれるなら、少しだけでも自信が持てるんじゃないかと始めたことだった。


国内外の姿形も分からない人と話が出来たりするが、不思議と顔をみないで話すことは苦痛ではなかった。


俺の家柄の事なんか誰も知らない。


名前も分からない「友人」と呼びたい人たちが何人か出来て俺の家で過ごす時間は少しだけ退屈ではなくなった。


しかし、夜でも昼でも通信をしている俺は昼間働いていないことで、同じ時間帯に話せる友人は限られていた。


彼らは俺と同じ家にだけいる人たちだった。


最初は特に気にならなかったが、時々会話にならない時期もあり、どうしたのだろうかと思うこともあった。


そんな日々を送っている間に家には犬がいつの間にか居た。


小型犬でキャンキャンと騒がしいが姉が飼いたいと言い出したらしい。


番犬にしては小さいがかわいいやつだ。


だが、犬は己を下から二番目だと家庭内ヒエラルキーで決めているのか一番下を俺にしたようで俺の言うことは聞かない。


特に問題はなかったけど、数年後姉が結婚し、姪が産まれた。


俺は初めて間近でみる赤ん坊にすっかりめろめろになって一緒に風呂に入れたりして、ほぼ交流のなかった家族に姪が大きな変化を引き起こした。


姪は産まれてすぐに姉と共に音梨家の一員となった。


姪はとても小さく支えてあげなければ生きていけない俺にとってもそんな大切な存在になった。


父親は人が変わったように今まで俺の前では途切れることなく吸っていた煙草をベランダに行って吸うほどに姪の身体に害がないようにと気を使うほどにめろめろだった。


俺は変わらず自室で吸っていたのだが、小さく細い姪は見た目に反して成長が早く急な階段すらも四つん這いで駆け上がり、家中を遊び場にしてしまったので俺の部屋にだけは入れないようにと気を付けていた。


育つにつれ姪は本当によく喋るので、面白くなって色んな言葉を教えた。


女の子だけど活発過ぎてしょっちゅう男の子と間違われる姪に一人称を「僕」にするようにと教えてみた。


素直な姪はすぐに「僕」を使い始め姉含む家族に散々俺は叱られたのだが、姪はすっかり僕っ娘になった。


いつかきっと一人称も変わっていくだろう今だけだきっと。


母である姉はほとんど家に帰る事はなく姪の世話は主に祖母である俺の母親がしていた。


姉は姪とは一緒に眠ることはない。明日も仕事だから眠りたいと母乳だけあげたら自室に戻って寝てしまうので、姪は常に祖父である俺の父親とシングルベッドで眠っていた。


姪の気分では祖母とも一緒に寝るんだと騒ぐため母は寝室にパイプベッドを組み立て姪をそこに寝かせた。


一緒に寝ないのは姪が体温が高くて暑いからとのことだった。


ある日父親が遅くまで帰って来ず、母もそのために先に寝る事も出来ず姪が眠くて泣き始めたため、姉にたまには一緒に寝てやったらどうだと言うと、


「あたしはあんたと違って明日も朝から忙しいのあんたが一緒に寝てやればいいでしょ」と言われ、慌てて部屋の換気をして煙草の灰などを片付けた。


姪は何て呼んでいいか俺の事が分からないようだったから僕を教えた時についてに教えておいた。


「俺の事はお兄ちゃんと呼ぶように」と。


姪に今日は俺と寝るんだぞと言うと最初は泣いて


「じーじ!じーじ!」と親父を呼んでいたが部屋に連れて行き無線機などを見せると興味がわいたのか


「どーじょー」と言っていた。どこで覚えたんだろう?


誰かと一緒に眠ることなんて経験がないまま大人になってしまった俺がこんな小さな子を潰さないで眠れるのだろうか?


翌朝になってわかった。


眠れるわけがない。姪はグッスリ眠っていたからまぁ、寝相が悪い上に確かに体温が熱いし、寝言も言うし、いっちょ前にいびきもかく。


それでも眠れなかった一晩がとても愛おしく守ってやりたいと思うには十分な対価だった。


姪は朝になって保育園に姉が連れて行き、昼間から俺は爆睡してしまった。


夕飯時まですっかり寝て目覚めた時少し寒いような気がした。


姪が居たぬくもりは俺の寂しさを少し埋めてくれているようだった。


それからというもの、俺は部屋をいつもきれいに片付けいつ姪が俺の部屋に寝に来てもいいようにとミニ冷蔵庫にはジュースとおやつまで用意しておいた。


姪の添い寝は当の本人の希望で日々違う場所で寝ていた。


「おにーちゃんと寝る」と指名される日は心に灯がともるようで嬉しかった。


不思議なもので母親と一緒に寝たいとは言わないものだ。


一人で寝かせてみようと試みたこともあったが、すっかり人のぬくもりがないと寝ない子に育ってしまって保育園でも昼寝をしないでみんなで育てていたカイワレ大根を咥えて遊んで居たりするそうだ。


そうして年少さんになる頃、姪は姉と共に音梨家から出て行ってしまった。


生まれてから3年ずっと賑やかな音梨家はシーンと静まり返ってまた会話のない日々が戻ってきた。


姪を追いかけて遊んでいた犬も姪が居なくなるとお役御免と感じたのか息を引き取った。


そして、親父は俺についに言ったのだ。


「そろそろ仕事をしたらどうだ」と。


まずは近場の仕事でもしてみるかとアマチュア無線の友達と相談したりしていた。


親父のコネを使って面接なんてものはすぐに合格を貰ったが、俺に出来ることなんかほとんどない。


最初は家柄の関係で優しくしてくれていた上司にも呆れられ、愛しい姪にも会えず、


俺は気がつけばビルの屋上に立っていた。


親より先に死ぬのは親不孝だと聞いたことがあるが、俺にはもう心のよりどころがない。


迷うことなくビルから身を投げた。


落ちていく最中、白いふわふわとしたものが視界に入ったような気がしたが、


もう何でもいいこれですべてが終わるんだ。


そう思っていた俺の目に映ったものは。


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