第23話 【音梨夕愬】余命半年 その弐

楽しかったはずの学校生活、仲が良かったはずの友達たちは俺自身を気に入ってくれて友達でいてくれていたと思っていたのだが、その言葉を皮切りに真実が見えてきた。


姉が友達に返事を返そうが返すまいが、それは姉の自由だったのに当時の幼い俺は姉のせいにしてしまった。


「なんで俺の友達に返事を書いてくれないんだよ!俺が友達に嫌われちゃったじゃないか」と姉に直接文句を言うと、姉は


「夕愬、お友達に私がどんな内容でも返事を書いたら夕愬のお友達は怒らなかったかしら?例え期待している答えと違っていても」と言っていた。


友達はきっと恋文を渡したんだろうとは分かっていた俺だったけど、姉が友達に良くない返事をするんじゃないかなんて考えず期待させるような事を迂闊に話してしまったことにその時もまだ気づけなかった。


俺はただ友達を安心させたかっただけで言ったつもりだったから。


「でも気持ちを込めた手紙なら返事をするのが礼儀なんじゃないの?」と姉を責め続けた。


「そうね。礼儀は大切ね。でもそれよりも気遣いというものも大切なのよ」と姉は言った。


姉は母や父に躾けられて怒られてばかりでも、相手の気持ちを慮る行動の最善の策として変わらぬ姿を見せていたのだろう。


「もしも、お友達が私のせいで夕愬の事を嫌いになってしまったのなら、お友達は本当にお友達なのかしら?」と続けた。


そう言われて当たり前の毎日が実は当たり前じゃないことに恐怖を抱き始めてしまった。


母が元気のない俺の姿を見かねて姉を叱った。


姉はただ下を向いて「はい、ごめんなさい以後気を付けます」とだけ言って自室へ戻った。


「夕愬は何の心配もしなくていいのよ。お母さんが何とかしてあげるからね」


そう母は言うとどこかへ電話をしていた。


翌朝重い気持ちをそのままに姉と学校に登校した。


その日は珍しく姉が学級まで一緒に付いてきて例の友達に声をかけた。


何て言っているのかは聞こえなかったけど、友達は俺の前に来て


「昨日は変なこと言ってごめん夕愬。許してくれる?」と硬い表情で言ってきた。


正直ホッとした。


「もういいよ!昨日の事は忘れてやるよ!これで貸しふたつだな」と笑ってみせた。


友達はいつものように屈託のない笑顔ではなく、少し引きつったような笑顔でただ、


「助かるよ」と言った。


これでいつもの日常が戻ってくるんだと思っていた。


でも、この日から始まったのは今までの日常とは全く違う日々だった。


どの友達も俺に話しかける頻度が下がり、かといって無視をするわけでもない。


学級の中で一人の時間が一気に増えた。


今までどうやって友達と話をしていたのか分からなくなってしまった俺はただ毎日学校に来て授業を受け、挨拶程度の会話を友達にして帰宅していた。


毎日母に楽しく答えていた学校での出来事に答えられなくなってしまっていた。


おやつも自室に持っていき、一人で食べるようになった。


そんな日々が続いても、日曜日には父の隣でブラウン管を見つめていた。


安心する煙の匂いにふと、父に相談してみようかと思いついた。


「お父さん実はお友達とうまく話せなくなってしまいました。どうしたらいいでしょうか?」と聞くと父はブラウン管から目線を離し俺を見て一言


「来年になれば学級替えがある」と言ってブラウン管に目線を戻した。


諦めろということなのだろう。


来年新しい学級で新しい友達が出来ればいいんだ。そう前向きに捉えろときっと言っていたんだろう。


翌年、姉は中等学校に上がり俺は新しい学級に期待を胸に一人で登校するようになった。


出席番号順に並んだ席で「音梨夕愬くん」と呼ばれ「はい」と返事をすると教室がざわめいた。


なんだろう?とふと思ったが気にしないで新しい友達が出来る事を楽しみにしていた。


休み時間になると俺に話しかけてきたのは男子ではなく女子だった。


「音梨くんて政治家さんのおうちって本当?」と聞かれた。


確かに伯父は政治家だ。


「うん一応伯父さんが政治家だけどそれが何?」と返すと、


「わーすごい!いつか音梨くんも政治家になるの?」とキラキラした笑顔で言われてまるで俺が褒められたような気持ちになって胸が躍った。


「まだ分からないけどなるかもしれない」と今まで考えたこともなかった未来の事をその女の子の期待に答えたくて、気に入ってもらいたくて言ってしまったが、


父は分家。政治とは直接的には関わっていない国鉄の人間だ。


俺が政治家になろうと思えば伯父に何かをお願いしに行くようだろうかとふと思った。


それからは沢山の女子が俺に話しかけてくるようになった。


去年までの男子とのやり取りとは違うけれど、失った友達たちの代わりに新しい友達が出来たと胸を撫でおろした。


ただ、家に帰ると思春期が始まった俺は母と以前のように学校生活を嬉々として語ることもなく自室に閉じこもった。


夕飯時には相変わらず姉と3人で食事をするものの、姉への叱責を聞くことにも飽きてさっさと食べ終えて風呂に入ったら自室で学級の女子たちのことを考えていた。


あの女子たちはもしかして、俺の事が好きだったりするのか?と一人一人の顔を思い浮かべては股間に手をやるようになった。


覚えたての快感に俺が女子たちを見る目は友達を見る目ではないことにも気づかず盛りのついたサルのように濁った汁をちり紙で丸め込んでゴミ箱を満パンにした。


そんな夜が明け、翌日も学級では色んな女子が話しかけてくるものだから、すっかり舞い上がっていて遠くで見つめる男子たちの視線に気づかなかった。


ある日、学級の男子に話しかけられて放課後に裏庭に呼び出された。


「音梨くん僕は同じ学級の大久保なんだけど分かるかな?」出席番号が近いから名前だけは知っていた。


「もちろん分かるよ大久保くん」と答えると


大久保くんは俺に話しかけてくる女子の中でも可愛らしい子の事が気になるようでその子と付き合っているのかと聞きに来たのだった。


「俺は誰とも付き合ってないし、誰の事もそういう目で見てないよ」と言うとホッとしたような表情を見せた。


嘘だった。夜な夜なその子の顔を思い浮かべては快楽に浸っていた。


でも、久しぶりに男子が話しかけてくれた事が嬉しくて黙っていた。


「音梨くん良かったらこれから仲良くしてよ」と大久保くんは言ってくれた。


心が飛び上がるほど嬉しかった。


姉の送り迎えがなくなった分、大久保くんと放課後遊ぶ時間が俺にとっては楽しくて仕方なかった。


「大久保くんはあの子に告白とかしないの?」と聞くこともあった。


「僕の事なんて多分知らないんじゃないかな。振られるのが目に見えてるのに告白なんて恐れ多いよ」と言っていた。


振られるか。俺は良かれと思ってあの女の子に好きな人がいるかどうか聞いてみた。


その子はビックリして、


「いません」とだけ答えて帰って行ったので大久保くんにそんな話をした。


大久保くんはそれをどう思ったのか、その子に話しかけるようになった。


そして、その子と大久保くんが付き合い始める事はなく、いつの間にか大久保くんは放課後に俺を誘ってくれなくなった。


また同じことの繰り返しが嫌で俺は勇気を振り絞って大久保くんに会いに行った。


大久保くんの家は大地主ものすごく大きな家で庭も広かった。


友達の家に一人で遊びに行くなんて初めてのことだったから緊張しながら呼び鈴を鳴らした。


出てきたのはお母さんと思われる女性だった。


「あら、あなたはもしかして音梨さんちの夕愬くんかしら?うちの子と仲良くしてくれてるの?嬉しいわ」ととても笑顔で迎い入れてもらえた。


どうやら大久保くんはまだ帰宅していなかったようだったので、後日またお邪魔しますと言って帰路についた。


途中の原っぱで何人かの男子たちが隠れ鬼などをしながら遊んでいるのが見えた。


俺も混ぜてもらえないかなと期待していたが、そこから聞こえた言葉たちに足が竦んだ。


「音梨のやつ調子に乗って女子に言い寄ってるらしいな」


「家柄がいいってだけで言い寄られてることにも気づかないでいい気なもんだ」


「女子も女子だよ。将来が安泰だからってあんな太ったやつに群がって俺らに見向きもしないんだもんな」


「産まれる場所は選べないんだから損だよな」


そこには大久保くんもいた。彼なら俺の事を知ってるはずだ。きっとそんなことないと言ってくれるはずだ。


「僕、音梨くんに好きな子の事言ったんだけど。その子にいつか音梨くんのお嫁さんになるって言われて、音梨くんもその子のこと好きみたいだって言われて裏切られたなって顔も見たくなくなったよ」


どういう事だ?俺はその子とは何もしてない妄想の中以外では。


つい、その会話に割り込んでしまった。


「ねぇ!俺は何もしてないよ。信じてよ」と言うと、


「あ、やばい聞かれてた。あいつの親にチクられたら親から殴られる」とみんな逃げるように去って行ってしまった。


それからはまた、女子たちだけが俺に話しかけて来るようになったけど、


男子たちの話が気になって、先の事なんて何にも考えてなかったけど女子たちに言ってみた。


「俺政治家になるのやめるわ」


すると、あんなに群がってきていた女子たちが一気に話しかけて来なくなった。


俺は美しい姉の弟として、政治家の家系の生まれとして、人気があっただけで誰一人として、俺自身を好きで話しかけてくれる人が居なかったことにやっと気がついた。


中等学校に上がるまで俺は何度学級替えがあっても、腫れ物のように扱われ誰とも友達になることは出来なかった。


そう、俺はずっと誰かから話しかけられなければ話しかけることなんて出来なかったんだ。


受け身の姿勢で友達が出来るわけもなく、学生生活は暗い思い出で埋め尽くされた。


卒業アルバムの気に入らないやつの顔をカッターで切り取り


「死ねばいいのに」と呟いた。

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