第22話 【音梨夕愬】余命半年 その壱
思い返せば遥か昔の自分自身は本当に自分だったのだろうかと疑問に思うほどに今、俺は自問自答している。
生まれた環境は決して傍から見れば悪いわけではないだろう。
先祖代々続く
幼い頃から父は仕事に出ずっぱりで、夜な夜な大酒を呑んでグデングデンで帰ってきたが、必ず土産の寿司を持って帰ってきた。
母は甘い甘い卵焼きを俺が喜ぶからといつでも作ってくれていた。
3つ離れた姉は親を盗られたような気持ちになったのか度々喧嘩にもなったが、学校に上がる頃に姉の容姿がどうやら端麗であるという事を知ると誇らしくもあったもんだ。
絵に描いたような幸せな家族の元に生まれたことを今は改めて噛みしめている。
どこから狂ってしまったのだろう俺の人生は。
「ゆーさくー」と呼んでくれる友が居た。
一人や二人じゃなかった。
学校で俺は沢山の友達に恵まれて、毎日を楽しく過ごしていたはずだった。
学校から帰ると母にその日の出来事などを聞かれては答えるという家族の会話もしっかりと出来ていたはずだった。
ある日、そうか、あの日だ。
「夕愬の姉ちゃんに渡してほしいんだ」とある友達に頼まれて手紙を姉に渡したことがあった。
姉は俺が生まれてから、姉としてちゃんとするようにと厳しく母に躾けられ立ち振る舞い、言葉遣い、衣服の乱れなどもない上に、生まれついての美貌がツンツンとしたオーラを放っていたが、よそ様からしたらそんな姉に憧れる気持ちも分からなくはなかった。
姉は音楽の才もあり、学校での行事の際には舞台の上で才能を披露して魅せていた。
男女問わず姉を慕う姿に、弟である俺は鼻が高かった。
友達から預かった手紙を姉に渡すと、姉は嫌そうな顔一つせず、
「ありがとう夕愬」とだけ言って手紙を受け取って自室に帰って行ってしまった。
姉の部屋は俺の部屋と違って西日しか当たらない一階の北側だった。
俺は二階の日当たりのいい部屋を与えられ、隣の部屋には尊敬する父、そしてその隣には母の部屋があった。
友達からの手紙も渡し終えたし、おやつの時間だーと、一階の台所に行くと優しい母が俺の好きなコーラやお菓子を出してくれた。
姉はおやつをあまり食べない。
その違いなのか姉は細く、俺は太く育っていた。
俺が産まれる前の事は分からないが、母は姉に対する態度と俺に対する態度があからさまに違うような気がしていた。
女同士だからなのか、何かあったのか、そこまでは今考えても推測でしかないが、
当時男児が産まれることがとても世間一般では喜ばれ、一姫二太郎と言われるほどに生まれる順序すら理想があり、姉は弟のために先に産まれ見本となるようにと育てられていたのかもしれない。
政治に与する家系であったせいかもしれない。
まだ小さな俺にはそんなことを考える知能すらなかった。
「夕愬は本当によく食べて大きくなるのよ。お母さんがいっぱい美味しいもの用意してあげるからね」と存分に母に甘えたものだった。
夕飯時には姉も揃って食事をする。
魚一つとっても、綺麗に食べるようにと都度注意を受ける姉と、どんなに不器用に散らかすように食べても笑顔の母に片付けてもらい口を拭いてもらう俺が姉に話しかける機会など学校の行き来の時間以外になかったのは俺の怠慢のせいだったのかもしれない。
友達からの手紙を渡した翌日の学校へ行く時間に姉に声をかけた。
「昨日渡した友達からの手紙読んであげた?」と。
姉は朝はとても機嫌が悪い。
「そのうち読むわ」とだけ返事が来た。
学校に到着する頃には機嫌が悪いはずの姉の表情はいつの間にか明るく、皆に慕われる憧れの上級生としての顔になっていた。
外面は本当に良かったよな。
学級についた俺に手紙を託した友達がソワソワしながら声をかけてきた。
「おはよう夕愬!姉ちゃんに渡してくれた?」と聞かれた俺は、
「ちゃんと渡したぞ!これで貸し一つな!」と笑ってみせた。
友達も笑って照れていつものように楽しい学校生活を過ごし、家に帰る頃に姉が学級まで迎えに来て一緒に下校するものだから、友達は顔を赤らめて固まってしまったまま、
「ゆーさくのおねーさんこんにちは」などと棒読みなセリフを吐いたりしている。
姉は「いつも夕愬と仲良くしてくれてありがとう」とにこやかに返事をするので、友達は嬉しそうだった。
帰り道姉にさっきの友達が手紙をくれたんだと説明すると、姉は機嫌よく
「あらあの子がくれたの?帰ったら読んでみるわね」と朗らかに答えてくれた。
俺は友達の嬉しそうな顔も見れて、姉と話が出来る事も嬉しかった。
日曜日には厳格な父も家に居て、ブラウン管を見つめていた。
母と違い父に話しかけられることは稀で、朝昼夕と食事を共にするのは日曜日だけだったので俺は日曜日には少し緊張しながらも父の見つめるブラウン管を一緒に見つめていた。
「夕愬学校どうだ」とポツンと父が話しかけてくれた。
「お友達も仲良くしてくれて楽しいです」とドキドキしながら答えた。
父はお酒も日々飲んでいるが、煙草もよく飲む親父だった。
子供ながらに煙たいなと思いながらも煙草の匂いが父の匂いとして記憶されて俺の中では安心する匂いになっていったんだろう。
今でもあの煙草の匂いを嗅げば父を思い出す。
貴重な日曜日が終わり、また学校に登校すると返事はいつかと待ち侘びる友達が俺に纏わりついていた。
「姉さんは土曜日に手紙を読むって言っていたから近く返事が来るんじゃないか?」と安心させようと言った。
その言葉は言わなければ良かったなと当時の俺では気づけなかった。
姉は何事もなかったかのように俺の学級に迎えに来ては、にこやかに友達にいつも通りの挨拶をして帰路についた。
何日も何日もそれが続いた。
そして友達は俺に投げつけた。
「この役立たずのデブ!」
この言葉が俺の人生が狂いだしたきっかけだったのかもしれない。
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