第3話 【黒木昭文】享年53歳 その弐
あの日、ピアニストさんに車の電話番号を渡してから、俺は仕事に行くことが楽しみになった。
10時・12時・午後3時には今までならダラダラと現場に居たり、早く終わらせようとろくに休憩もしなかった俺だけど、電話がならないかと車に戻って休憩するようになった。
休憩ってのは意外とするとそのあとの仕事もダレないってことに気がついた。
仲間が
「おい、お前最近仕事えらくやる気あるな・・・・・・コレでもできたんかい?」と小指を立てて話しかけてくるくらいだ。
「余計なお世話だい!相変わらず女なんかできてねーよ」と返したその時、
仲間の一人が「お前の車の電話鳴ってんじゃないか?」と言う。
「おお、ちょっと抜けるけど頼むわ・・・・・・」と言って車に急ぎ戻るとなんとか電話に出る事が出来た。
「もしもし・・・・・・黒木ですが」と出た時には心臓が破裂しそうなほどバクバクしていた。
「ああ、中野建設の森田と申しますが進捗どうですか?」と仕事の電話だった。
「森田さんよう、この仕事ついて何年よ?電話じゃなくて現場に手土産の一つやふたつ持ってくるとかないの?」と期待を裏切られたので八つ当たりしてやった。
「申し訳ありません・・・・・・ところで進捗の方は・・・・・・」ったく仕方ねぇ。
「ちゃんと納期に間に合うから心配してねーで手土産持ってこいやじゃーな」と言って切ってやった。
現場に戻ると
「なんだ?やっぱり女からの電話じゃないのか?」と仲間連中まで煽ってくる。
「本当に余計なお世話じゃい!現監の森田だよ」と言い返して今日の仕事は終わりにした。
そういえば、子供たちにピアノを教えてるんだよな・・・・・・そんじゃ昼間にかかってくるなんてないか・・・・・・。
機材をまとめて車に詰め込み帰路についた俺は今日は何曜日だったかなぁとふと考えていた。
家でもあり、会社でもある自宅に着いた瞬間にも、もちろん電話がなることはなく、とりあえず汗まみれの身体を風呂で洗い流すために銭湯に向かった。
銭湯はモンモン背負ったあんちゃんたちから頑固爺までいつだって喧嘩になりそうで意外と平和な場所で嫌いじゃない。
家にも風呂はあるが、湯を張るのは面倒極まりない。
50℃近いんじゃないかと思うくらい熱い湯に沈み込み、湯上りにはコーヒー牛乳を飲む。
周りを見渡せば、あんな頑固爺にも嫁さんくらいいるんだよなーと感じるくらいに以前より寂しくなりやすくなっている気がする。
銭湯から出たらとりあえず、角打ちと行きたいのがいつもの俺だけど、電話が気になってとりあえず家に帰った。
今夜はかかって来そうにないか・・・・・・どこか仲間でも誘って飲みにでも行くか・・・・・・。
仲間に電話で飲みに行こうといつもの居酒屋で午後7時にと約束をした。
準備を整えて出かけるまでも、やっぱり電話は鳴らなかった。
そこから2時間くらい散々飲んで帰ってきた俺は車の電話が鳴っているような気がして車のカギをポッケから探し出すが、なかなか酔っぱらっていて鍵穴に刺さらない。
コール音が鳴り響いている。
やっと鍵を開けて受話器を取ると「ツーツーツー」と切れていた。
あの子からの電話だったんならもうかかってこないか・・・・・・と思っていたらすぐにまた電話は鳴った。
「もしもし・・・・・・黒木ですが」電話の向こうではせせり泣くような彼女の声が細々と聞こえた。
「あの・・・・・・私いつもバーでピアノを弾いている海野答子と言います」
海野答子ちゃんていうのか・・・・・・。
「ああ、ピアニストさんこんばんはどうしたんだ?こんな時間に」と答えると
「私やっぱり実家からどうしても出たくて、黒木さんておひとりで暮らしてましたよね?」と聞かれた。
そりゃおひとりで暮らしてはいるが・・・・・・いきなりどうしたんだ彼女は。
「ああ、仕事場でもあるけど一人住まいに違いねぇな俺んちにでも転がり込んでくるのか?」と冗談半分で言って返した。
「もし、転がり込みたいって言ったら今からでも行っていいですか?」と急展開が過ぎるだろう・・・・・・。
まずはデートとかじゃないのかな?最近の若者は・・・・・・。
「俺んち散らかってるぞ、本当に足の踏み場ないくらい散らかってるんだけどそれでも来るのか?」実際ものすごく散らかっているし、実際足の踏み場はない。
答子ちゃんはただ一言
「行きたいです」ときたもんだから「それじゃちょっと部屋片づけさせてよ今どこいるの?」と時間を稼いだつもりだったが、
「今お店の近くの公衆電話で・・・・・・」めちゃくちゃ近いじゃねぇか。
「わかった、迎えに行くからそこにいてよ」と部屋をとりあえず寝室の物だけ押し入れに投げ込んで迎えに行った。
車を止めると周りをきょろきょろ見渡している答子ちゃんの姿が見えた。
俺はクラクションをパパン!と慣らして手を振った。
それに気づいた彼女は車に駆け寄ってきて車をノックした。
ドアを開けて助手席に
「失礼します」と座る彼女を見て、この子とこれから家に帰るのか?
彼女の中ではどういうつもりで来るんだろうか・・・・・・。
そうない頭で余計な邪念と戦っていたら、すっと俺の手に彼女の冷たい手が触れた。
「私、他に居場所がなくて、他に頼れる人もいなくて、黒木さんの事しか思い出せなくて・・・・・・はしたないですよね?軽蔑しましたか?」というその唇がとても柔らかそうで、
「そんなこと思ってないけど、さっきも言ったけど本当に散らかってるけどそれでも来るの?話聞くだけならその辺で一杯やりながらでも・・・・・・」ここまで来て怖気づく俺は小物だな。
「あの・・・・・・ご迷惑ですよね・・・・・・じゃぁやっぱり我慢して帰りますね」
その言葉に涙がついてたらもう、断れないじゃないか。
「いや、いいよ答子ちゃんを迷惑だなんて思ってないから、頼ってくれて嬉しいよ」と再度家に向かい、車を止めて家の中に案内をした。
玄関を開けると、
「わぁ、確かに散らかっていますね。でもなんか黒木さんの匂いがして安心しました」と言う彼女。
安心されてしまった。これは手を出せない流れだろうな。まぁこんな綺麗な子を俺なんかで汚しちゃ悪いもんな。
「とりあえず布団これしかないからさ、答子ちゃんはさここで寝てよ」と自制心を全面展開した。
「俺は仕事場の方で寝るから明日起きたら話聞くよ・・・・・・丁度ゴールデンウイークで休みつづくから」そう言った俺の腕に彼女はしがみついて、うるんだ瞳は瞼を閉じた。
いやぁ、これは反則技だろうよ・・・・・・8つも若い美人が腕にしがみついてキスをせがんでいるようにしか見えないんだが・・・・・・枕営業じゃないよなぁ。
「答子ちゃん・・・・・・もっと自分の事大事にしないと・・・・・・」と言ってる間に俺の言葉は彼女の唇で遮られた。
そこからは自制心なんかどこ行ったのか熱い熱い夜が続いた。
翌朝目が覚めると、隣には随分愛おしくなりすぎちまったピアニストさんが一糸まとわず眠っていた。
そして、彼女に正式に告白をした俺は能天気にゴールデンウイークに今まで彼女という存在が出来たらやりたかったことなんかをいっちょ前にやってみたりしたもんだ。
ゴールデンウイークが終わると彼女は昼間は子供たちにピアノを教えに行って、週に何回かはいつものバーでピアノを弾いていたが、
そんな生活が続いて一か月が過ぎた頃、彼女のお腹に命が宿ったことを知らされた。
30にすでになっていた俺は結婚のけの字もなかったのに、ここに来て急に父親にまでなるのか?
うちのクソ親父にはまだいいとして、答子ちゃんの親には挨拶に行かなきゃいけないよな・・・・・・。
夜のピアニストの仕事も辞めてもらわないと。
俺は幸せ者だ・・・・・・こんな年下の美人と夫婦になれて、子供まで授かるなんて・・・・・・。
そして、俺はタンスの奥から礼服を引っ張り出して、海野家に挨拶に行った。
そこで見たものは「おいおいおいおい、なんも聞いてないけど答子お前お嬢さまなのか?」って程デカい屋敷だった。
俺なんかで許されるもんなのかー?
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