小さな檻、または世界

ゆっくり

短編

 美しい女性だけが、木製の檻の中に閉じ込められている。中の時は永遠に止まっていて、中から外へと物理的な干渉は決してできない。だけど、中から外への干渉は何一つできないわけではない。その隣の木製の檻の中には、上半身裸の男性がいる。西洋風の顔立ちに筋肉質な身体だが、色が無い。白と黒しかない、いわばモノクロの世界に彼がたった一人で閉じ込められている。その顔はどこか寂しそうにも捉えられるし、覚悟を持った顔とも捉えられる。

 友達がこの光景をわざわざ見に来てくれた。彼女はじっくり、隅々までその二つの檻を見ていた。

「とっても素敵、貴女は本当に美しい絵を描くわね。惚れ惚れしちゃう。どうせならどちらにも色を入れればいいのに、あ、ごめんなさい。別に作品を悪く言ったわけじゃないのよ」

彼女は二つの檻を見ながら言った。

「私は色彩を扱うのが苦手なの、だから色を入れたくても入れられない。自分の作品を駄作にはしたくないよ」

「そうなのね、なら景色でも描いてみたらどうかしら?」

その提案に私は俯きながら答える。

「私は風景画も描けない、人物画しか描けないの」

そう聞くと彼女は私のアトリエを一瞥して納得したように頷いた。

「だから絵の具が無いのね。鉛筆しかないのは不思議に思っていたのよ」

私は何本かの鉛筆を手に取って彼女に渡す。

「私の画材は基本的に鉛筆だけだけど、鉛筆の濃さを変えて色を表現するの、だから絵の具は要らないよ」

「そう?じゃあ貴女は色を入れないで描きたい人だったの。意外だわ。私にはそうは見えないから」

「私も色をつけれるならつけたい、でもできないなら諦めるしかないんだよ」

ふぅん、と彼女はおちょくる様に私を見つめる。

「なら、私と今からお出かけしない?買い物に付き合ってよ」

私はそれに了承して、彼女について行く事にした。

 彼女は文房具屋に行って、絵の具セットと筆を何本か、それとキャンバスを二つ買って私に持たせた。

「ちょっと、荷物全部私が持つの?」

「そうよ、それくらいは別にいいじゃない」

少し不服に思ったけど、彼女の楽しそうな顔をみたら「少しくらいいいか」と思えた。

 彼女はそのまま店を後にして、私を河川敷まで連れてきた。

「ねぇ、一緒に絵を描きましょ」

そう言って彼女は私にキャンバスを差し出す。私は周りの景色を見まわした。

「言ったでしょ、私は風景画は描けないの。駄作しか描けない」

「いいのよそれで、一緒に描きましょ?描くのを楽しむだけよ」

そう言って微笑む彼女の顔は、景色が良く映える程綺麗だった。

「わかった、一緒に描こう」

そうして二人で筆を取り、絵の具を使って真っ白のキャンバスに描いていく。最初は気乗りしなかった絵の具も、使っていくと結構楽しい。筆がどんどん走る。川の水が反射する色は、暗い色になり始めたところからまだ日の光を受けているところを、紺と青、そして橙色を使い、全体的に緑色の影を入れる。夕焼けの日の色はキャンバスには橙色や赤を使って塗り広げていく、そこに白い絵の具で光の筋を入れたり、黄色で調整したりする。キャンバスから帯の様に色が溢れてくる。その色の帯からは蝶々が出てきたり、魚が出てきて空中を泳ぐ、そんな景色に手を伸ばす。今なら届く、キャンバスを通して、筆が私の手になる、絵の具が指になって魚にも蝶々にも夕暮れの空にも届く。溢れる色は止まらないまま私を包んでくれる。

「あら、素敵な景色、貴女にはそう見えているのね」

彼女の声にはっとする。彼女はもう絵を描き終えたらしく、私を見ていたらしい。

「すごく良い顔をしてたわよ。今までの暗い顔とは一転した楽しそうな顔。案外悪くなかったでしょ?風景画も」

キャンバスを見ながら頷く。

「ねぇ、私の絵はどうかしら?」

彼女が見せてくれたキャンバスには、星空と川と二人の人影が描かれていた。素人らしい絵で、お世辞にも上手とは言えない拙い絵だったが、私にはそれがとても素敵に見えた。

「やっぱり下手よね、貴女はすごいわ、こんなに難しい事をあんなにも上手くやるんだから」

「そんな事ない、確かに上手じゃないのかもしれないけど、とっても素敵な絵だよ。その、もし嫌じゃなければその絵を私の部屋に飾りたい、貰ってもいい?」

「あら、そんな大層なものじゃないのに、でも貴女がそう言ってくれるなら是非貰ってほしいわ」

渡してくれたキャンバスのまだ乾いてない絵の具の色は、ずっと褪せない鮮やかさを持っている様に思えた。

「ねぇ、明日もし時間があればもう一度私のアトリエに来てくれない?今度は絵の具で描きたいの、良いのが描ける気がするから」

「もちろんいいわよ、貴女にまた描いてもらえるなんて嬉しいわ。明日3時に行くわね」

「うん、ありがと」

 彼女を描くのに5時間かかった。普段なら3時間もすれば描き終わるけど、今回は違う。髪の艶、肌のグラデーション、瞳の輝き、そして太陽の様な彼女の笑顔を、私の世界に魂を入れ込めた様な気がする。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

小さな檻、または世界 ゆっくり @yukkuri016

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画