第10話 ZOKUZOKUさせてよ
「私は……もちろん主人も愛情を持ってさおりを育てて来ました」
「……はい」
「だから、さおりが長年ストレスを抱えていたなんて言う事実は受け入れ難いです」
「いや、でも……さおりさんは現に拒食症で弱っています。思い悩んでいたんです」
明日退院の旨を伝えた後、くるみとさおりさんは、退院の最終確認の為、熊本医師の所へ行った。
そして、今回出番はないと踏んでいた俺は、突然の大役――さおりさんのお母さんとの面談を大学病院のカウンセリングルームで行っていたが、話は平行線を辿っていた。
「本当にいじめとか、変な男性に付き纏われているとか事件に巻き込まれていると言う事はないのでしょうか?」
「はい。私も警視総監から指示を受け、立件が必要な事項がないかを調査しました。しかし、さおりさんの学校における人間関係は良好でした。もちろん異性関係に関しても、共学なので男子生徒との交わりはあったと思いますが、ご心配されている様な事実はありませんでした」
「そうですか……だからと言って、家庭内でストレスを抱えていたと言うのは、いささか失礼ではありませんか?警視さん」
「いや、さおりさん本人が……」
「さおり本人が、私共を嫌だと言ったのですか?」
「いや、そう言う訳では……」
任された大役は完全に失敗した。
ガチャ
そして、そそくさとさおりさんの母親はカウンセリングルームを後にした。
それはそうと、先日本庁で部下5名が捜査で不手際を起こした。
俺は即座に全員集めて激昂。
周囲のざわめきなど気にもせず、2時間にも及ぶ説教、指導を行った。
無論コンプライアンスに抵触しない範囲のつもりだが。
そんな事はどうでもいい。
俺も慌ててくるみ達の所へ向かう為に部屋を出る事にした。
ガチャ
「あれ? 春男? もう終わったの? 今出て行ったのはさおりのお母さんだよね?」
「あ、ああ……それが……」
カウンセリングルーム前にはくるみが立っていた。
「どしたの?」
「いや、なんでもな……」
「……まさか、怒らせたとかじゃないよね?」
「…………」
「……春男、ちょっとそこに正座してよ」
無論、カウンセリングルームを出ると冷たい床の廊下がある。
「正座? ここ廊下だ……」
「いいから早くっ! シャーッ!」
「……あ、はい」
(シャーッって……お前はネコかヘビか?)
くるみはガチギレ。
俺を威圧と奇声のみで正座させた。
くどいようだが。俺は徳川春男45歳。笑う子も泣く、そして泣く子も黙鬼警視。
「何やっちゃってんの? 春男。いい加減にしないと私怒るよ?」
「す、すまん……」
(既に怒ってるんだが?)
「確かに、私とさおりさんが眠子の所へ行くから、お母さんとお話しお願いとは言ったけど、怒らせてとは言ってないよね?」
「…………」
「ほんとに駄目駄目だね春男は。ソース顔だし、いかつい顔だし、キモい顔だし、臭い顔だし、汚い顔だし、ゴツゴツした顔だし、怒らせちゃうし、だから未だに独身なんだよ」
「……いや、今回の事は顔と独身とは関係ないんじゃ……」
「うるさいっ! 口ごたえすんなゴリラ!」
「……はい……」
(ゴリラ……コンプライアンスとは?)
おかしいぞ?
罵倒されているのに、ZOKUZOKUしちゃうぞ?!
「一つだけ教えて?」
「あ、ああ」
「ああ、じゃない! 返事は?!」
「はい……」
くるみはFBIの帽子を被る。
気合を入れた証だ。
やはりガチギレだ。
「まさか、さおりは家庭内でお母さんに甘え切れないストレスを抱えていた……な〜んて言ってないよね?」
「…………」
俺はこんなにも恐ろしいウインクを初めて見た。ウインクの概念が根底から覆された。
「言ったよね?」
「いや……」
「言ってないよね?」
「…………」
「どっちっ! ハッキリ言いなさい! ゴリポン!」
「あ……はい……言いました……」
「…………」
「…………」
(頼む。何か言ってくれ)
「春男、お腹空いた。さおりさんの退院は明後日になったから」
「え? そ、そうか……じゃ、じゃあフランス料理でも食べに行くか?」
「立ち上がっていいなんて、言ってない! 正座!」
「…………」
「お寿司。美味しいとこ、ググッて。早く! 急いで! そのままで!」
「お、おう!」
その後の事は勘弁してくれ。
寿司屋でのダメ出しの嵐。
ホテル到着後の罵倒の暴風雨。
入浴後の厳しい指導の猛吹雪。
忘れられない夜を過ごした。
そして翌日
◇◆◇◆◇◆◇◆
熊本医師、くるみ、さおりさんのお母さんの三名で、退院に向けての打ち合わせが行われていた。
無論俺の参加は論外。
熊本医師お手製の【出入り禁止ゴリラ】のネームプレートを首からぶら下げ、生霊と化して見守っていた。
「あなたは?」
「お母様、こちらは――」
「くるみ。青森くるみ。さおり専属のカウンセラーだよ。さおりは明日退院するから」
こいつは敬語も使えるのに誰に対してもタメ口だな。
「はい……先程先生からお聞きしました。専属……さおりと色々話したのですか?」
「話したよ。さおりと笑ったよ」
「笑った……」
「うん。いっぱい笑った」
くるみはいきなり核心に入る。
昨日、さおりさんの拒食症はある事をすれば良くなると断言していた。
「さっき面会した時、顔色が良かったです。くるみちゃん? でしたかしら? ありがとうございました」
「でもね、さおりが一緒に笑いたいのはお母さんだよ」
「わ、私ですか? どう言う事ですか?」
「お母様は、さおりさんと一緒に最後に笑ったのはいつか覚えていますでしょうか?」
熊本医師の援護射撃に、さおりさんのお母さんは記憶を辿る様に目を閉じる。
「…………」
「それはそうと、昨日は春……徳川警視が訳のわからない事を言い出して、申し訳ありませんでした。彼の発言は、個人的な感想を述べただけで、さおりの本意とは一切関係ありません」
「あ、いえ……私も大人気なく……申し訳ありません」
くるみが敬語を……
だが、頼むから、不祥事を起こした会社の公式っぽい謝罪は勘弁してくれ。くるみ……。
そして、記憶を辿っている状態のお母さんに対して、くるみは畳み掛ける。
「さおりは、むしろお母さんに色々と相談したかった。でも出来なかった。それはさおりの自分の事は自分で決める事が出来ない弱さでもあるし、お母さんの前では、優等生で手の掛からない娘でいたかった……それがずっと抱えていたさおりのストレスなの」
「そんな……」
「だからスキンシップを図ってよ」
「スキンシップ?」
そう。
簡単な事であった。
それが出来ていなかった。
「まず、一緒に寝てよ。手を繋ぎながらね。あと、一緒にお風呂も。明日から毎日ね」
「…………そう言えば小さい時からそんな事はして来なかったですね……」
「お母様。さおりさんはお母様も念願だった進学校に入学してから、自分で決めなければならない様々な出来事に遭遇しました」
「…………」
「ドクトル熊本の言う通りだよ。さおりは常にお母さんの事を第一に考えていて、手の掛からない子でいたかったみたい。だから、成績の事も気にしてたよ」
「はい……あの子は本当に良い子でした。反抗期とも無縁な子でした」
「さおり、こう言ってたよ」
『本当のお母さんでいいのに……』
俺も、昨日の厳しい指導の際に聞いた事実。
さおりさんの現在のお母さんは、本当のお母さんではない。叔母だった。
さおりさんの本当のお母さんは、今のお母さんの双子のお姉さんだった。
もちろん、さおりさんも知っている。物心ついた時から聞かされていたから。
「私は、姉と主人がお付き合いしている頃から仲が良かったんです。姉が出産直後に亡くなってから、不憫に思い、二人のお世話をさせて頂いてました。そして、さおりが1歳になる前に、主人からプロポーズして頂き結婚しました」
「でも、その事はさおりにもちゃんと伝えていたんだよね?」
「はい。物心付いた時から……私はそれを条件にプロポーズを受けました。さおりに姉と言う存在を無かった者にしたくなかったのです。あんなにさおりが産まれるのを楽しみにしていて、妊娠期間中の状態も良くなく、大変な思いまでして出産をして、その直後亡くなってしまった姉と言う存在を消したくなかった……だから、さおりには小さい時からしっかりと伝えていました。もちろん愛情を持たずに育てた訳ではありませんが、くるみさんが仰るスキンシップ――それは十分ではなかったかも知れません。私もどこか、姉に遠慮していたのかも知れません」
お母さんは机に屈伏して号泣していた。
泣き声がこだまする部屋で、くるみはさおりのお母さんの頭を優しく撫でていた。
実母ではないと、反発し非行に走る話を聞いた事がある。
しかし、さおりさんのケースは逆で、様々な求愛が交差したすれ違いが生んだものであった。
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