第2話 カレン・カーペンターさんを偲んで

 今回は故カレン・カーペンターさんに関しての話です。

 私なりに、かなり調べてまとめたつもりですが、明らかな間違いがあればご指摘頂き構いません。



「私ね、アメリカにいる時にカレン・カーペンターさんについて、調べたの」


 「そうなのか?」


 「うん。社会心理学過程で、思い込みのメカニズムを学んだ時にね」


 「…………」


 お前は中学生だよな?

 アメリカでは授業の科目に社会心理学なんてあるのか?


 俺とくるみは秋田への新幹線の車内、ほとんどの時間をカレン・カーペンターさんに関しての話し――いや、くるみから教えを受けていた。


 カレン・カーペンター

 先述したが、兄と共にカーペンターズとして、アメリカで1969年から1982年まで活躍した。

 20枚以上のゴールドディスクを輩出し、3オクターブの声域を持つアルトの澄み渡る歌声は世界中の人々を魅了した。

 しかし、晩年はその輝かしい栄光とは裏腹に、拒食症の為、身体の機能が弱っていき、入退院を繰り返していた。

 初めて診療所を訪れた28歳の時、医師は驚愕した。

 見るも無惨に痩せ細っていたからだ。

 そして1983年、拒食症による心不全、正確には心臓麻痺で32歳と言う若さでこの世を去った。


 「時間はたっぷりあるから、春男にもわかる様に最大限努力して説明するね」


 「お、おう」


 「あ、ちょっと待って。飲み物は?」


 目の前には、東京駅で購入したうなぎ弁当が並んでいる。そう、俺達は乗車直後からうなぎ弁当を堪能しようとしていた。

 

 「おう、もちろんあるぞ」


 「……なんでミネラルウォーターなの? コーラは?」


 「いや、食事の時はコーラは良くないだろ?」


 「誰がそんな事決めたの? 科学的証拠はあるの? だいたい、こないだの立て篭もり事件の現場で、自分が好きなコーラをわざわざ用意する神経の方がおかしくない?」


 「…………」


 俺は車内販売のお姉さんが待機している、八号車の乗務員室に走り、平謝りをしてフライング販売をしてもらった。


 最近わかった事がある。

 ◯ くるみの好きな物

 コーラ、うなぎ、ナタデココ、ウーパールーパー

 ✕ くるみの嫌いな物

 口裂け女などお化けの類など非科学的な物、飛行機の離着陸の瞬間の音、わさび


 「まず、拒食症って言うのは、正式名は神経性食欲不振症、主に30歳以下の女性に見られる病気なの。日本でも増えてるよ。春男には全く縁の無い病気だね」


 「そ、そうだな……」


 「拒食症って診断されるのは――あ、紙に書くね」


 「…………」


 ◯標準体重より15%以上痩せている

 ◯明らかに痩せすぎているのに、痩せているって自覚がない。

 ◯肥満への極端な恐れがあり、まだ痩せたいと思っている。

 ◯女性の場合、生理が止まる。


 「主にこの四つが満たされる場合に、拒食症って診断されるの」


 「なるほど……よく聞くのは食べても嘔吐してしまうとかもあるよな?」


 「そだね。カレンさんの場合も、全ての条件を満たして拒食症って診断されて、食事を摂らなくて衰弱していったの」


 「そうか……イエスタデイワンスモアは名曲だったな……」


 「さっき、女性に多いと言ったけど、患者のうち98%は女性、死亡率は約5% もある病気で、精神疾患の中では最も高い病気だよ」


 「…………」


 「全米では300万人、日本でも約20万人、急激に増えているんだよ」


 「は? そんなにいるのか?」


 「そだよ。どうせ春男は多くて一万人くらいだと思ってたでしょ?」


 「…………」

 (こいつは本当にエスパーか?)


 「カレンさんの拒食症はまず、食事制限から始まったの。カレンさんがデビュー前16歳の頃は身長163センチ、体重66キロ……」


 「は? それって、どちらかと言うとやや太り気味じゃないか?」


 「でもね、デビューして大衆の面前に出た時に、周囲から少し太ってるねって言われたの」


 「なるほど……それで次第に自分の体型を気にし始めたんだな。思春期だしな……」


 「そして、4年後のある日、何気なく自分の姿をテレビで見ていて、兄のリチャードさんに聞いたの。「私、太ってるかな?」って。そしたら「ちょっとな」って答えたんだって」


 「悪気はなかったんだろうな……」


 「カーペンターズのメンバーとして信頼していた兄、幼少期から信頼していたリチャードさんの言葉にカレンさんは一大決心をするきっかけになったらしいの……絶対スリムになってやるって」


 「なるほど。それで食事制限を始めたんだな」


 「うん。その後カレンさんは食事制限で66キロから55キロのダイエットに成功したの」


 「周囲の人も、ビックリして痩せたねとか言っただろうな」


 「うん。春男はデリカシーなんか皆無だから、女の子に褒める事なんてしないと思うけど。でもカレンさんはすごく喜んだの。そして更にダイエットを続行したの。これがカレンさんの拒食症の第一期と言われる時期だね」


 「まだ始まりなのか?!」


 「うん。第二期はカレンさんの行動が活発になるの」


 「活発? 弱ってるんじゃないのか?」


 「違うよ。ここからは本当の異変。なぜかカレンさんは活発に行動するようになっていったの。ツアー、レコーディング、休みなく過酷なスケジュールの為に睡眠も2、3時間だったの。でも嫌がる事なく、むしろ精力的に、かつ楽しそうに毎日を送っていた……」


 「それは表の顔で、裏では疲れ切って嫌だったんじゃないのか?」


 「違うの。カレンさんはこの時、過激なダイエットを続けた事で、ダイエットハイと言う状態になっていたの」


 「ダイエットハイ?」


 ダイエットハイとは……

 過激なダイエットを続けた時に生じる高揚感で幸せに満ちた感覚の事。


 「βエンドルフィンって聞いた事ある? あ、ないよね春男だからね」


 「…………」


 「βエンドルフィンって言うのは脳内麻薬と言われて、モルヒネの約6倍の鎮痛効果がある身体を気持ちよくするホルモンだよ。ストレスを抱えると、それを抑えようとして、βエンドルフィンが大量に分泌、カレンさんの場合は大スターのプレッシャー、過激なダイエットとスケジュールで身体にストレスを与え続けて、一種のハイテンション状態になっていたって訳」


 「……よ、要はダイエットが苦痛ではなくて、快楽になってしまったんだな……それでますますダイエットにのめり込んだのか。合法麻薬みたいだな……」


 「うん。そして、第3期の食事の拒否。カレンさんは55キロから48キロになった。そしてこのあとから食べ物を摂らなくなったの。当時の一日の食事は、固形の野菜スープをかじる、ダイエット用の麺類、糖分のないゼリーをそれぞれほんの少しだけ」


 「…………」


 「もうこの頃には、カレンさんは空腹感を感じない身体になって、胃の収縮もなくなり食べ物を受けつけなくなってしまったの……」


 「…………」


 「まだ終わりじゃないよ」


 「……あ、ああ、続けてくれ……」


 「第4期に入ると正常な判断が出来なくなったの」


 「…………」


 「誰の目から見ても痩せすぎているのにも関わらず、カレンさんは自分が太っていると思い込んでいて、誰が忠告しても、なかなか病院には行かなかった。しかも、ほんの少しでも食べ物を口にすると、太ってしまうと言う強い恐怖心……心理学的には強迫観念に支配されて、一晩に下剤を80錠も飲んでしまったんだって……」


 「…………」


 「つまり、カレンさんは自分が太っていると言う間違った認識に支配され、自分が危険な状態にある、と言う判断すらも出来なくなったの……そしてカレンさんは、病院に行ったけど、もうその時は体重も35キロに……そして」


 「……拒食症の治療も、その頃はまだまだ発展途上だったからな……」


 「そだね……とにかく、今回の女子高生のお姉さんに関しても、カレンさんと何か共通する事があるかも知れないから、私も滞在中に色々調べるね。春男は、詳しい状況確認頼むね」


 「あ、ああ。担当医師へは警視総監から話が行ってるそうだから、確認しておく」


 話し終えると、くるみはため息をついて窓を眺めていた。


 「くるみ、どうしたんだ?」


 「うん。なんか人って難しいね」


 「どうしたんだ? お前らしくないな?」


 「そだね。まあ、とにかく私はいつも通り色々知識を得る事から始めるよ。その子ともお話ししたい」


 「…………」


 外を眺めるくるみの瞳から一筋の涙が流れ落ちたのを、俺は見逃さなかった。

 その涙は拒食症と戦い続けたカレン・カーペンターさんを偲んで涙なのか? 自分に何が出来るのか? と言う無力感……どちらの涙か、まだ俺にはわからなかった。

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