Player's pray
狐
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カーテンを閉め切った子供部屋は薄暗く、液晶の青白い光が壁面に反射する。少年は布団の中で
そこは自分だけの王国だった。誰にも邪魔されることのない、孤独で崇高な心の王国。外の世界は眩しく、敵も多い。自己防衛のために築いた高い壁の中で暮らす少年にとって、その歌は鬱屈した心を解放する手段だった。
音の洪水に身を委ね、叫ぶ言葉に声を重ねる。それだけで胸が躍った。「君だけの歌」を歌うアーティストとの、布団の中での対話だ。自分以外は誰も居ないこの部屋の扉を開ける気にさせてくれる存在がいるとすれば、彼の作る歌なのかもしれない。
いつか、近い場所に立ちたいと思った。稚児じみた夢だ。
* * *
『中途半端なんだよ。活動しないで遊んでるから登録者数も伸びないんだろ』
『人気の話題にすぐ飛びついて、節操とかないのかな? 信念とか無さそうw』
エゴサーチをしている間に見つけた厄介なアンチや過激なファンをそっとミュートし、匿名の質問箱を確認する。応援メッセージに混ざった罵詈雑言や露骨な皮肉から目を逸らし、メンタルのリセットを図る。配信ソフトの準備にSNSへの投稿、まだやることは山積みだ。
インターネットに居るのは、僕ではない僕だ。半匿名のハンドルネームを名乗り、美麗なアバター越しに肉声を電波に流していく。数年前に始めた配信活動も、最近やっと軌道に乗ってきた。
人気が出たきっかけは、有り体に言えばSNS投稿のバズだ。何気なく書いた文章がウケて、様々な人の目に留まった。そこから僕の配信を追うようになる人が増え、気付けば想定以上のファンが増えた。
無軌道に行っていたチャンネル運営を見直し、ブランディングを意識した。視聴者が何を望んでいるかを調査し、流行りのコンテンツを積極的に取り入れる。声色は明るく、笑顔を絶やさずに。
収益化のラインは満たしているが、未だアマチュアだと言っていい。どこかの事務所や企業にも所属していない、完全な趣味だ。だからこそ、僕が求めているのは“承認”なのだろう。様々な人に愛されるために、僕が選んだ形はこれだ。
「こんばんは、君たち! 今日は雑談をやるぞ〜!」
画面越しの僕がニコニコと笑いながら語る。最近あったエピソードや自らの過去の話を面白おかしく話しながら、コメントに当意即妙で返答する。今日の盛り上がりも上々だ。誰からもリアクションもないまま虚空に向けて配信をしていた頃と比べると、今の方が格段に幸せなのかもしれない。
——それでも。
アバターの関係で、画面に映るのはバストアップだけだ。放った言葉を誰かが切り抜き、僕の手を離れて拡散されていく。それが僕を知らない人にまで広がる頃には、何度のコピーとペーストが繰り返されているのだろう。全身像や話の全ては伝わらずに、僕の自我は濃縮と希釈のどちらを選ぶのだろう。
広まってくれ。広まらないでくれ。アンビバレントに揺れ動く感情が0と1のデジタルパターンに変われば、シンプルで簡素な要約文になっていく。拡散のためならそれも仕方ないのかもしれないが、削られていくノイズに少しばかりの寂しさを覚えるのも事実だ。
この声は、この姿は、“君たち”に届けるためにある。それでいいのか?
いつか僕が、またはこのコンテンツそのものが飽きられたとして、僕はそれに耐えられるだろうか?
「明日の配信は重大発表をします! 引退でも活動休止でもない、嬉しいお知らせ! 楽しみにしとけよ!!」
配信が終われば、僕は“僕”でいることをやめる。配信ソフトを落とし、代わりにテキストファイルを開いた。何度か打鍵を繰り返し、悩んだ末に全てを削除する。今日が締め切りの文章は、まだ白紙のままだ。
自分のキャラクターがしっかり伝わるような文体。ファンの人々への感謝。そして、今後の活動への抱負。視聴者やフォロワーに伝えるメッセージに、過不足があってはいけない。
あまり熱を込めすぎると周りに引かれるかもしれないから、ボツ。これを書くとイメージが崩れるかもしれないから、ボツ……。何度も繰り返し、頭を抱える。
自分らしさを定義したのは自分だ。今までの人生をコンテンツとして切り売りし、周囲にそれを定着させたのも自分だ。出来上がったイメージに行動を縛り付けられているのは、誰だ?
冷蔵庫から缶チューハイを取り出し、呷る。いつもと同じ味のはずなのに、今日は少し苦い。
同時期にデビューした配信者たちは、数年も経たないうちに活動を休止してしまった。この界隈で一定数の視聴者を安定して得ている配信者は数えるほどで、大体が理想と現実のギャップを前にして瞼を開く。そうやって現実に足を進めていく人々を責めることはできない。むしろ真っ当なのは向こうだ。
僕は、今でも目を瞑り続けている。夢を見るには眠り続けないといけない。時々瞼を開いて周囲の様子を伺えば、かつての友はもう彼方だ。
「……夢か」
アルコールで揺蕩う思考が、あの日の稚児じみた夢を思い出す。思いつくままに部屋のラックを確認し、DVDのパッケージを取り出す。十年前のライブ映像だ。
プレイヤーに読み込ませ、再生ボタンを押す。極彩色のロゴとオープニング映像が流れ、思い出すのは今も鮮明な記憶だ。
初めて行ったライブだった。地元のスタジアムにロックスターが来ることを知り、僕は胸を高鳴らせながら開演を待った。周囲を囲む観客がどの程度のファンかはわからないが、当時の僕はそのバンドをヒット曲しか知らない状態だ。きちんと楽しめるか判らない不安が、九月の夕暮れ空に浮かんだ。
結論から言えば、その不安は杞憂だった。セットリストの半分以上が知らない曲だったが、溢れる音の洪水に思わず惹きつけられる。伸びやかな歌声と饒舌に感情を語るテレキャスターの残響、目を瞑っても情景が飛び込んでくる抒情的な歌詞。
かつてのロックは反体制の象徴だったが、平和な現代における彼らの叫びは“退屈な日常への反抗”なのかもしれない。思春期の僕は恥じらいを捨て、腕が痛くなるほどに拳を突き上げた。コール&レスポンスが秋風と共鳴し、スタジアムはうねりの中で一体化していく。怪しいほどにカラフルな照明、花火や火柱の熱、火薬の匂い。ライブ映像越しでは感じられない感覚を追体験しながら、二時間の旅は終着点までたどり着く。
反響する歓声の中で「立ち向かえ」という叫びが耳にこびりついた。その意味は決して語られず、だからこそ僕に向けられた叫びなのだと思う。解釈は人によって千差万別だ。理不尽な敵なのか、くだらない常識なのか、自分自身を無意識に縛り付けていた鎖なのか。
ラストの定番曲が終わる頃になれば、手拍子やコーラスなどで一体化していた観客席が静寂に包み込まれる。音源より長いアウトロのドラムをバックに、僕たちのロックスターは三つの言葉を叫ぶ。
「胸を張れ」
「自信を持っていけ」
「君たちは、最高なんだから」
彼らのライブ終わりの常套句が、今日は胸に迫る。憧れは遠く、僕はロック歌手になれなかった。それでも、配信者としてファンの前で何かを語るという役割を全うしている。スタジアムの収容人数には遠く及ばないが、それでも。
誰かのためではない。強いて言うなら、“君”のためだ。
あの日ライブに参加して、憧れに脳を焼かれた過去の僕に。
布団を被って必死に自分を守りながら、それでも心の扉を開ける時を待ち続けたあの日の僕に。
あの日のライブを思い出して、みっともなく泣いている今の僕に。
見果てぬ夢を見ていたあの日から、今だって戦っている。そう思ってもらうために。
白紙のページに打鍵を繰り返す。リズムは歩くように軽やかに、思考は格好をつけずに止めどなく。あの日の僕に、嘘を吐かないように。
胸を張って、自信を持って、今の僕を見せる。難しいことを考える必要はない。あの日の僕か、未来の僕に届けばそれでいい。
画面の向こうのアバターは、満足げな表情をしていた。
Player's pray 狐 @fox_0829
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