第32話 後輩が修羅場を作り過ぎている件


 学内も文化祭の空気が漂ってきて活気立ってきた。


 遥とチームを組んだことから一緒にいることも不自然ではなくなり、学園でも一緒に行動することが多くなった。

 

 そして、本日下された命令は――【お昼ご飯を食べさせてあげなさい】だった。

お昼限定の命令ではあったが、恋人同士である俺たちにとってこんな命令は楽しみながらサクッとこなせる。ほんと少し前の自分が可愛いくらいに。

 昼を告げる鐘が鳴り、昼休みの時間になった。


「じゃあ、先に生徒会室に行っているから」

「はい、すぐに行きますので」


 天音さんは担任の先生に呼ばれているらしく、俺は席を立ち教室を出た。

 生徒の大衆の流れはカフェテリアに向かっており、生徒会室はカフェテリアと反対側にあるので、俺はその流れに逆らって歩く。そこで小耳に挟んだ。


「ねぇ、知ってる? 一年の御子柴先生がクビになったんだって!」

「なんか犬みたいに職員室を走り回って一年生と二年生の名簿を奪った後、D組の文化祭の集まりに飛び込んで傷害事件を起こしたんだって、ほんとやばいよねー」

「ねー、まさかウチの学校から出ると思わなかったけど」


 紳士・淑女が多く比較的治安の良い清純学園ではあるが、全員というわけではないのは田辺先輩で立証済みだ。


 御子柴の話は学校に来たら瞬く間に噂となって広がっており、生徒監禁暴力事件としてワイドショーで取り上げられるほどだった。


 学校側も対応に追われているみたいで刀華先輩と知世先輩も生徒会の仕事や文化祭の練習だけでなく、忙しく動いていた。


 今朝の朝礼でも週刊誌などから変な取材は受けないようにとアナウンスをしていた。


 直近では、生徒会室は主に俺と遥しか利用しておらず、対応に追われる二人をサポートするように生徒会の雑務をこなす日々。


 今日も遥と命令を終えた後、会長達が出来なかった仕事をやる予定だ。


 ふと、俺が生徒会室へ上がる階段に差し掛かった時だった。


「あんたが私の彼氏に色目使って寝取ったんでしょ‼」


「えー、瑠奈、何のことを言っているのか分かんなーい♪」


「とぼけんじゃないわよ‼」


 階段を下った先の隅で弁当袋を持った身躾さんを三年生の女子たち数人が取り囲んでいた。

 身躾さんと向かい合う三年生の先輩は今にも飛び掛かりそうなくらい気が立っている。


「だから~、誰のことを言っているんですか?」


「翔太よ! あんたの会社の課長の息子! 今日、急に好きな人ができたから別れようって私に言って来たのよ! 私たち、この間まで熱々だったのに……。それで翔太に聞きだしたら、好きな人はあんただって‼」


「うーん」


 身躾さんは人差し指を顎に当てて、何かを思い出すように悩んだ顔をしたが――。


「誰だか忘れちゃった♪ 多分、私を喜ばせられるほどの男じゃなかったと思うから、記憶にないのかも! なんか知らずに寝取っちゃったみたいだけど、ごめんね」


 身躾さんは舌をちろりと出して、お茶目に謝った。


 ブチっと。 


 何かが切れるような音が聞こえたような気がした。そりゃ、自分の付き合っていた男を大したことないと言われたとなると、その彼氏を寝取られた立場の彼女は大したことのない男の彼女と言われているのと同義であり、女としてのプライドはズタボロだろう。


 何より好きな人を奪われた側として、身躾さんの態度は許しておけないだろう。


「ふっざけんじゃないわよ!」


 スパーン、スパーンと廊下に痛快な音が響いた。

 先輩の平手打ちが二度身躾さんの頬を捉える。

 弁当袋も地面に転がり――。

 三度、四度、五度、六度目の平手打ちが飛び出そうになった時、後ろにいた子たちが手を抑え、静止させる。


「ちょっと、真奈美やりすぎ!」

「嫌だ! わたしまだ許せない!」

「気持ちは分かるけど、やり過ぎると私たちの立場の方が悪くなっちゃうよ!」

「でも、でも!」


 先輩たちが揉みくちゃしているところ――。


「先輩のビンタ、軽いですね!」


 と頬がリンゴのように赤くなった身躾さんがにこやかに笑う。

 上級生から詰められているというのにたじろぎしないその笑みに先輩たちは少し不気味さを覚えたが――。


「このおぉぉぉ‼」


 静止を振り切って、また身躾さんにビンタをしようとした。

 が、パシッと今度は身躾さんにその手を取られ――。

 バシーンと一撃。泣く子も黙りそうな痛烈なビンタが先輩を襲った。

 身躾さんが先輩の胸ぐらを掴んで言う。


「先輩、なんか勘違いしていませんか? 寝取られたっていうのは自分に魅力がないって高らかに宣言しているのと同じなんですけど? 先輩は私より女として下って言っているの自分で分かってます? 私より可愛くないし、美人でもない。女としての魅力が私に一つも敵わないから奪われたダメ女だって」


 身躾さんはそっと先輩の頬を触る。


「産毛処理してませんね。あと、肌荒れてますよ」


「え?」


「私は男性と会う時、完璧に自分を仕上げる。可愛くあるために、美しくあるために全力を尽くすの。でも、先輩ってさ……。もしかして……、自分の彼氏は無条件で自分だけをずっと見てくれる……そんな甘っちょろい事考えて現状に胡坐を掻いていませんか? そんな風に男に甘えると女は劣化するばかりなんですよ。女は腐っていくんですよ。今は良いかもしれないですが、もう少し時が過ぎれば、旬が過ぎてその細やかながら潤いのある肌は皺くちゃになって誰も見向きをしてくれなくなります。ちやほやされるのは今のうちだけですよ? 自分が良い男を捕まえたままにしておきたければ、死ぬ気で女を磨いてくださいよ。そんなモブ女で男を引き留めておこうとか舐めてんですか?」


「……ひぃ。ご、ごめん……なさい……」


 人を殺すんじゃないかと思うくらいの鬼の形相に先輩たちが腰を抜かす。

 身躾さんは先輩の頬を指で触り、その指を口に運ぶと苦い顔をした。


「恋愛は男女を奪い合う戦争。あなたは私に負けたの。理解した?」


 ポンと先輩の肩を叩くと、先輩はごくりと唾を飲みこんで頷いた。

 身躾さんは急にルンルンな顔になった。


「じゃ、わたし、先輩たちに構っている場合じゃないので、失礼しまーす♪」


 ペコリと一礼して、地面に転がった弁当袋を持って階段を登って来た。

 すると、俺を発見するや否や。


「あっ! 運命の人発見~♪」

「いや、全然違うでしょ」

「私の中でってことですぅ!」


 抱き付いて来ようとしたので、俺は身躾さんをひょいと避けた。

 そして、未だに放心状態のまま座っている先輩を見る。


「あれは言い過ぎだし、やり過ぎだ」

「えー、そうですか? どっちが上か教えてあげただけですけどぉ!」


 こ、この子は本当に……。

 心の内に鬼でも飼っているのか⁉

 メンタルが鋼過ぎるだろ!

 俺はルンルン気分でいる身躾さんに飽きれて、ため息をつく。


「……頬大丈夫? あと、御子柴にやられた怪我も」

「大丈夫でーす! 瑠奈は割と頑丈なので。少しヒリヒリするくらいですから平気でーす!」


 とは言っても五発もビンタを食らったのだ。

 流石に頬が腫れている。

 俺は生徒会室まで行き、冷蔵庫の中にある保冷剤にハンカチを巻いて身躾さんに渡す。


「これは何ですか?」


 身躾さんはポカンとした顔をしていた。


「何って、頬に当てて冷やした方が良いでしょ」

「このくらいほっといても大丈夫ですけど」

「きめ細やかなケアはしないの?」

「…………」

「理由はともかく腫れた顔は冷やさないと」


 そうこのままの状態でいると、俺が身躾さんにビンタした危ない先輩に見える。


「はい」


 身躾さんは渡された保冷剤を頬に持っていく。


「あ、ありがと……ございます……」

「何があったかまでは聞かないけど、あんまり遊び過ぎは良くないと思うよ」

「別に瑠奈は普通にしているだけで男が寄ってくるから仕方がないんですぅ」

「でも、それで問題を起こしているわけでしょ?」

「あはっ。なになに? 先輩、まさか私のこと心配してくれているんですかぁ?」

「いや、全然心配してない。むしろ、注意している」


 ぶぅと身躾さんが頬を膨らませた。


「でも、こんな私にまで気にかけてくれるなんて、先輩やさしー」

「いや、偶々通りかかっただけだからね。あと、一応、文化祭のメンバーだし」

「言い訳ありがとーございまーす♪ まぁ、ほんと先輩だけなんですよねー」

「何が?」

「私に靡かない男。だから、めちゃくちゃ興味ありますよ?」


 ハンカチを口に当て、俺を見据え、時が止まる。


「遅くなりま……」


 タイミング良く遥がやって来たが、急に立ち止まる。

 心なしか場の気温が十度くらい下がった気がした。

 

「身躾さん、生徒会室まで何しに来たんですか?」

「瑠奈はと親睦を深めようと思いましてぇ、お昼を食べようと思ってきたんですぅ!」

 

 身躾さんは手に弁当箱を持っていた。

 まさかの命令とバッティングするとは思わなかったが、断るか?

 いや、断っても付きまとってきそうな勢いだ。

 そうなると身躾さんがいる中で昼ごはんを食べさせなければいけないということか。


「そうでしたか……。では、身躾さんの衣装が全然完成していないので、お昼が終わったら作ってください」

「げー、自分でやらないと駄目な感じですかぁ?」

「一応、そういう決まりなので」

「まっ、八代先輩と一緒にお昼ご飯を食べられるなら良いですかね~! ね、せーんぱい♡」


 トンと身躾さんが俺の肩に頭を当ててくる。

 こういうことをするから三年の女子から疎まれているのだと思うのですがー‼

 しかも、いつもの積極的な身躾さんに戻っている。


「身躾さん……ちょっと離れて。ひっ!」


 ゴゴゴゴゴと地鳴りが鳴り響き、遥の髪が心なしか逆立っているような気がする。


「二人とも、早くお昼ご飯を食べましょ?」


 対する遥は、いつもの穏やかな顔から笑みが消えていた。


「はーい!」


 身躾さんはなんも気にしていないようで……メンタルが鬼強すぎる。

 これから入る生徒会室が地獄の門に見えたのは気のせいだろうか。

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