第4話

 明治維新の地租改正で農家は税金で苦しめられてきた。特に東北の農家は冷害の影響もある、農産物の価格の下落の影響もある。実に悲惨な状態だ。彼ら貧しく弱い人々を犠牲にして、一方では、資産家と言われている富裕層は、そこに目をつけて海外から穀物を買い付けてうまみのある商売をした。さらに農家から落ちこぼれ、食い扶持を失った連中を集め、安く過酷な労働条件で働かせ、ますます富を得ていく。そんな強欲な連中が、さらに新天地、満洲に目をつけた。そして、天皇の側近を巻き込んでこの国を金もうけのために利用しようとする。そんな不平等な世の中に、怒りを持つ者たちがいることは当然なことではある。


 昭和11年2月26日の蹶起。これは、天皇を奉った一部の青年将校たちが昭和維新を実行しようとしたものだった。しかし、彼らの主体的意思が、天皇の意思と衝突すると考えていなかったことが敗因だった。それゆえ、赤穂浪士と同じ、義に駆られた暗殺者集団が起こした人情事件に成り下がったともいえる。


 北の前で男は続けて吠える。「陛下。陛下の則近は国民を圧する漢奸で一杯でありますぞ。お気づき遊ばさぬでは、日本が大変になりますぞ。今に今に大変なことになりますぞ」彼の言葉は天皇に対して次第に激しい怒りに代わっていく。「どうして、あなたはそれがわからないのか、あなたは一体何を考えているのか」


 結果、この暴徒たちの行為は、その後の我が国の悲劇的な時代を到来させることになる。いや、間違えてはいけない。若き将校たちによって起こされたこの無謀な行為が暗黒の時代を呼んだのではない。貧困にあえぐ人々を、そして貶められた国を救おうという無垢な心にもかかわらず、無謀な武力行使を選んでしまったその結果が、予想に反して天皇の怒りにふれ、彼らの考え方が粛清され、反対勢力の伸張を呼んでしまったからなのだ。


 北は、何かに気づいたように、立ち上がり、誰もいなくなった狭い独房の中をぐるぐると回り始めた。八咫烏はその様子を見て、やれやれといった表情。


 人々の生活は、格差を生んでいた。一部の資本家が、労働者を搾取して蓄財を増やしていく一方、農魚村では気候変動による不作不漁が続き、安定な生活が望めなくなっていた。にもかかわらず政府は人々の暮らしに自己責任を押し付けると同時に海外にはいいところを見せようとして高付加税を課そうとする。そのような世の中に不穏な空気が生まれるのはいつの時代も自然の成り行きではないか。


 そろそろ何かが起こるころだと、思ってはいた。遂にやったか。連絡を受けたのはその日の午後だった。前日から雪が降り積もり、その男は、自宅にこもり日本改造計画書の改訂の草案に手を入れていた時だった。

 知らせを聞いた時には、ほぼ計画は終わっていた。彼らが目の敵にしていたふがいなき売国奴たちに制裁を下していた。特高が北のもとにやってきたのは、事件が収まった3日後だった。


 本来の志はお互いに同じ方向を向いていたとはいえ、直接事件にかかわったわけでもなく、指導したわけでもないのに、彼らと同じように、拘束され、しかも死刑宣告を受けたことを、男は完全に理解できていたわけではない。

 しかも、事件の成り行きは、この男にとっても、事件の首謀者である若き将校たちにとっても、思いとは逆の方向に向かってしまった。この国の在り方を考えぬいてきた人生が誤りだったのか。事件を起こした若き将校たちの意気というものが、無駄でしかなかったのか?


「可哀想だが、観念するんだな。お前さん」カラスのくせに生意気な口を利く。


「勿論、観念はしている。彼らが銃殺される音も聞いた。周りで演習と称して空砲をやたら撃ち鳴らしてごまかそうとしていたみたいだが、間違いなくその中に実弾の音も交じっていた。ああ、執行されたんだな、と分かったよ。私の考えに影響されたというなら、彼らを死なせた負い目はある。だから、私は彼らのためにも後を追うことを惜しまない」

「お前の日本改造計画が頓挫してしまうんだぞ。後悔しないのか?」

「どうせ、おまえは、この先どうなるか知っているんだろう」

「そうだ。この国は、大変なことになるのさ。彼らの失敗によって、これから起こるとんでもない大きな戦争を始めようとしている連中を止めることができなくなってしまうんだ。俺たちカラスもえらい迷惑だ。最後には、東京を始め大きな町が火の海になってしまうんだ。俺たちだって餌もなくなり、住むところも追われて犠牲になるやつらが出てくるのさ」

「そうなのか。シナとうまくいかなくなるだけじゃないのか」

「甘い甘い。シナだけじゃないさ。世界を相手に戦争を始めちゃうから、最後には、広島や長崎に大きな爆弾を落とされて、いっぺんにたくさん死んで。バカな話よ」


 そういうことになるのか、だったら本当は彼らの蹶起を成功させなければならなかったんだ、と男は、彼の片方の視力が残された眼に苦悩の表情と妙な納得の表情を重ねて見せた。

 今、男は、生まれ故郷の佐渡の海を思いだしていた。


 彼の銃殺刑が施行された4年後の昭和16年12月、日本はハワイの真珠湾を攻撃した。そして、さらに4年後の昭和20年、日本本土は空襲漬けの日々を迎え、そこで足を一本負傷した八咫烏は、もはやこの国を導いていくのは無理になってしまったのか。3本の足の負傷した1本を捨て、2本足のただのカラスになっていた。


               完

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雪の上にあだ花散る 寺 円周 @enshu314

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