まほろば駅3番線、純情列車。

魚田羊/海鮮焼きそば

はつでえと

 私には三分以内にやらなければならないことがあった。だから走る。

 これを逃したら、集合時間には間に合わない。まあ、その次の電車に乗ったら十分遅れくらいで済むとは思うけど……今日の私は、一分でも遅れたら大犯罪の気持ちで生きてるので。

 あの人を待たせたくないから。

『まだかな』って、不安にさせたくないから。

 ――自分のせいでこの初デートに傷がついたら、私は私を許せないから。


 ぴかぴかきらきらを夢見る高校生活。そのはじまりを同じクラス、隣の席どうしで迎えたのが、私とあの人の出会いだった。第一印象はいまでも覚えてる。

『く、熊?』

 すごい威圧感で私の席のほうへぬうっと迫ってくるあの人を、座ったまま見上げてた。だからよけいに、二足歩行で襲いかかってくる熊みたく見えたのかも。

 ……いまならわかるけど、あれは威圧感を振りまいてたんじゃなくて、ただがっちがちに緊張してただけなんだよね。まったく、気持ちの出し方が不器用というか、見た目で損してるというか。

 

 こんな怖そうな人と隣どうしか、から始まったけど。

 ぎょろりといかつい顔と、バスケで鍛えたっていう大きな身体を見て、つい思い込んでただけで。先入観をめくったら、中はぜんぜん違ってて。本当のあの人は、気弱でやさしい気遣いさん。

 そのことに気づくのに、意外と時間はかからなかった。

 ……私の奥深くで、知らない気持ちが芽を出すのにも。


 戸惑った。ずっと教室の透明人間だった自分に、そんな出来事があるなんて思ってなかったから。たまに話しかけて、話しかけられて、少し知って、でもたいていは眺めるだけで。三学期のはじめまでずっとそうだった。

 でも、ふと限界がきた。もだもだするより動いたほうが早い。大当たりするか砕けるか、どっちかひとつに決まりたい。楽になりたいって思ったのは、だいぶ勝手な動機だけど。

 震えをてやーっと振り切って、あの人を体育館の裏に呼び出した。ベタすぎって、ただひとりの親友に言われるのは覚悟。なんだったら上等。乙女のど真ん中を突っ切ってみせたい。

 そんな気持ちで、正面から好きを伝えたら。

 うっかり伝わってしまって。

 思った以上の想いが返ってきて。

 恋人になったいま、どきどきの初デートin観光牧場に至ってるわけだけど。

 

 そんで、焦ってるわけだけど。


『なんでこんな混んでるの!?』


 声には出さないで叫ぶ。

 朝早く別の用事をこなしてから直行するっていうあの人に合わせて、十時半に現地集合。私は目的地の最寄りまで、ひとりで電車を乗り継いで行くことになる。

 ふだんあんまり電車に乗らない私だから、電車の時間とルートはしっかり調べた。十時九分に最寄り着。乗り換えは真幌場まほろば駅での一回だけ。その真幌場駅も、何回かは使ったことがある。

 けっこう大きな駅だ。たしか明野大社あけのたいしゃっていう恋愛成就で有名な神社が近くにあって、観光に来てそうな感じの人も多かったような。別に改札から出るわけじゃないし、初詣シーズンはもう過ぎたし。乗り換えで迷ったり人ごみで時間切れになったりなんてしないはず……おっきな問題をひとつ、鋼の意思で無視したら。

 そう。問題があって。

 ――乗り換え時間が、たった三分だってこと。

 しかも乗り換え先のホームまでちょっと距離あるし、私のマラソン力は死んでる。いらないおまけがふたつある。

 でもぎりぎり、ぎりぎりなんとかなる。だって下見したもん。当たり前にしんどくなって、髪型は大崩れだったけど、それでもなんとか間に合った。


 だから本番きょうも大丈夫。

 ――そのはずだったのに。


 どこを見たって、人、人。すごく人。

 電車の中からいやな予感はしてた。春休みはまだもう少し先なのに、びっくりするくらい満員電車だったから。みんなの降りる駅が真幌場駅じゃありませんようにって、ずうっと祈ってたけど。

 うん。無駄だった。

 ほとんどの人が私といっしょに降りてくんだって気づいたときの、真っ逆さまな体温。『血の気が引く』って言葉をあんなに実感できる日は、二度とこないと思う。


 なんか、人気アイドルのツアー開催と市民マラソンが重なったんだって。電車の中、声の壁を突き抜けて聞こえてきた、女の子たちのきゃぴきゃぴした会話によるとそうみたい。その重なりのどっちにも関係ない私なのに。人の渦に巻き込まれてぜんぜんホームを抜け出せない。階段もエスカレーターもエレベーターも、ゆるりゆるりとしか近づいてこない。人に囲まれたままじゃ、息をするのもたいへんだ。


 腕時計だとあと二分。自信はない。もう一本早いのに乗ればよかったかな。準備とかお化粧とか考えたら、いまのスケジュールでもぎりぎりなんだけど。

 じりり、じりりと進んでく。じりりとしか進まない。

 大繁盛のエスカレーターはあきらめて、階段の一歩目を踏み出す。あと一分。むりかも。今日この時間、この駅が混むの、ちょっと調べればわかったはずなのにな。

 少し楽になった人ごみ。それでも危なくない速さでしか降りられない。持ってる手提げかばんが暴れ出さないくらいの速さでしか。……よかった、誰にも迷惑かけなくて。

 降りきったら周りを見る。あった。『3』の看板。

 3番線に、私の電車がくる。電光掲示板の文字がオレンジに輝いてる。『電車がまいります』を点滅させて。

 今度は昇る。世界中の空気が私ひとりを押しつぶそうとしてるみたいに、身体が重い。もうしんどい。でも、あの人の思い出に泥を塗るのだけは。

 めちゃめちゃに足を持ちあげて。踏み降ろして。やがてホームが目に入ったとき、私は――


 乗るはずだった電車が、ゆるい左カーブの先に消えていくのを見た。


 だめだったんだ。

 波が引くみたいに、全部がさあっと遠くなっていく。

 だいたいは私が悪くて、ちょっとだけ運も悪かった。素直にそう思う。涙はたぶん出てない、けど。

 あの人を待たせてしまうこと。『楽しみにしてる』って、はにかみながら言ってくれたあの人。たとえ十分遅れで済んだとしても、『楽しみ』を十分もおあずけにしてしまうなんて。ううん、おあずけにする、じゃ甘いよね。私が遅れれば遅れた分だけ、あの人の『楽しみ』が『悲しみ』に変わるとしたら。そんなの絶対にしたくないのに。


 人を運びきって、がらんどうになった3番線。私は動けないでいる。

 あったかいはずの春風がいまは冷たい。

 冷たい風を、カーディガンでただ受け止めるだけ。


 ――急に、アナウンスが響いた。


『3番線に、特別列車がまいります。黄色い線の内側で、気まぐれな救いをお待ちください』


 特別列車はまあ、あるかもだけど。

 気まぐれな救い? なにそれ。そんな構内アナウンスないよ。おかしいよ。それに、まだ次の電車はこないはず。


 はてなマークがいっぱいに襲いかかってきて、頭がヘンになりそうだ。

 なのに同じホームの反対側、4番線にいる人たちは、なにもなかったみたいに話をしてたり、電車を待ってたり。

 はてなマークがもっと増えてく。


 もう考えるのもしんどくなってきた、そのとき。

 ――ぴううっ。


 急に風が吹いて、前が見えなくなる。なにこれ。

 ちょっとの間続いた風。ようやく止んで、目を開ける。服になにかがついていた。ええっと……桜の、花びら? 季節にはまだちょっと早いはずだけど、たしかに桜吹雪だ。


 なんで、が知りたくて、とりあえず目の前を見てみる。そこには――

 ――桜の花びらと同じ、淡いピンクと白のマーブル模様の電車が止まっていた。一両だけで、なんだかちんまりして見えるのに、不思議と目が離せなかった。

 方向掲示板には『純情列車』の文字。もうなにがなんだかわかんないけど、誘われるみたいにドアが開いたから。手遅れになったいまの私をほんとに救いにきてくれたんじゃないかって、勝手に思っちゃったから。

 そっと一歩、足を踏み入れてみる。

 

 中は――あれ、意外と普通だ。つり革がハート型になってるのはインパクトあるけどそれくらいで、あとはさっきまで乗ってた列車と特に変わらない感じ。座席のシートが真っピンク、なんてこともなくて、よく見る青色だし。

 だけどなんだろう、ここにいるとすごく落ち着く。あの人となんでもない話をしてるときの感じに似てるな、なんて思っていたら。

 

『お乗りの列車は、戸惑いと高揚のなか結ばれていった純情な恋人たちの、わくわくどきどきな初デートを応援するための特別列車となっております』


 アナウンスが響いた。舌っ足らずで幼く聞こえる、女の子の声。だけどその奥に身体を縛りつけてくる重さがあって、不思議な気持ちだ。

 きっとこの声だ。この声の持ち主が、私を純情列車に誘ったんだ。……でもうれしくない。初デートを応援するって言われても、私のせいでもう台無しになっちゃったから。


「まだあきらめる時間ではございません。当該列車は本来、目的地に着くまでの間もふたりきりの幸せな時間を過ごせるように走っておりますが。本日に限っては、ただひとりのお客様をに目的地へお送りし、悔いのない初デートにお繋げすることが使命です」


 私の考えを見透かすみたいにアナウンスが返ってくる。ただひとりのお客様、と声は言った。やっぱり、本当に私を。

 はてなマークはまだまだ消えないけど。どう考えたって普通の列車じゃないし、なんでわざわざってなるし、初恋を応援してるのかそれとも初デートを応援してるのかいまいちわかんないし。あとこの声は誰なの。


 また答えが返ってくるかなと思ったら、なんにもない。代わりにドアが閉まって。


『発車いたします』


 ふわっ、と。なんの音もしないで、純情列車は走り出した。


 ☆


 どうやって前の列車に追いつくんだろう。時刻表にない列車が走ってたら、事故になったりしないのかな。いろんなことがありすぎて頭の中ぐちゃっとなってる気がするけど、それくらいは考えられた。


 窓の外の景色は意外とゆっくり流れていく。途中の駅は通過していったから、ほんとにずっと同じ速さで。

 これで本当に、予定してた時間に到着できるのかな。

 

 そう思ってたら、急に目の前が真っ白く光った。


 ぼやけた光の中から現れたひと。

 それは、桜色の和服姿をした、おかっぱ頭のちんちくりんな女の子。


『そこな女子おなごよ。この縁結びの神に任せればよいぞ』

 

 さっきまでのアナウンスと同じ声で、その子に話しかけられた気がして――そこから先は覚えてない。

 

 ☆


『終点、終点です。お客様と、お客様の大切な人の初デートが、楽園まほろばのようにしあわせな時間となりますように』


 目を開ける。ここは……ホームの上? すぐに周りを見渡す。純情列車は見当たらない。まるで最初からいなかったみたいに。代わりに駅名標を探す。視界に入ったそれには、たしかに私が目指していた駅の名前が書いてある。

 腕時計は定刻通りの十時九分。いまから歩けば、集合時間の五分か十分前には着ける。用事のせいでどうしても到着がギリギリになるあの人に、「そんな待ってない」って笑顔で言える。


 ……改札に向かいながら、思う。あの女の子はなんだったんだろう。縁結びの神とかなんとか、言ってた気がするけど。

 

『呼んだか』

「ひゃいっ!?」


 半透明に、ふわふわ浮かんで。さっきの女の子が目の前にいた。


『声を出すでない。余の姿はふつう下界の民には視えぬゆえ、不審に思われてしまいよ。案ずるな、口に出さずとも余には通じる』


 急に言われても。

 ……じゃあ口には出さずに訊きますけど、あなたは誰ですか。なんでここまでしてくれたんですか。


『言うたじゃろう。余は縁結びの神であると』


 たしかに言ってましたけど。

 

『恋や愛の成就と、成就してからの進展をひそかに後押しすることこそが余の使命じゃ。世の民すべてを、とは残念ながらいかぬが。せめて、余のまなざしが最も届きやすいところを――この真幌場の地を訪れる者に対しては、できる限り力になってやりたいと思う。「はつでえと」とやらは、恋人たちの踏み出す第一歩として、大事な儀式なのじゃろう? だからそなたに手を差し伸べた。この答えでは足りぬか』


 ありがとうございます、神様。じゅうぶんです。それで。

 でも、こんなあったかい救いの手を受け取ったんだから、なにかお礼をしないと。あなたがどこの神社に祭られているかは知らないけど、お参りとか。


『察しの悪い女子おなごじゃのう……』

「えっ?」


 思わず声が出た。ホームに響いちゃったかな。

 でも、神様が急に。


『気にするでない。……礼もいらぬ。そなたからは既にある程度受け取っておるし、この後も受け取るつもりじゃからの。では、「はつでえと」とやらを楽しむんじゃな』


 にまー、っと。横いっぱいにくちびるを開いた、ちっちゃい子みたいな笑顔で、よくわかんないことを言いながら。その女の子は――縁結びの神様はどこかに消えてった。

 なんだかもやもやはするけど……私の初デートを応援したいって気持ちも、そのために救いの手を差し伸べてくれたのもきっと本当で。あの神様のおかげで私は、デートの前からあの人を悲しませたりしないで済んだから。

 うん。いまは、ずんずん歩けばいっか。

 駅を出たら、あったかい日差しと、くすぐったい春風のなか。牧場のある小高い丘へ向かって、私は歩き出した。


 ☆


「お、おはよう。……待たせたか?」

「ううん、いま来たところだよ」


 入場ゲートの前。待ち合わせは時間通り。私を見つけた瞬間恥ずかしそうに目を逸らし、それでも声をかけてくれたあの人と、うっかりあこがれのやりとりをしちゃって初デートがはじまる。

 この日のためにいっぱい考えてくれたんだろうな。がっしりした身体が少しでもシュッと見えるように悩んだんだろうな。手に取るみたいに分かる、きれいめのカーキ色ベストと白シャツのコーデ。それでくるんだせっかくの上半身をぎゅっと縮こめながら、不安そうに私の様子をうかがってくるこの人。待たせてないか心配してくる人を安心させられるなら、ちょっとしたつよがりも私には楽しいんだな。いろんな意味でべったべたなやりとりを、実際やる機会がきてみてわかった。

 いまこの気持ちを知れてるのは、待ち合わせに間に合ったから。

 間に合ってなかったら私は待たせる側になってた。そのときはきっと、まっすぐすぎるくらいまっすぐなこの人は、つよがることもできずに私を心配したはず。悲しませてしまってたはず。

 だからこれは――ぜーんぶまとめて、純情列車と、あの不思議な神様のおかげだ。


 ありがとうございます、神様。

 いまだけ軽く目を伏せて。もう一度、心の中でつぶやく。


 「……あれ?」


 ちょっとだけ下げた目線の先に、自分の手提げかばんが入ってくる。そしたら気づいた。

 かばんに知らないワッペンがくっついてる。知ってる絵柄の、ワッペンが。

 なんかやたらゆるいタッチになってるけど。

 どう見ても、あの縁結びの神様だった。


 ねえ神様。もしかして、いまも見ておられるんですか――?


 にまー、っと。ワッペンの中の神様が、見覚えのある顔で笑った気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まほろば駅3番線、純情列車。 魚田羊/海鮮焼きそば @tabun_menrui

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ