第5話 竜宮城
数週間、マスコミは競うように長谷川の自殺を取り上げていた。
時代の寵児であった長谷川の自殺、それも不可解な自殺について、あらゆる憶測が飛び交っていた。
しかし、長谷川が個人の趣味で巨額の研究費を流用していたことが分かると、その責任を取った自殺ということでマスコミは納得し、長谷川の事件はすぐに忘れ去られていった。
夏も終わる頃に加藤がふらっと交番にやってきた。
遠藤が交番にいないことを確かめるようにして入ってきた。
「遠藤さんは」
「いま、パトロール中です」
奈々が麦茶をだすと、ぐいっと一杯飲んで加藤はスマフォを取り出した。
「奈々ちゃん、このニュース見た」
「ああ、桜田さんの記事ですね。フランスの会社に買収されたそうですね」
「買収というか、共同経営、合併なんだけど。昨日、昭彦先輩が研究室に来て、ちょうどこの記事の話しがでてさ、昭彦先輩が言うには、この会社との合併に長谷川さんは反対していたんだって」
「どうしてですか」
「長谷川さんは、自分たちで開発したいけど、合併したら何もできなくなると言ってたらしい」
「あの等身大のホログラム装置ですか」
「うん。なんかずっと前から会社の経営はかなり厳しくなってたらしい」
「それで桜田さんは合併の話しを進めていたんですね」
「うん。それだけじゃなくって、会話システムは長谷川さんでホログラムは桜田さんっていう暗黙のルールがあったらしいんだけど、そのルールを破って長谷川さんが資産を注ぎ込んで開発して、特許も出そうとしてたんだって。桜田さんが合併に拘れば、自分の会社を作ることも考えていたみたい。一緒に酒を飲むと、このことでいつも二人は言い争ってたと昭彦先輩が話してた」
「じゃあ、加藤先輩の想像っていうか、仮説は正しかった、じゃあ、桜田さんが」
「状況証拠としてはそうなるのかもしれないけど。この話しはもう警察に呼ばれて話したって昭彦先輩が言ってた」
「じゃあ、ここまで全部捜査したうえで、自殺として終了したってことですか。そんな、ひどい」
「僕も、昭彦先輩も奈々ちゃんと同じで、すっきりしないんだよね。それで、なんかムシャクシャして奈々ちゃんに話しに来たってわけ」
「分かりました。と言ってもどうすれば」
「いや、どうもできなだろう今更。けど、ほら、奈々ちゃんはキャリア組で将来偉くなるかもしれないから、話しておいて無駄にはならないかなって思ってさ」
そして、加藤が「いやあ、話してすっきりした」と立ち上がった時に、遠藤が帰ってきた。
交番の前で若い夫婦と挨拶している。そして「何かあったら何でも相談に乗るからな」と言って、交番に入ってきた。
「いやあ、そこでばったり会ってな。俺が交番勤務を始めた頃の小学生がさ、結婚してここに戻って来たんだって。交番のおまわりさんですかって、話しかけて来てな。いやはや、あの小学生がもうお父さんだものなあ」
「交番の警察官は誰でも交番のおまわりさんですけど」
「あら。この前のトッチャン坊やでなくて、えーっと。加藤君じゃあないか。どうした、どうした」
加藤は「あっ。じゃあ」と言って逃げるように交番を出て行った。
「どうしたの彼。リケジョ、いや河合巡査長が恋しくて来たの」
「違いますよ。それがですね」
奈々は加藤から聞いた話しを遠藤に話した。
熱く話す奈々を「ああ、ああ」と興味なさそうに聞いてる遠藤だった。
奈々の話しが一段落した時に遠藤が言った。
「知ってたよ。金子に聞いた」
「本庁に行ってたんですか」
「この前な。やっぱり気になってな」
「じゃあ、本庁も捜査をしているんですか」
「いや。もう決着がついたと言ってたよ。勿論、こっちが知っていることは全部知ってるさ。それでも証拠が何も出なかったから、終わりになったそうだ。まあ、彼女を声を流しただけじゃ自殺幇助にはならんしな」
「それに、あの天才科学者」
「桜田さんですか」
「そう。とっととフランスに行ったので、手の出しようもないそうだ」
「そうなんですか。確かに証拠がなければ、終わり。私達が勝手に疑っているだけ、ですものね」
「まあ、一息しな」と遠藤は奈々に麦茶を注いで渡した。
「遠藤さん」
先ほど話していた夫婦の男性がお年寄りを連れて交番に入ってきた。
「ありゃあ、お巡りさん」
「ああ、岩崎さん」
お年寄りが遠藤に握手を求めてきて、遠藤も何度もお年寄りの手を握るのだった。
遠藤が、交番に戻ってきたのを、息子から聞いて懐かしくてやってきたのだという。
男性とお年寄りが帰った後で、これまで遠慮してきたことを奈々は遠藤に聞いた。
「遠藤部長、どうして交番勤務に戻ったんですか」
「さあ、なんであろうなあ」
「本庁にいれば、退職時の役職も、それから、きっと部長は気にしてないと思いますが、退職金だって違って来るのに」
「そうだなあ。なんでだろうなあ」
「済みません。変なことを聞いてしまって」
「いや。うん、そうだなあ。俺にとっては普通だけど、リケジョの常識とは違うんだろうなあ。そうそう、きっと俺も竜宮城に戻ってきたかったんだ。まあ、偉い刑事さんもいいが、ここが良かったんだなあ。それだそれだ、竜宮城。乙姫でなくて、リケジョしかいないけどな」
「部長にとっての龍宮城ですか。長谷川さんと違って、夢の世界じゃなくて、現実世界の龍宮城なんですよね」
「うーん」と考えていた奈々が思いついたように遠藤に言った。
「部長。だから、そのリケジョというのは止めてもらえませんか」
<終わり>
ホログラムの恋人 nobuotto @nobuotto
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