魔法使いの意志と感情と本能

良前 収

翔る

ラークには三分以内にやらなければならないことがあった。

かける、ける、ける。


だが懸けてはならない、賭けてはならない、欠けてはならない。

そう約束したのだから。

だからどんなに懸命でも必死でも、それを「文字通り」にすることは許されない。これは魔法使いであるラークにとって重すぎるかせだった。


魔術師は技術スキルによって只人ただびとにはできぬわざを行う。技術は訓練を積んで身に付ける手順であり、魔術はその手順に従って行使される。

一方、魔法使いは祝福ギフトによって同様の業を行う。祝福は生まれつき所持するものであり、魔法は本能、感情、強い意志をもって用いるのが本質だ。


しかし今、ラークの感情と意志は激しく矛盾し衝突していた。


懸けたい、賭けたい、欠けたい。

だがそれはならぬ、約束したのだから。

ラークの内に渦を巻く葛藤かっとうこそが、その魔法を減衰させる。事の成否を決めてしまうまでに。


嘲笑が耳に聞こえる。幻聴に過ぎない。それでもその声がさらに魔法を減じる。


(アリア……っ!)


約束をした少女の顔が脳裏をよぎった。ラークは歯を食いしばり、渾身こんしんの意志の強さを魔法に乗せる。

わずかに速さが増した、気がした。けれど「気がする」こそが魔法使いには重要――!


「はーははっ! しぶといじゃねえか!」


不意に幻聴ではない声が聞こえた。


「だが、ラーク! お前は遅すぎるんだよ!」

「コキュ……!」


斜め後方から急速に接近してきた少年は、ぴったりと貼り付くようにラークに並んできた。余裕の表情で。


「これで終わりだ! 今日、全てがな!」

「……させる、ものかっ!」


瞬間的に怒りが爆発した。


激情が魔法に乗る。いや、怒濤どとうが魔法を押し流す。感情の奔流が意志など弾き飛ばした。

はっきりと速度が上がった。なのに、コキュは薄く笑ったまま相対位置を変えない。


「どうしたどうした、よぉ!」


明確な侮蔑に、激情と速度がさらに跳ね上がる。


「はははっ! はーははははっ!」


コキュの耳障りな哄笑こうしょう


「残念だなぁ、カワイ子ちゃんが――」


耳障りな表現。


「もうすぐ魔にまみれたケダモノの、餌食えじきになる!」


瞬間的に、今度は頭の中が冷えた。

その光景をありありと想像してしまう。

無力な少女が、すべもなく――。


「ああ残念だ、残念だなぁ! はーははははっ!」


しんに何も含まぬ空虚な哄笑が響き続け、その果てに、


「残念だ、ラーク」


奇妙なを秘めたような、低い声が聞こえた。


ラークの息が詰まり、


(…………諦めない! 絶対に――!)


魔法使いの魔法に、意志と感情と本能が一致した。

そして、只人には起こせぬ奇跡が起こる。


ラークの身体が変化する。輪郭りんかくがぼやけ、ほどけ、粒子と化していく。そのまま身の内さえも全てが頸木くびきから解き放たれて。


力そのものが、一直線に翔る。


「……はははははっ」


取り残された少年はまた笑った。


「いけよぉ、ラーク……」


呟いて、追いかける。力そのものに比べればゆっくり遅く、それでも。


その時ラークは、目的地を、目指した少女を視覚的認識に捉えていた。


(いける、間に合う……っ!)


力そのもののまま、矢のように飛ぶ。広い草原の中央にいる少女のもとへ。

ほとんどぶつかるように約束の物を少女の手に渡して。跳ね返るがごとく離れて、ふわりと人の姿に戻った。自然と出来た。


その瞬間、約束の物の上に載せられた魔道具が、三分経過を知らせた。


ピピピッピピピッピピピッ。


小鳥のさえずりに似た、軽快な音で。


を持った少女は、器用に片眉だけを上げた。無言でソレのふたを開け、中をのぞき込んでから、おもむろに取り出したフォークを突っ込む。くるくると中の物を巻きつけ、口に運んだ。


ズルズルとめんすする音がその場に響く。


「うん、不正のたぐいはないようね」


うなずいた少女は、唇を歪めて笑う。


「ラークのくせに」


反射的にラークは拳を握って主張する。


「アリア、ひどい! 私だってやればできる!」

「なぁに言ってるの、九十八回連続で使いっ走りに失敗した、あんたが」


フン、と嘲笑してきた少女に、ラークは結局項垂うなだれるしかなかった。事実だからだ。

そんなラークを放置して、アリアは即席麺をおいしそうに啜っている。


「おぉい、アリア、ラークぅ。間に合ったのかぁ?」


呑気のんきな声が聞こえたと思えば、コキュが軽やかにラークの横に降り立つ。


「もちろん間に合ったわよ!」

「ラークのくせにね」


噛みつく返答と嘲笑混じりの返答に、コキュはまた声を上げて笑った。


「これで午後の進級試験でも出来んだろ。一回出来たら身体が覚えっから、もう楽勝だぜ?」


少年はラークの頭に手を伸ばしてでようとし、憤然と払いのけられる。


「頭撫でんのやめろっていつも言ってるでしょ!」

「いやぁ、お前の頭ってちょうどいい位置にあんだよ」

「それは勝手にどんどん身長伸びたそっちが悪い!」

「そこはしゃあねぇだろ、俺は男でお前は女なんだから」

「うるっさい!」


よほどラークのほうがうるさいが、これこそいつものことだ。毎度お馴染なじみの「痴話ちわ喧嘩げんか」――ただしこの表現を使うとラークが怒り狂う――を眺めながら、麺を啜る音に混ぜてアリアは安堵あんどの息を吐いた。これでラークも進級できる。


アリアたちがいる王立魔術魔法学校は、魔術の技術スキルを身に付けようとする者のみならず、祝福持ちとして生まれた者も入学する、王国で唯一の教育施設だ。

ここでは各学年の最後に進級試験が行われ、基準に達していなければ落第となる。それでも貴族や裕福な家の子であれば再び同じ学年で学ぶため学費を支払えるが――国からの奨学金で在籍していた生徒は退学するしかない。


祝福持ちでありながら退学によって魔法使いの国家資格を取得できなかった者は、宮廷魔法使いから隷属れいぞく魔法を施される。その魔法使いのとして、一生を送ることになるのだ。

彼らは望んで祝福を持って生まれたわけではないのに。国に存在を知られるや否や逆らうこともできずに連行され、王立学校に投げ込まれただけなのに。


第三学年末の進級試験、祝福持ちに課せられるのは「力そのものに変化する」こと。

ただしアリアは、所定の下限年齢に達し入学した時点ですでにこれが可能だった。

だから第三学年になった直後、片手の指で数えられる人数しかいない同期生たちに宣言したのだ。


『先達として私が指導するわ。私に従いなさいな』


魔法使いのための教育訓練課程とやらは有名無実の代物しろものだと二年間で思い知っていた同期生たちは、全員即座に頷いた。

そこでアリアが彼らに要求したのが使いっ走り。「三分後に出来上がるまでに草原中央にいるアリアへ即席麺を届ける」だった。


この時、彼女は「命を懸けることも、賭けることも、欠けることも、決してしてはならない」と厳重に約束させた。


祝福によって行うわざは、本能を突き動かされたときにおのずと最大になる。

命の危機となったら皆すぐさま力そのものに変化できるだろう。幼い時のアリアがそうだった。


だが、その後のアリアが以前と全く変わりない体で生活できているのは、彼女が公爵令嬢であり、しかも当時は王太子の婚約者だったからだ。

だから、暗殺者に斬られて力そのものになって逃げた後、致命傷を負っていたのに命をつなぐことができ、王命で最優先任務として駆けつけた宮廷魔術師と宮廷魔法使いに治癒ちゆしてもらえた。

そうでなければ、死んでいたか、娘の身には死んだも同然の境遇になっていただろう。


命の危機によって力そのものに変化するなど、あってはならない。

そんな安直で楽な方法を、使ってはならない。

アリアはしつこく、くどく、口酸っぱく級友たちへ言い聞かせた。


「うあぁ、お前に付き添って飛んだりしたから疲れたぁ」

「あっ、ちょっと、あんただけ回復薬飲むな!」

「ん? 俺の飲み残し、飲むか?」

「っ、そ、んなもの飲むか! どうせもう一本あるんでしょ! 寄越よこしなさいよ!」

「ええぇぇ?」


じゃれ合っている二人を眺めながら麺を食べ終えたアリアは、容器を持ち上げて汁も啜る。

容器の陰に隠れて、心からの笑みを浮かべた。


コキュは級友の中で真っ先に、力そのものとなることに成功した。死以外に考えていた本能刺激方法の候補の一つを試すべく、アリアが彼の耳に囁いたからだ。


あの時の彼の目は忘れられない。


『あんたは見目がいいから。退学になったら、私の奴隷……イケナイ遊び道具にしてあげる』


振り返ったコキュの瞳にあったのは、素晴らしく純粋な、怒り。

殺気を隠しもせず公爵令嬢をにらみつけてきた平民少年を、アリアは嘲笑あざわらってやった。


はたしてその直後に見事使いっ走りを成功させた彼にだけ特別に、その時の本能刺激方法に関連する追加課題をアリアは出したのだが。


(学校卒業までに、達成できるのかしらねえ……)


即席麺の容器に隠れ、彼女は忍び笑う。


『いいからとっととラークを口説くどき落としなさいよ。じれったいったらありゃしない!』


二人きりの草原中央で言ってやった時の、真っ赤になったコキュの顔もなかなか忘れられるものではない。


素直になれない少年が、同じく素直になれない少女を構って構って構い倒す光景を、アリアはまだまだこの先も眺められるようだった。

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