【KAC20241】三分メイク

いとうみこと

記憶の中では美しいままで

 亜紀には三分以内にやらなければならないことがあった。プロのメイクアップアーティストとして、最後に見せる顔を完璧に仕上げなければならないのだ。


 ほんの数分前、亜紀のスマホが鳴った。出る気にはなれなかったが、そんな亜紀の気持ちを逆撫でするようになかなか鳴り止まなかった。仕方なく発信元を見ると意外にも先輩の宏太からだった。亜紀は泣き疲れて枯れ果てた声をなだめつつ電話に出た。


「亜紀? 俺、宏太。さっきさ、荷造りしてたら借りっぱなしだったDVDが出てきたんだ。ちょうど近くまで行くし、家まで持ってくよ。今って家にいる?」


「今からですか?」


 壁の時計を見上げると、夜の九時を回っていた。


「あ、ごめん、もう遅いよね? じゃ、ポストに入れておく……」


「いえ、上がってきてください! 渡したい物もあるし」


 亜紀は咄嗟に宏太の言葉を遮った。目の端にバレンタインに渡しそびれたプレゼントの箱が映る。この機会を逃したらもう二度と渡すチャンスはないだろう。それどころか、もう二度と会えない可能性が高い。


「そう? わかった。俺も亜紀に直接渡したかったし、良かったよ。今、駅に着いたとこだから待っててね」


 そう言うと宏太は電話を切った。画面に現れた名前を切ない思いで見つめる亜紀の目が再びじわりと熱くなった。スマホを胸に抱いて宏太の言葉を繰り返してみる。


「直接渡したかった、か」


 宏太はいつもこうやって悪気なく亜紀の心を掻き乱した。ただ、宏太は誰にでも優しい俗に言う好青年なので、亜紀は勘違いをしないよういつも自分に言い聞かせてきた。しかし、それも今日でお終いだ。


 亜紀は全国展開している大手美容室で働いている。宏太は同じ店で働くヘアメイクアーティストだ。その技術は全国のコンテストで入賞する程の確かなものなので近い将来どこかの店長に抜擢されるに違いないと噂にはなっていたが、今日突然異動が発表された。


 情報通の同僚によると、宏太の地元に新店舗ができるという話があり、宏太が異動願いを出していたらしい。それならいっそ店長にということになって、準備段階から携わることになったため突然の辞令となったとのことだった。店長から発表があった時、店中から悲鳴が上がった。それくらい宏太は愛されていた。


 亜紀はフリーからの中途採用だった。即戦力として結婚式やファッションショーの仕事で宏太とペアを組むことになり、その並外れた技術とスピードにすぐさま魅了された。それと同時に飾らない人柄にも惹かれていき、宏太は亜紀にとって公私共にとても大切な人になった。その両方を今日一度に失うことになって、亜紀は心底絶望していたのだ。


 しかし、もうそんなことは言っていられない。亜紀はすっくと立ち上がると、洗面台で豪快に顔を洗った。鏡に映った顔は目がまだ少し充血しているし瞼も腫れぼったいけれど肌の調子は悪くない。化粧水を叩き込みながら、最後にいちばん綺麗な自分を宏太に見せようと誓った。宏太の記憶に残る自分は美しくありたかった。


 髪を軽く束ね、クローゼットからお気に入りのニットのワンピースとクリーム色のカーディガンを出して着替えた。これなら部屋着としても自然だし好感度も高いだろう。ついでにふわもこのピンクのソックスで可愛さもプラスする。


 前髪をカーラーで巻いて決戦スタート。駅から歩いてくるとなると、残された時間は約三分。その間に家でくつろいでいました風のメイクを仕上げなければならない。


 ナチュラルメイクはベースが命。シミや赤みはしっかり隠しつつ、ほくろやそばかすは透けるように。眉毛は薄く品良く、アイラインはバランスを取る程度に。睫毛はカールし過ぎずマスカラは透明な物を使って、ノーズシャドウもごく自然に。チークは血色が良く見えるようにして、最後にリップは肌色に近いピンクで艶感を出して……


「これで良し!」


 カーラーを外し髪を梳かしたら三分クッキングならぬ、三分メイクの完成だ。亜紀は鏡の中の自分をじっと見つめた。


(これが先輩に見せる最後の顔)


 その時、玄関のチャイムが鳴った。


「はーい、今開けま〜す」


 亜紀は精一杯明るい声で応えた。



作者註:作者はメイクに疎いので、メイクの描写は正確ではありません。また、美容室の事情にも詳しくないので、この話が現実的かどうかもわかりません。テキトーですみません(_ _)

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