第9話 願い

 アルビは唯一この箱庭で顔を出せる存在だった。他のマスカレードと呼ばれる者たちはいつも面をしてばかりで、一度もその表情をアルビは見たことがなかった。見てしまえば何かが失われそうで、アルビは彼らの面について触れてこなかった。


 ある時アルビは自分がこの国そのものであることを知る。


 百年に一度、王たる者が白い柘榴を喰らわなければ、その国は滅びるとされてきた。九十年の時を経て生まれる国の化身が鵙——つまりは『アルビ』であり、『アルビ』という国を壊さないために存在するのがアルビノだった。アルビがマスカレードたちに大切にされているのは、国を形成する存在であるからだ。その意義がなくなれば、アルビはただの傀儡。のうのうと呼吸だけをして、そうして朽ちていくだけ。ただアルビノだけは『アルビ』を、アルビとして認めた唯一の存在だった。

 アルビはこの場から動こうなど一瞬も考えていなかった。今この場から動いてしまえばきっとマスカレードたちはアルビノを傷つける。これ以上、彼を傷つけたくない。しかし、アルビはじりじりと距離を詰められ、ついにあと数センチのところでマスカレードの一人がアルビに向かって手を伸ばした。瞬間、アルビの体は突然後方に落ちていった。「え」という声が口から零れる前に、アルビの視界は闇より深い黒の世界へと誘われた。



 後方に落ちた——というより引っ張られた——あと、何が起こるか分からずアルビは目を強く瞑っていた。しかしいくら経っても何も起こらなかったため、不思議に思いゆっくりとその視界に世界を映す。やはり目を瞑る前に見た最後の記憶の通りの暗闇が、眼前に広がっていた。けれど少しだけ可笑しいと思うのは、彼の側で苦しげな呼吸が繰り返されているからだろうか。その正体については何となく想像がついていたから、アルビは怖いとは思わなかった。


「……アルビノ……?」


 アルビは、迷いなくその名前を口にする。すると、暗闇から「ふはっ」と笑う声が聞こえた。アルビノがそこにいる。しかし明るく聞こえたそれは、どこか辛そうだった。


「アルビノ! どうしたの……? どこか苦しい?」


 近くにいるであろうアルビノにアルビがそっと手を伸ばす。するとどこからか白い手が闇の中に映えて伸びてきた、かと思えばその手は優しくアルビの手を拒絶した。アルビノの拒絶に一瞬かなしい想いをしたアルビだったが、すぐに心を切り替えて彼の手を触れた。震えて、冷たく、弱かった。その冷えた手に不安が募る。


「寒い? 手が震えてる」

「……アルビ」

「ここじゃあもっと体調を崩しちゃうね。早くここを出よう」


 出れば再びマスカレードたちに囚われてしまうかもしれない。けれどアルビは早くアルビノを温かい場所で休ませたかった。アルビノの震えた手を握り、この暗闇から脱しようと彼の手を引く。しかしアルビノの体は微動だにしなかった。


「無理だ、外には、マスカレードたちがいるだろう」

「無理じゃない。僕がどうにかする」

「できないから言ってるんだろ。お前だけでも戻れ。今ならまだ、間に合う」

「間に合うって——」


 なに? と問い掛けようとした瞬間、アルビノが「どうして‼」と突然声を荒げた。アルビはビリビリと震動する空気に恐怖を覚えた。ぐっと掴まれた箇所に痛みが走る。ようやく慣れてきた視界に映るアルビノは、眉間に皺を寄せ、悲しみと焦りを織り交ぜたような表情をしていた。


「ア、 ルビノ?」

「どうしてお前はいつも、俺の願いを聞き入れないんだ……っ」


 呟いた声は吐息に似ていて、彼は俯いていたから何を喋っているのかは聞き取れなかった。ただ、きっとアルビのことを想って怒りをあらわにしているのだということだけは、はっきりとアルビ自身に伝わっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る