白衣の天使の退院の祝福【アーカイブ版】

 夏樫なつかしの言うところの『アツい一夜』が明けてから、何度も見舞いに通った病院。

 一時は危ぶまれたフジモトの病状が奇跡的に改善、完治したわけではないが体調が目に見えて安定し、学校生活を送れると太鼓判を押されるようになるまでなった。

リハビリや、遅れていた分の勉強に励む姿をずっと傍で見てきたおれには、この場所にフジモトを訪ねるのもこれで最後ということに大きな感慨があった。

「マサキ……!」


 引き戸を開けると、ずっとお仕着せの姿だったフジモトが、久しぶりに見る私服姿でおばさんに付き添われて佇んでいた。外はやや肌寒くはなっているが、ふわふわしたカーディガンを羽織っているので大丈夫だろう。

 荷物もまとめられていて、もうフジモトの家に帰るだけという感じだ。


「いつもありがとうね、まーくん。おかげで京香はすっかり元気よ」


 にっこり笑うおばさんは声も表情も明るく、数ヶ月前の沈んだ様子とはまるで別人のようだ。


「これからも仲良くしてくれると、おばさん嬉しいわ」


 そう言いながらフジモトとおれに意味ありげに視線を送るので、慌ててしまうが、照れずに言おうと思っていた言葉を、彼女をまっすぐ見て口にする。


「あ、いえおれは……とにかく、良かったです。

 フジモト、退院、おめでとう。学校でも、よろしくな」


 フジモトは一度だけ耳をぴくっと動かすと(昔から、動揺するとそこが動くのが癖だった)、口を尖らせて見せた。


「なにマサキ、面倒見るのが自分だと思ってるわけ?

言っとくけど休学前の成績も入院中マサキが届けにきた小テストの点数も全部勝ってるんだから、復学したらわたしがマサキが赤点とらないようにみっちり教えてやるんだからね?」


 おっしゃる通りで、全くグウの音も出ない。


「お、お手柔らかに……」


 おれが冷や汗をかいていると、


「おーおーすっかり健康になったみたいで良かったなあ、どうや冬壁ちゃん? お世話した子の元気な姿は」

「ちょ、夏樫……私たちは外で待って遠くから、って言ってたでしょ!?」

 

後ずさりしようとする冬壁ふゆかべの腕に腕を絡みつかせて制しながら、夏樫が入ってきた。

いつの間に着替えたのか(または着替えさせられたのか)、冬壁はおれが初めて会ったときのナース姿だった。

おれがなにか言う前に、フジモトが二人の近くに歩み寄って冬壁の顔をまじまじと見つめた。

 冬壁がためらうのも分かる。

 冬壁がこの病院で看護師をしていたのは異質物を探るためだった。入院中のフジモトと顔を会わせていたとしても、する話がないのだろう。

ところが、フジモトは冬壁の気まずそうに漂わせた右の手の平を、両手でガシッと掴んだのだ。


「あの、前に二週間くらい担当してくれた人ですよね!」

「え……? 覚えてたの……?」


 顔を輝かせるフジモトに、冬壁は目を丸くした。


「わたし、入院中ずっと暇だからお医者さんや看護師さんの顔は覚えるようにしてたんです。お姉さん、わたしの体が辛いときに湯たんぽ持ってきてくれたり、こっそりチョコくれたりしたから、特に印象に残ってて。あのときはありがとうございました!」

「……そう……元気になって良かったわ」


 頭を下げるフジモトに、冬壁は照れたように笑って、髪の毛先に指先を触れさせていた。

 おれはちょっと驚いていた。冬壁がこの病院に潜入していたのはほんの少しの間だったはず。冬壁のことを覚えていたフジモトの記憶力にも、あくまでも異質物排除のために看護師をしていたのにしっかり『白衣の天使』をしていた冬壁にも。


「な、冬壁ちゃん。良かったやろ、お世話した子のその後を知る、ちゅうのも」


 したり顔で夏樫が頷き、冬壁の肩を小突く。


「それは……そうね」

 

 冬壁は何か言い返そうとして開けた口を閉じながら目を逸らした。それから、フジモトに向き直る。握られた手を、上から左手で包み込む。


「こんなに元気になってくれて、私も嬉しいわ。学校、頑張ってね」

「はい!」


 ふわ、と擬音語が付きそうな感じで柔らかく微笑む冬壁は、おれが「無理がある」と思っていた『白衣の天使』そのものだった。


 ……おれは剣呑な表情で睨まれたことしかないので、その落差に頭がクラクラした。

 そんな冬壁の傍にいた、全身真っ黒で白い髪の夏樫にフジモトとおばさんは

『それで、あなたはどなた……?』という視線を向けたが、彼女はさすがのコミュニケーション力で二人の懐に入って談笑していた。


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