ちょっとまったー!

杉野みくや

ちょっとまったー!

 男には三分以内にやらなければならないことがあった。


 急いでタクシーを降り、通行人の間を駆け足で縫っていく。

 向かう先は、都内随一の結婚式場『ムーン・パレス』。高層ビルの17階に位置するその式場は都内を一望できる天空の式場として、いま最も注目されている式場である。

 そこでは本日、友人の結婚式が執り行われていた。


 「友人」と言いはしたが、男にとってそのひと言で済ますにはあまりにも短すぎる。

 なんせその友人とは、かつては互いに想いを重ねてきた仲なのだ。些細なこじれから別れてしまったものの、その後も連絡はちょくちょく取り合っていた。

 また良い関係に戻ってきた。そう思っていた矢先に舞い込んできた友人の結婚話。復縁の機会を虎視眈々と狙っていた男にとってはまさに絶望の淵にたたき落とされたような気分だった。

 さらに追い打ちをかけるように、その話を耳にしてから友人と一切連絡が取れなくなってしまったのだ。友人が男を避けようとしている魂胆がひしひしと感じられ、当初はひどく落ち込んだものだ。


 それでも諦めきれず、考えに考えた結果、男は一つの作戦を思いついた。


『誓いのキスがなされる前までに式場に突入し、復縁を持ちかける』。


 これしかないと思い立った。

 誓いのキスは「共に人生を歩む」という意思を神前で体現するもの。これを過ぎれば、いよいよ二度と振り向いてはもらえなくなる。


 焦る気持ちを抑え、渋滞に巻き込まれた己の不運さを呪いながら、全速力で高層ビルの中に入っていった。


 ロビーから最短経路でエレベーターホールへと向かい、ボタンを勢いよく押す。20階で止まっていたエレベーターが男を迎えに降り始めた。

 待っている間にスマホを取り出し、あらかじめメモアプリにコピペしておいたひとつのURLを開く。

 すると、画面上に結婚式の様子が流れ始めた。遠方で来れない人たちのためにと友人がわざわざ用意したのものだ。ツテを辿って入手しておいた甲斐があった。

 映像を見るとたった今、新婦が入場してきているところが映されていた。どうやら式は滞りなく進んでいるようだ。


 腕時計とスマホを何度もチラチラ見ながら、エレベーターがくるのを待つばかり。誓いのキスまでのタイムリミットは刻一刻と迫っていた。

 やっと扉が開いたころには、もう誓いの言葉まで進んでしまっていた。

 17階へと上昇していく間、エレベーター内の鏡を見ながら白いスーツをピシッと整える。作戦を思い立ってから急遽仕立ててもらったものだ。しわ一つないその純白のスーツは男の気合いと覚悟を表しているかのようである。


 チンッ、というベル音を合図に男は体を反転させる。エレベーターの扉が開ききるよりも前に、男は一目散に駆け出していった。

 受付を通り過ぎ、スタッフの制止の声を背中に受けながら式場の扉にたどり着く。そして、勢いそのままに扉の取っ手を思いっきり押し倒した。


「ちょっとまったー!」


 男の声が式場にこだまする。やや遅れて、式場にいる全員の視線が男の方に集中した。

 その表情は何が起こったか分からないというようにぽかーんとしていた。鳩が豆鉄砲を食らったような顔というのはきっとこういうものを言うのであろう。

 式場の奥には、互いに体を向き合っている一組の新郎新婦の姿が。彼らも目を丸くしながら男の方に顔を向けていた。

 息を大きく吐き、一歩前に踏み出す。


「なあ。もう一度やり直してくれ!今からでも間に合うはずだ!」

「……」


 友人はまるで他人を見るような目をしながらだんまりを決め込んでいる。

 男は一歩前に踏み出し、震える口をいっぱいに開いた。


「なあ。何か言ってくれよ!俺を、俺を置いてかないでくれ、健司!」


 男に名前を呼ばれた花婿、もとい友人は目をことさらに大きく見開いた。


「誰?あの人」


 怪訝そうな表情を浮かべる花嫁の問いかけに対し、花婿はしばし沈黙を貫く。

 永遠に思えるほどの長い静寂が続いた後、健司は小さくため息をついた。


「知らない」

「っ!?」


 なんと非情なことか。健司は男の目をまっすぐ見ながら、素知らぬそぶりを見せてきたのだ。

 数々の思い出が脳裏に浮かんでは消えてゆく。健司と過ごした蜜月の時間はまがい物だったというのか。


 全身から力が抜けていく。それでもなお、男は一歩、また一歩と前に進んでいく。地面に敷かれたレッドカーペットが男にとってはいやにまぶしく感じた。

 執念にも似たごちゃ混ぜの感情を抱きながら進んでいると突如、何者かに両腕をがしっと捕まれた。とっさに首を後ろに向けると、体格の良い警備員二人の姿が目に映った。


「おい!離せ!」


 無我夢中で体をよじるも、屈強な二人の警備員にがっしりと捕まれては為す術もない。そのままずるずると扉の方まで引きずられていった。


「っ、健司ーーー!!!」


 魂の叫びが式場に響く中、男は扉の外へと連れ出されていった。扉が閉まる寸前に見た健司の目は別人のように冷たかった。

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ちょっとまったー! 杉野みくや @yakumi_maru

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