第21話 じゃなかったら論争の終結
後部座席の3人が寝静まったあと、物憂げな様子で窓の外を眺めるマノンに目をやる。もしも従姉でなかったら、彼女の些細な感情の変化にも敏感に気づくことはなかったかもしれない。分かり過ぎるというのは、時に苦しい。
「もしさ……」
マノンが不意に口を開く。
「ん?」
「もし私に恋人ができたら、レアは寂しい?」
「もちろん」
当たり前じゃないか。彼女に恋人などできたら、胸を掻きむしりたいくらいに悔しいし、喉を枯らして泣き叫びたいほどに悲しいに違いない。
「私も嫌だな、レアに恋人ができるの」
「それはまた、どうして?」
「だって、恋人ができたら私に構ってくれなくなるでしょ?」
「そんなわけないじゃない」
「絶対そうだよ。レアって好きになったら凄く一途そうだし、その人のことばかり優先しそう」
彼女の指摘はあながち間違いではない。私はこれまで、マノン以外の人間に興味を持ったことは一度もない。マノンに何かあれば、友人との約束も、ダンスの練習も仕事も放り出して駆けつけるに違いない。
「あなたのことを蔑ろにすることは、絶対にない」
こんなに強い口調になる意味が、自分でもよく分からない。マノンと話していると、時々自分でも驚くほどに感情的になることがある。
「別にいいけどね。レアが幸せなら」
何故、こんなことを言うんだろう。悲しげな顔で、どこか諦めたように笑いながら。こんな笑顔を、もう何度目にしたことだろう。彼女はこれからも、私の前でこうして笑い続けるんだろうか。笑うなら笑うで、もっと別の笑顔にしてやれないものか。
気づいているのだ。気づいていないはずがないじゃないか。彼女だって、きっと私と同じ気持ちのはずだ。そうでなければ、こんな顔をするはずがない。ただの思い込みかもしれない。一人相撲かもしれない。そんな可能性を考えなかったわけではない。だがそれならば、さっきから痛いくらいに伝わってくるこの感情は何なのだ。あのアイスの蓋の上に落ちた涙は、一体何だったのだ。
「もし、私が従姉じゃなかったら?」
ずっと聴きたかった問いかけを、口にする。マノンのヘーゼルの目が、私を見つめる。
「もし私が男で、あなたと血が繋がってない他人だったらよかったの?」
きっとマノンは困るだろう。こんなことを聞かれたら、またもうやめようなんて言うんだろうか。あの時と同じように。
「……違うよ」
マノンが呟く。今にも泣き出しそうな目をしている。
「何が違うの? 前に言ったじゃない、私たちは従姉妹だし、女同士だから結婚なんてできないって」
「……言ったね」
「何度も考えた。あなたにすぐ手が届く場所にいるのに、愛することが許されないのは何でなのかなって。すごく悔しかった。私はこの世の中の、あなたと血のつながっていない人間たちの誰にも負けないくらいに、あなたを愛してるのに」
気づいたら、涙が溢れていた。私は滅多に人前で泣くことがない。ダンスのコーチにどれだけ激しく叱られても、学校で嫌なことがあっても泣かなかった。それなのに、一番涙を見られたくない相手の前で泣いている。
見ないで欲しい、こんな私の情けない姿なんて。ドアを開けて、車を出る。手のひらで涙を拭う。
最悪だ。不気味な屋敷の前で、車のエンジンがかからなくなって帰れなくなるし、挙句従妹に泣き顔を見られてしまうなんて。
「レア……」
マノンがやって来て、私の髪をそっと撫でる。いつもこれは、私の役割だった。それが、今はすっかり逆になっている。こんな風にされたら、涙が余計に溢れてくる。
子どもみたいな話だ。優しくされて、余計に泣きたくなるだなんて。
「違うよ、レア」
マノンが言う。まるで、小さな子どもに語りかけるみたいに。これは、何に対しての違うなんだろう。
「ずっと考えてたの、あなたと同じことを。だけど分かった。あなたが従姉だったから、女性だったから、私はあなたを好きになった。あなたが全くの他人だったら、きっと関わってすらいなかったと思う。どちらかが男だったとしても、好きにはなってなかった」
何故だろう。嬉しいはずなのに、涙が止まらないのは。長い時間を経て心が交わりあった嬉しさも、これまで堪えて来た感情の数々も、誰にも理解されないであろうとしまってきた言葉も思いもーー。
全てが涙となって表出してきたかのようだ。私はマノンの胸に顔を埋め、しばらく泣いた。
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