第22話 2 become 1

 戻った車の中で、Spice Girlsの1stアルバムを流す。これは、マノンと一緒に何度も聴いたアルバムだった。


「今あなたが何を望んでるか、曲のナンバーで答えて」


 ゲームをするみたいに、マノンが笑いながら言う。


「3」


 迷わずに答える。マノンが口に手を当てて吹き出す。


「それ、大胆過ぎるでしょ」


 アルバムの3曲目のタイトルは"2 become 1"だ。歌の内容は確か、2人が肉体的に一つになるから魂を解き放ちましょうというような歌詞だった気がする。


「別にそう言う意味じゃなくて……。プラトニックな意味でよ!!」


 必死に釈明する私を見て、マノンは余計におかしそうに笑う。


「本当は違うんでしょ? 素直に言ったら?」


 なんて揶揄いながら。いつから彼女は、こんな意地悪を言うようになったのだろう。言ってしまえば、私にだってそう言う願望がないわけではない。むしろめちゃくちゃあるけれど。そもそも、こんなに愛らしい存在を目の前にして、どうにかならない人間がこの世の中にいるのだろうか。


 どちらからともなくシートを倒し、見つめ合う。マノンの目が、かすかに笑っている。自然の流れで手を繋ぐ。あの夏の日に、レモネードの材料を買いに行ったときのように。


 「これからどうしようか」


 マノンがぽつりと呟く。


「どうしようかって?」


「レアは、おじさんたちにどうやって説明するつもり? そもそも、許してもらえるかな」  


 高校の時に観た映画を思い出した。マノンも私も、あのラストが悲しいと感じた。それなら、一番欲しいラストはどれなのだろう。それは、きっとーー。


「許してもらえなくたって、私はあなたと結婚するわ」


 不思議なほどに、迷いはなかった。私には彼女しかいない。数多くの難解な問いかけばかりの世の中で、唯一明瞭なこと。


「けっ……結婚?!」


 マノンが叫びにも似た声を上げる。後ろの3人は、幸いにも目覚めない。


「うん。駆け落ちでも何でもするつもり」


「駆け落ち……か」  


 モンパルナスタワーで、涙を流した彼女はもういない。あの時私は、彼女を幸せにするのは私ではいけないかと尋ねた。今だからこそ言える。私を幸せにできるのは、彼女しかいない。


「前に、あなたがアイツと結婚するってなった時、本当はすごく苦しかった。いくら説得しても、おじさんは話を聞いてくれないし……」


 マノンの結婚話を聞かされた時、あまりのショックにしばらく笑うことを忘れてしまったほどだった。


「あなたはそれでいいの?」


 尋ねた私に、マノンは笑顔で頷いた。今となれば、私に心配をかけないための嘘の笑顔だったのだと分かる。


 相手の男性は、マノンよりも5つ年上で、爽やかで優しげな雰囲気の男性だった。その所作や立ち振る舞い、言葉遣いの至る所から育ちの良さを醸し出していた。


 この男性なら、マノンを幸せにしてくれるかもしれない。レストランでマノンから彼を紹介された時、そう感じた。あの時の私は、その男の本質など見えていなかった。


 マノンが幸せならそれでいい。彼女が結婚して、笑顔に溢れる温かい家庭を築いてくれるのなら、それでーー。


 そう自分に言い聞かせながら、何度枕を濡らしたことだろう。感情というのは、得てして矛盾している。どれが本当で嘘かなんて、愚かな問いかけなのかもしれない。だが、錯綜した色とりどりの糸のような感情の中に一つでも真実があるのだとしたら、この手で掴み取りたい。見えないふりも、偽ることもしないで。


 「本当は私だって嫌だったの。結婚なんてまだしたくなかった。だけど、どっかでこう考えてもいたの。あなたから、離れないとって」


 マノンは車の天井を見つめたまま続けた。


「あなたの存在が大きすぎたの。これ以上寄りかかっちゃダメだって思っても、あなたが側にいると甘えてしまう。何か辛いことがあると、頼りたくなってしまう。だけど、それじゃ駄目だなって。別の人と結婚したら、あなたのことを楽にしてあげられるかもって」


「馬鹿ね」


 楽にするも何も、彼女が寄りかかってきてくれることを迷惑だなどと感じたことは一度もない。むしろ、嬉しかったくらいだ。誰にも甘えない彼女が、唯一私の前でだけありのままの姿を見せてくれることは。


「馬鹿って……」


 不満げな従妹に覆いかぶさるような体勢になったあとで、そっと口づけをする。マノンの潤んで蕩けた目が、私を見つめる。ただでさえ残り少ない理性が、どこかに持っていかれそうになる。


 顔を上げた時、後部座席のルネとバッチリ目が合った。友人は気まずそうに瞬きを何度かした後、寝たふりを始めた。


「いや、見てたよね今?」


 火照った顔で糾弾する私と、同時に目を開ける3人。後部座席に目をやり、ようやく現実を理解して唖然とするマノン。いつから起きていたのか。どの地点から聞かれて見られていたのか。尋ねることすら怖い。


「おめでとう」


 イダの一言に、恥ずかしさが倍増した私とマノンは、熟れたプラムのように真っ赤な顔を同時に逸らした。

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