第10話 悲しいエンディング

 暗くなった部屋、寝息を立てる従姉の隣で一人天井を眺めている。レアと二人で寝るなんて、一体何年ぶりだろう。中学生の時までは、お互いの家を行き来して、泊まることもしばしばで、同じベッドで眠ることも多々あった。


 だが高校生の時、レアは一時期私を避けていたことがあった。


 高校2年のとき、レアは一度激しいスランプに陥ってダンスを辞めたことがあった。あの時のレアは目が虚ろで、心がずっと宙空を彷徨っているみたいで、見ているのも苦しくなるほどだった。


 レアは、私が励まそうと肩に触れることも、隣にいることすらも嫌がった。


「お願い、マノン。一人にして」


 励まそうと彼女の部屋に行った時も、レアは苦しげな表情でそう言って、私を追い払うばかりだった。


 ある時、レアの親友のバーナテッドとスーパーで会うことがあった。彼女はレアのダンス部の仲間でもあり、レアの家に遊びに行ったときにたまたま彼女もいて、3人で話したこともあった。


 社交的なバーナテッドは、私を見つけるなり笑顔で駆け寄ってきた。レアが最近元気がなくて私を避けていることを打ち明けると、バーナテッドは少し言いにくそうに口を開いた。


「レアがスランプになってるのには、理由があるのよ」


「理由って?」


「私の口からは言えない。とにかく、彼女のことを少しそっとしておいたほうがいいわ。時間が経てば、元通りになるはずだから」


「レアは私のこと、嫌いになったのかな」


 ぽつりとつぶやくと、バーナテッドは大きく首を振った。


「嫌いになるだなんて、そんなことは絶対にありえない。彼女はむしろ‥‥‥」


 バーナテッドは言葉の続きを飲み込むように首を小さく振ると、「またね」と手を振って、家族のいる方に駆けて行った。


 バーナテッドは、レアが悩んでいる原因を知っている。だけど、いつもレアのすぐ近くにいたはずの私は知らない。その事実が、どうしようもなくもどかしかった。


 そんなある日、前にレアに借りていた映画のDVDを、今更と思いながらも観ることにした。その日は日曜日で、父は友人たちと釣りに、母は買い物に出掛けていた。自室の机の上にあるノートパソコンの電源を入れ、ディスクを挿入し、画面を見詰める。その映画は二人の姉妹が禁断の恋に落ちていくという内容で、フランス映画によくあるノスタルジックなピアノ音楽を背景に、誰も見ていない叢で愛を交わすようなけっこう過激なシーンもあったりして、レアが一人でこんなのを観ていたのかと思うと、少しだけ妙な気持ちになった。


 途中、あまりに切ない展開に、このまま二人は一緒に死ぬんじゃないかと思った。実際、二人で湖で入水自殺を企てるシーンがあったのだが、たまたまやってきた釣り人たちに助けられて失敗に終わってしまう。そんなある日、姉妹が無人の家で二人で愛を交わしあっていたら、帰ってきた父親に見られ、激しい非難を浴びせられる。


 間も無く、両親の計らいで姉の方が遠くの全寮制の高校に入ることになり、姉妹はバラバラになってしまう。最終的に姉妹はお互いに別々の相手と結婚して、幸せな家庭を築く。姉の嫁いだ家の前の庭、お互いの家族を交えてテーブルを囲んで食事をする。最後、姉妹は微笑みを交わし、エンドロールが流れる。その結末が私にとっては一番悲しくて、できたら結ばれて欲しかったなとか、叶わないんだったらいっそ二人で駆け落ちでも何でもしてくれたら良かったのに、なんて思ったりもした。


 何でレアは、こんな悲しい映画を観ようなんて思ったんだろう。そして、どうしてこの映画を私に観せようとしたんだろう。PCからディスクを取り出して、ケースに入れる。とりあえず、レアに返さなきゃな。そう思って立ち上がる。


 レアの家は、歩いて10分ほどのところにあった。レアは私の顔を見たくないかもしれないけれど、DVDを返すくらいなら許してくれるだろう。


 クラウド叔父さんとべサニー叔母さんはいなかった。私はいつものように、2階のレアの部屋に向かった。階段を上がり、廊下を歩いていると、レアの部屋から何やら話し声が聞こえた。ドアの前に立ち尽くす私。聞こえてくるレアの声。電話でもしているのだろうか。


「ダメだっていうのは、よく分かってるの」


 レアの声が言う。


「だけど、あの子をーーマノンのことを見てると、変な気持ちになる。私たちは女の子同士だし血も繋がってるわけだから、恋人になんかなれない。だけど、私は彼女のことがーー」


 その先の言葉を、聞いてはいけない気がした。それ以上の情報が耳に入ることを拒むように、2回、部屋のドアをノックした。


「また後でね」


 その声のあとで、こちらに向かってくる足音がして、ドアが開かれる。レアの驚いた顔が覗く。


「マノン‥‥‥」


「これ、借りてたやつ返そうと思って」


 上手く笑えている自信なんてない。だけど、無理にでも笑顔を作っておかないと、ただでさえ苦しんでいるレアを、余計に追い込んでしまう気がした。


「ああ……。そういえば貸してたっけ」


 差し出されたDVDを受け取ったレアは、本当に貸していたことを忘れていたみたいに笑った。


「面白かったよ、最後はちょっと悲しかったけど」


 悲しかった。


 この感想に、レアは同意してくれるだろうか。レアと私は、好きな映画も、音楽も、好みの香りも味もよく似ていた。だけど、映画を観て抱く感想はいつも違っていた。同じものでも、彼女はいつも私とは違う角度から観ていた。


「そうだね、悲しかったね」


 レアは言った。少しだけ目を細めて、口元を小さく笑わせて。


 この時、初めて二人の感想がぴったり合った。今まで一度も意見が被ることなんてなかったのに。


「帰るね」


 手を振る。レアが少し寂しそうな顔をする。


 どうしてーー。


 どうして、いつも自分から一人にしてなんて言うくせに、私が帰るって言うとそんな顔をするの。触れられるのも嫌がるくせに、友達には私のことを沢山話してるんでしょ。


 聞きたいことは沢山あるのに、言葉にならない。レアを目の前にすると、何から話していいのか、どうやって伝えたらいいのか分からなくなる。まるで、頭に透明な厚いフィルターがかかって、思考を言語化することを拒んでいるみたいに。


「またね」


 レアの唇が動く。頷いて、踵を返した。


 その後数週間して、レアはダンスに復帰し、スランプを少しずつ克服していった。私への態度も、いつの間にか自然なものに戻っていった。いつものように彼女と話したりお互いの家に泊まったりできるようになったことが、凄く嬉しかった。だけど、あの日観た映画と、彼女が友人に電話で話していたことは、ずっと胸に引っかかったままだった。



♦︎


 レアの名前を呟いてみる。静かな寝息が聴こえる。布団の中にこもる、二人分の体温。レアは私と寝ることを、何とも感じないんだろうか。私は何となく落ち着かない。目を閉じると余計に五感が敏感になって、レアが隣にいるということを痛いくらいに感じてしまって、どうしようもなくなる。


 さっきまで隣の部屋で賑やかに話していたコレットたちの話し声は、聞こえなくなった。夜中の2時過ぎ。まだ私は眠れない。


 何で私は、レアをこんなに意識してるんだろう。ウィーンに来て彼女と一緒に暮らすようになって、不可解な気持ちに苛まれることが以前よりも増えた。これまで、この感情について深く考えないようにしていた。考えれば考えるほど、レアにどう接していいか分からなくなりそうで。


 目を瞑る。深く息を吸う。思考の全てを振り払う。ゆっくりと、眠りの中に吸い込まれていく意識に身を預ける。

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