第6話 教会の午前

 日曜日、私たちは朝から教会の門の側に長机を置き、レモネードの販売をしていた。透明なプラスチックのカップ300mlで2ユーロ。売れ行きは好調だった。


 子どもが一生懸命何かを売っていると、愛情深い大人たちはこぞってお金を出してくれたりする。ミサ帰りの大人たちは、口々に「暑いでしょう?」「えらいわね」「頑張ってね」と声をかけてくれた。


 父のような人ばかりではない。世の中には優しい人もたくさんいるのに、何故私はよりにもよって、父の子どもに生まれてしまったんだろう。神様が采配を狂わせることも、ままあるのだろうか。一晩寝かせたレモネードをおたまで瓶から掬い、カップに詰めて笑顔の老婦人に手渡しながら、そんなことを考えていた。


「マノン、喉が乾いたわ。休憩にしない?」


 先ほど老婦人からコインを受け取ったばかりのレアの額には、汗の玉が浮かんでいる。


「うん、そうね」


 タイミングよくミサから戻ってきた母が店番を変わってくれるというので、私とレアはレモネードの入ったカップを手に持って、教会の裏庭に駆けて行った。大きなオークの木の下に肩を寄せ合って腰掛け、ストローに口をつける。レモンの酸っぱさと、はちみつのと氷砂糖の甘みが溶け合って、暑さと疲労で乾いた喉を潤した。


 レアの青い目はその日の夏空のようで、その目が私を見て微笑んだ時、全ての恐怖や不安がどこかに行ってしまうような気がして、思わず笑ったのだった。


「美味しいね、マノン」


 レアが言った。澄んだ、カミツレの花のような声で。


「うん、美味しいね」


 私も言った。頭上で、コマドリの鳴くのが聴こえた。


 それは一瞬の出来事だった。レアの小さな唇が、私の唇に触れた。何の前触れもなく、まるで、猫が花の匂いを嗅ぐように自然に。


 呆然としている私を尻目に、レアは悪戯っぽく笑って立ち上がると、母のいる教会の門の方に向かって走り去った。



♦︎



「あの時、レア私を置いて逃げてっちゃうんだもん」


 笑いながら思い出話をしたあとで、15年越しの私の非難を、従姉は悪びれることもなく受け止めた。


「恥ずかしかったのかもね、子どもなりに」


 と、懐かしんで笑いながら。


「従姉妹同士でキスとか、ちょっと萌えるわ」


 そんな発言をするイダは、変態の血が騒いででもいるのだろうか。


「キモいよ、イダ」


 ルネが蔑みの視線を向けるも、イダはかえって嬉しそうだ。やはり、彼女は‥‥‥(以下略)。


「私、レアがいたからなんとか生きてこられたのよ。子どもの頃辛いことばかりで、何度もいなくなりたいって思った。だけど、あなたのお陰でここにいる。生まれてきてくれてありがとう、レア」


 改まったお礼の言葉に、照れ隠しなのか顔を顰めるレアは、やっぱりレアだ。


 彼女が22年前のこの日にこの世に生まれていなかったらと考えると、暗い洞穴に一人閉じ込められたみたいな気持ちになる。


「マノンって、他の人の前では強がってるけど、私の前ではかなり甘えん坊だよね」


 まさか、レアがここでこんな暴露をするなんて。コレットとルネが、顔を見合わせて含み笑いをしている。


「ちょっと、レア!! それは言わない約束でしょ?!」


「そんな約束した?」


「……もう」


 熱くなった顔を冷ますように手で仰ぎながら、レアを軽く睨む。こんなやりとりも、私たちにしかできない。あの夏の日のような悪戯っぽい笑顔を浮かべる従姉は、きっと23歳になってもこんな感じなのだろう。こんな感じであってほしい。何も変わらないで、出来たら誰にも恋なんかしないで。

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