二十二錠目 女学生たちは地下迷宮を服用する(三巻の三)。
もっていくものは、まず食料と水一回分。そう、一回分だけ。緊急時で、迷宮内で食料を確保するのが困難になり、あとは帰還するしか無いとなったとき、一回分の食料があれば、数日釘付けになってもどうにかなる。人工物である迷宮は、帰路を辿るのはそう難しくはないんだ。
あとは、魔法関係の素材。期間によって寝具や調理器具。こういう道具類にはあらかじめ魔法を仕込んでおいて、調理や展開の手間が省けるようになってる。
「思ったより少ないように感じるけど」
「ハイキングよりも少し多いくらいかなあ。迷宮は魔法の効果が強くなってしかも持続するから、いくつか必要だったものがひとつで済むとかあるよね」
ようやく降り始めた気分になってきたから、一気に戦闘に入ってみようか。
「おお、手に汗握るような」
「いや、あんまり」
「おやまあ」
彼らも魔法を使うから、戦闘は互角で瀬戸際で命がけと考えがちなんだけど、先述の通り上手下手で言うなら僕たちのほうが上手だから、制圧するのにさほど困難はない。差をひとことで言うと、彼らは動きが遅い。攻めと守りの見極めが甘い。柔軟に対応するということが出来ない。
「なっとらん。なっとらんぞ貴様ら。訓練からやり直せ。宿題やれ」
「典先生落ち着いて」
「でも、そこまでの差を感じられるっていうのは、冬がとんでもなく強くなっちゃってるからじゃないの」
「そう。そうなんだ。そうかも知れないんだ」
冬の目に影が差す。あたしは身構える。拒絶しないように、でも飲み込まれないように。
「実は、最下層に到達してしまったんだ」
「おやまあ。おめでとうございます、じゃないの」
「う、うん。迷宮の七層目を突破した辺りで、押収した物品とともに、この迷宮は地下十階で構成されていますって報告したら、軍の幹部に呼び出されて。あんまりないことだからびくびくしてたんだけど、更に降りるつもりかと聞かれたから、いや僕は一応、軍の命令で行動しているだけなので、と答えた。なにか問題があってそこまでにしとけと言うなら従おうとは思っていたし」
「ほんとなの」
「え」
「いや」
あたしには、冬の迷宮に対する姿勢が、命令されたから従っているといったような、整理されたものには感じられなかった。
迷宮の探索は、彼女の人生そのものなんじゃないか。そんな風に見えていた。
「でもまあ、命令は続行だが、今まで通り実行には君の意志が優先される。復唱はいままでどおり君が希望する時機で、と言う話で、わかりましたとは答えたけど、なんだか要領を得なかった」
そこまで到達する者が現れるとは、軍も思っていなかったのだろうという予測はつく。冬にもそれは解っているのだろう。
「そこまでいくとさ、もう結構な収入を得ることが出来て、降りる理由の大半も無くなってたんだ」
冬は生活のために迷宮を攻略する仕事をしていたのだった。
それも、表向きとは言え、おそらく最も不向きな軍人として。
理由の大半が無くなった。じゃあ残りは何なんだ。軍の命令が、なんてのは言い訳に過ぎない。
冬の意志だけが残っているに決まっている。彼女は迷宮に降りたいのだ。
迷宮を攻略したいのだ。
「それなりに困難もあったし、難解なリドルと構造上のトリックがあって停滞もしたのだけれど、僕は最下層を踏破してしまった。いや、正確に言わなくちゃいけないね。一室を除いて」
「そこには」
「情報のとおりなら、わざわいの核がいる。生きているか死んでいるか、本人か意志を継ぐものか作られた複製なのかは不明だけど」
いわゆるラスボスに到達してしまったわけだ。
そしておそらく、彼女は勝利を確信している。
「試しにパックを詰め替えて降りたんだけど、誰と行っても攻略できてしまうんだ。一緒に詰めた連中は、最下層攻略に感慨があるようには見えなかった。実入りのいい仕事が出来るようになったと喜んではいたけど」
冬にそう見えて、冬にはそう感じられる。これは、軍人として、職業として、糧を得るものとして、ではなく、迷宮の攻略者として、とんでもなく高いところに、いや深いところに、到達してしまったからではないのか。
しばらくの沈黙。扉を開いて未知の空間に侵入するためには、息を潜めて内部の様子をうかがうのが得策だろう。
「僕は、攻略してしまったら、どうなってしまうんだろうか」
「迷宮を攻略した者として、わざわいの核を排除した者として称賛されるんじゃない」
「称賛されて、その後は何をして生きていけばいいの」
「きっと成功者としての輝かしい毎日が待ってるよ」
「攻略したあとの迷宮は、そのまま存続するものなのかなあ」
わからない。絶句するしか無い。
いや、答えなら、あたしは持っている。
少なくとも、何かが終わってしまうのだ。彼女が情熱を持って望んだ日々が終わりを告げる。
「典。僕は深くまで降りすぎてしまったんじゃないかな。わざわいの核は、僕みたいな、地上に影響を与えかねないところまで行ってしまいそうな人間を引きずり込んで出られないようにしたいんじゃないだろうか」
「わかった。冬の相談は、迷宮を攻略してしまったあとの、ラスボスを倒してしまったあとの身の振り方について、だね」
「そう、そうかも知れない。うん」
「では処方をしてみましょう。効果がなくて迷宮から出られなくなるかも知れないし、廃人同様に過去の栄光にすがってぼけきって生きるかも知れないし、もしかしたら得た力を振るって邪智暴虐の王になるかも知らんけど」
「覚悟しよう」
「でも、どうなってもあたしは冬が好きだ。強くなって強くなって、ついには数百年のあいだ誰も成し遂げられなかった迷宮の攻略を達成するのだから」
「ありがとう、典」
「ラスボスを倒したら、そのときに使用した装具類を、風通しの良いところにしまってください。あ、返り血など浴びていたとしても洗ってはいけません。全部そのままで」
「わかった。倒したら保存の魔法を使うことにするよ」
「さすがです。効き目があるといいですねえ。自分の言葉ながら無責任ですが」
わざわいの核、典の言うラスボスは、思ったよりも手強かった。一緒に詰めたうちのふたりが即死させられてしまった。といっても擬似的なものであって、精神的に若干の傷は残るだろうけど、命に別状はない。声をかけたときに、死を体験するかもよと、一応警告はしているのだ。
死とはどういうものか、僕は体験していないからわからないんだけど。
わざわいの核は、手強かった。
過去形であって、つまり僕たちは勝って終わった。そのときに詰めた者たちと一緒に祝福されて、もう一生何もしないで暮らしていけるだけの収入と地位を得てしまった。
まだ女学生なのに。
もうあんなに刺激的な毎日は送れないんだ。僕は自分で見つけた人生の意味を、自分で終わらせてしまった。
これでいいんだ。こういう結末しか無いのだから。結末は用意されていて、僕はそれを解っていたのだから。
頼まれれば迷宮の話もしたし、迷宮は残っていたから降りたいひとのために手助けはしたけど、もうあの迷宮は僕のものじゃない。
あの迷宮は、僕のものだった。僕が僕のものでなくしてしまった。
しばらく泣いて、しばらく呆然とした。呆然としている間に、ちらちらと光る記憶がある。
迷いの中の導。
風通しの良いところに。
その後のそれなりに晴れがましい毎日のせいで、放課後の教室でのやり取りをすっかり忘れていた。忘れるように仕組まれていたのかも知れない。実をいうと迷宮の記憶もおぼろげになりつつあったのだ。
僕は装具類を仕舞い込んだ小屋の扉を開いた。記念の品、思いの籠もったものだからとっときなさいと、典の言葉を解釈していた。だからあまり深刻には捉えられず、雑然と放り込んだ気がしていた。けど、思ったよりも整理されていた。
「ふむ。達者なようじゃな」
馴染みのない、そして心地よい声。
風通し良く、それなりに日差しが入り、それなりに快適な環境が保てるよう設えた窓際に、少女が立っている。
見覚えはない。
いや、ある。
ラスボスだ。わざわいの核だ。
だけど、あのときの彼女は成人した、僕よりも年上の女性だった。
「ま、そういうわけじゃ。わしの名は素音。末永くよろしくのう」
「え、えと、なにがなんだか」
「おまえはわしの存在を開放してしまったのじゃから、責任があるのじゃ。よいな。いや、わかりましたと言えば良い」
「わ、わかりました」
「ああ、からくりを説明しておこうか。お前に跡形もなく吹き飛ばされる直前にな、お前の持ち物に転身の魔法をかけておいたのじゃ。お前の使った保存の魔法もいい塩梅じゃったのう。あとはそこからの復活を待つだけだったのじゃ。よいな」
「わ、わかりました」
「そもそも何故迷宮を拵えたかというところじゃが、まあ、それはおいおい語ってやろう。よいな」
「わ、わかりました」
いや、何がよいのか、なにをわかったのか僕が聞きたいくらいだけど、相手は僕に負けたとは言えわざわいの核だ。僕など意味もなく畏怖させるくらいの威厳を持っている。ましてやここは迷宮ではない。あれやこれやで僕の手の内にしていた世界ではない。
思うようにならない、乱暴でとりとめのない、現実なのだ。彼女は現実を凌駕する力を得ていたから、迷宮を構築できたのだ。
僕に迷宮は作れない。そんな力はないのだ。
真の勝者が誰なのか、僕は今ようやく思い知った。逆光の中で微笑む美少女は、屈託なく微笑を浮かべ、言う。
「そうじゃなあ。まずはなにか美味しいものが食べたい」
「わかりました」
「それから、どのように世界が変わったのか見てみたいのう。そうじゃな、おぬし、旅をせぬか。わしと一緒に。もちろん気の毒なことに、強制なんじゃが」
「わかりました」
僕には閉ざされた世界がお似合いだった、と思っている。世界は広すぎて、とてもじゃないけど把握できない。そんなことは当たり前だ。僕は臆病すぎて、そんな当たり前を受け入れられなかったんだ。そんな僕を、わざわいの核は無理矢理に世界に引きずり出そうとする。誰にとってわざわうものだったのか。
僕に他ならないじゃないか。
自分の弱さを受け入れなくちゃならなくなったのも、もとわざわいの核である、見るからに厄介そうな美少女の面倒を見なくちゃならなくなったのも、全部典が悪いのだ。
僕のことが好きって言ってたし、ちゅ、くらいさせても文句はあるまい。
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