二十錠目 女学生たちは地下迷宮を服用する(全三巻の一)。

 僕たちの街のはずれには、やっかいな隣人が住み着いていて、地下迷宮を構築して、その最下層において、社会構造を転覆させるために日々たくらみごとをしているらしい。

 一番下から上をひっくり返そうというのだから、バイタリティは凄まじい。僕なんかなにするにもだるくて仕方がないから、若干羨ましくもある。

 その元気な悪者、まあ多分悪者なんだろうなあ。僕たちの世界はそれなりの社会構造、それなりの秩序によって成り立っている。成り立っているからには何らかの利点、利益があるのだろう。そこを壊そうとするのなら悪者扱いされても仕方がない。

 いかなる理由があっても泥棒は悪だ。

 社会的には。

 その悪者の名前も伝えられているようなんだけど、もうだいぶ長い間悪者として地下に居座っているようで、忌みものとして名前を伏せられている間にぼやけてしまったらしい。詳しいひとなら知っているみたいだけど、僕たち程度の関係者であれば、わざわいの核、と呼んでいる。

 まあ、そもそもの根源であるにも関わらず、口に上ることもあんまりない。僕らにとっての問題は迷宮そのものだからねえ。

「典、ここまではいいかなあ」

「冬さん、いいですよ。出来事とそれを見ている冬さんの様子がよくわかります」

「そいつはなにより」

僕の父は、そもそも傭兵として、生活費を稼ぐためにあちこちを転戦していたんだ。ここで地下迷宮攻略のために人材を集められたとき雇われて、母と出会って居着いたんだと。

 で、父親は迷宮で怪物にやられちまった。母親はしばらく悲しんだあと、堅い商売人と一緒に暮らし始めた。

 知らないひとと暮らすのは抵抗があったから、僕は自活することにした。

 地下迷宮探索で生活費を稼ごうとしたんだ。

 母がこの領地のひとだったから、僕には他にも職業が選べたのだけれど、父親が遺してくれたものがあったからこれを活かすことにした。

「女学生がそんなこと出来るの。なんか社会が雑じゃない」

「そうなのかねえ。まあ、浅い階層なら、十歳くらいでもなんとかなるのよ。ただ、稼ぎになるかどうかは別」

「ほうほう」

「迷宮絡みで救急体制も整っているから、死に近いけど必ず死ぬってほどでもない。軍とか警察よりましらしい」

「ははん。でも、あたしは無理だなあ」

「そこだ。あんな暗くて陰気で闇なところに好き好んでいくひとはいないのよ。臭いとか酷いしさ」

「臭い」

「通気性が悪いからね。だから食欲が落ちる。あ、こんな細かいところも聞きたいの」

「どこまで喋るかは、冬にお任せするよ。あたしはわからない世界だから」

「では、好きに喋ろうかな」

「おーけー」

わざわいの核が出現してまず起こった問題は、エントランスから怪物が漏出してくることだった。いや、いまでこそ迷宮へのエントランスとして整備、警備されているけど、そもそもは、ただの洞窟というか地面の裂け目というか、そんな感じのものだった。

 そこから不定期に怪物が出てきて人間に悪さをするんだ。

 話が飛ぶけど、迷宮探索が正式に行われるようになって、迷宮の中で行方不明になっていた領民の遺留品が見つかったりしたんだ。怪物たちに攫われたんだろうな。

「ただまあ、人間だって人攫いとか強盗とかっているからな。怪物だからって人間より悪いかってえと、どっこいだねえ」

「ああ、そうなると怪物と人間の線引きをどうしましょうかねえ」

「姿が怖い、顔が怖い、声が怖い、人間のかたちをしてないから怖い」

「差別と取られかねませんねえ」

「ま、おかしいよね、わざわいの核は。どう考えたって、人間を使ったほうが効率がいいと思うんだ」

「人望がなかったのかねえ」

「そうか、意思の疎通が出来ないようにしたのかも」

「ふむ。なんで」

「なんでかねえ」

わけがわからないんだよ、何を考えているのか。地下迷宮なんて拵える財力と権力と時間があるなら、軍隊を持ったほうが早いような気がするよね。

 わけのわからない穴ぼこなんだけど、そんな具合に少しずつ、領民の暮らしとの擦り合わせが出来ていく。僕の父親が生業としていた頃には、資格を取得すれば、地下三階くらいまで降りる許可がもらえた。

「わざわざそんなところに行こうというひとの気が知れないなあ」

「お金になるんだよ。地下三階辺りだと小遣い稼ぎ程度だけど」

「でも怪物退治しなくちゃなんないんでしょ」

「そこまでの深さだと、あまり大きな怪物は出てこないのさ」

地下四階と三階を連絡している通路には警備隊が常駐している。きちんとした結界が張ってあって、怪物が上がってこられないようになっているんだ。

 地上のエントランスから少しずつ少しずつ、押し込んでいったんだね。

「人間というのは、ほんとに厄介だねえ。怪物以上だ」

「ほう、何故に」

「怪物ってのはさ、基本的に単独行動しかしないんだ。集団で現れるときも、連携したりはしない。こっちで敵の目を引いてそっちから攻撃してくれ、ということが出来ない」

「ああ、そうなんだ」

「身体が頑強ではあるから打ち倒すのは大変なんだ。でも大勢で取り囲めばどうにか出来ないものでもないし、そのうちだんだん怪物の動きが読めるようになって、囲む人数を減らせるようになって、しかも勝率が上がる」

「ははあ。ずる賢いのね」

「ふふ、そうだね。戦士らしい戦いと言うなら、怪物のほうがよっぽど戦士だ。僕たちは立派な戦士ではないけど、厄介な存在ではあるのよ」

そう、厄介。地下迷宮が発生したとき、それはわざわいでしか無かった。何年経っても根本的な根絶の目処が立たない。でも、あれこれ対処しているうちに、それはそれで世の中に取り込まれていく。怪物に対する方法は、暴徒を鎮圧する手段にもなった。武器や防具が進歩した。

 いや、それどころじゃない。怪物の死骸、骨格とか筋肉、皮や何かにも利用価値があった。加工しやすくて、耐久性があって、なんなら食べても美味しい、ってとこまである。

「喰ったんか」

「今度なにか持ってくるよ」

「う、うん、い、いや」

あとなんか生物の成り立ちに関する発見があるとかないとか。

「あ、学術的なこと聞きたいなら専門家連れてくるけど」

「いやそこは盛大に遠慮させていただいて」

知的な関心と言うなら、必ずしも学問的な分野というばかりじゃなくて、噂とか物語とか、なんかみんないろいろ言いたくなったり考えたくなったりするみたい。

 つまりね、難儀であっても受け入れてしまうというのが僕たちの厄介なところだ、と思う。

「そうかも知んないけど、受け入れるしかないんじゃないの」

「そうとも言えるわね。でも、他の生き物にそんな事ができるかな」

「そう言われると」

気に入らないなら徹底して拒絶する。勝てないなら諦める。敵と戦うとか勝負ってのはそういう、潔いもんなんじゃないかと僕は思うのだが、現実の僕たちは全く見苦しい。

 勝ったからと蹂躙し排除するばかりではない。使えるものは活用させて頂きましょう。根絶やしにする代わりに戦後は我が国の方針に協力してください。

 敵にしてみたら、こりゃ厄介だろう。負けて酷い目に遭わされたら、いつかやり返してやると野望を抱ける。憎み続けることで自分らしさを確立し続けられるだろう。

 いろいろあって何もかもなしには出来ませんがまあこっちが勝ってしまったのでこれ以上屈辱や損害を拡大させたくないのであれば勝った我々の立場も尊重していただきたいものですなあ平和とは素晴らしいものですなあ。

 勝った方に歩み寄られたら、悪い気はするまい。負けっぷりが悲惨であればあるほどああこれで助かるかも知れないとなるだろう。負けた僕たちは間違っていた、勝ったひとたちを見習おうではないか。

 結果として、僕たちが持っていたいろいろなものが失われる。

 とはいえ、負けて根絶やしよりもまだましか。生きてりゃ残るものもあるか。

 形骸に過ぎないとしても。

「冬は何の話をしているのかしら」

「あら。聞き齧りの社会情勢なんかが混じってしまったわ。風呂敷を広げすぎたね僕は」

「あら。こっちの記憶と混信しちゃったかな。お構いなくで」

ともあれ、社会と迷宮と僕がどのような立ち位置でどんな風に関わっているか、なんとなく解ってもらえると良いんだけど。

 結局のところ経済的な活動ということになるのかな。有るところから無いところへ、何らかのやり取りが成立しているから僕の暮らしも成り立っているんだ。

 んじゃ、実際に迷宮を落ちる作業について説明してみようか。

 探索には最低ひとり、最高で六人がちょうどいいとされている。ひとりってのは危険なようだけど、装備と技量と迷宮の深度が合っていれば割と間違いのない催行人数だってひともいるね。僕もひとりで行くことはある。

「冬や、危ないことしないでおくれよ」

「お母さん、元気かなあ」

「会ってないんだ」

「もう何年になるかな。会いたいとは思わないんだけど」

「ひとりで危なくないの」

「ひとりで行くときは浅いところだけだから」

危ないと言ったら何をしても危ないね。僕からしたら典の世界は、日常的なところで危険が潜在化してる、と思うから、典も気をつけてね。

 あ、軍隊で攻めていかないのはなぜかって。簡単に言うと規模が違うからだね。軍隊ってのは大なり小なり、相手の国全部を視野に置かなくちゃならない。戦闘がたとえ局地的であっても、兵站はどこかから繋いでいかなくちゃならない。線で捉えても面で捉えても、まあ広大長大なんだよ、僕らの基準で言えば。

 でも迷宮は、たとえばこの教室よりも狭い空間で戦闘を行わなくちゃならない。長物を振り回すわけにはいかないんだ。ええと、密集陣形というのを知っているかな。

「知らんけど、密集してるんでしょうな」

「この教室の全員をずらっと等間隔で並べてそれぞれに長い槍を持たせて、敵陣に向かって構えさせてそのまま前進する」

「ははあ。巨大なとげとげが攻めてくるわけですな」

「強そうだろう。こんなことされたらどんな怪物だってなにもできないまま始末されるだろう」

「最強ですかねえ」

「この最強陣形に対して、こんどは半分くらいの人数を馬に乗せようか。そして武器として弓を持たせよう」

「馬。おんまさんですか」

「うん。馬と人間どっちが速い」

「そりゃ馬でしょう。いや、待てよ引っ掛け問題かな」

「大丈夫大丈夫。この密集陣形は息を揃えて密集して進んでいくから強いんだ。だから機敏には動けない」

「あ、そうだね。マスゲームなんて、ぴ、ぴ、ぴ、って笛吹いてやんなくちゃだもんね」

「はは、そうそう。あと正面の攻撃力は凄まじいけど横が全然。動きの早い馬で横腹を突かれたら陣形が崩れる。そもそも射程の長い弓で攻撃されているのに馬で来られたら、密集陣形ではどうにもならない」

「冬は軍事愛好家かな」

「一応迷宮探索の許可をもらうときに習うんだよ。あんまり役には立たないんだけどさ」

「まあ、公の機関の組織としては体裁を整えたいでしょうね」

「そんなとこかな。でだ、このふたつの戦法はとても強力だけど、戦場がこの教室の中だったら、どうなる」

「どうなるってどうにもならんでしょう」

「そう。この教室が迷宮だ」

「ああ、ははあ。そうか、そりゃそうだよね。見渡す限りの平原じゃないんだ」

「うん」

公国軍の軍事教練としては単独もしくは少数での格闘や剣技の項目もあるんだけど、大振りでね。あとね、複数人で迷宮を落ちるときは連携行動というのがあって、敵の動きはさておいてこっちの誰かがこう動いたらこうフォローして身を捌くというのがあってね。こういうのはもう、迷宮以外ではあんまり役に立たない技術かもしれないね。

「いや、そんなこともないだろうけど」

「そうかい」

「市街地が戦場になる場合もあるだろうから」

「お、典はセンスが良いねえ。確かにそうだ。けど、市街地が戦場ってのはだいぶ悲惨だねえ」

武器は剣と弓。これらはあまり大振りなものは好まれないけど、迷宮の特定の箇所では有効な場合もある。時と場合と場所があるってね。

 あとは魔法って呼ばれてるんだけど、数種の薬品を組み合わせて空間に影響を与える技術がある。古の魔族から伝わった法、なんだってさ。これ、怪物たちも多用するんだよ。

「ええ、ああ、そうなの」

「わざわいの核が仕込んだとしか考えられないってんだけど、どうなんだろうねえ」

「あたしたちの世界でいう魔法って、いろいろと種類があるんだけど、概ね魔法を使える素質を持ったひとが、修練して、呪文によって、この世にある元素だかエネルギーだかを操作して、任意の現象を起こすってものなのよ」

「呪文って、言葉で使えるの」

「うん」

「言葉で物質が影響されるの、すごいね」

「あ、いや、言葉というか、お祈りに近いかも。神の奇蹟とか言うもの、そっちにはないかなあ」

「神様はいるけど、あれは物事の根源をさす存在をそう呼んでいるものだから、僕たちの世界になにかするということはないねえ」

典は話の方向を考えているようだった。僕たちの世界と典の世界は近似のようであっても隔たりがある。違いの説明に執着すれば、摺り合わせには相当な時間がかかるはずだ。

 ましてや神様など持ち出すと面倒になりがちだ。

 僕たちの世界でも神学論争のようなものがある。物事の根源を神に求めるのは結構だが、それは学ぶことの放棄ではないか、などと言ったりしてなかなか収まりがつかない。こちらだけでも厄介なのにあちらとこちらをあわせて考えたら、更に混乱するだろう。

「うん、冬が興味ないなら、魔法の話はここまでにしておこうか。個人的にはもっと聞きたいんだけど」

「聞きたいなら話したいなあ。わけわかんなくなんないように、気をつけながら喋ってみようか」

「任せるよん。ありがとね」

魔法は燃えるものと点火機会があれば炎が出現する、といったようなものだ。極めて物理的な現象だから不思議はない。魔族からの伝来と言ったけど、魔族と僕たちに大きな違いはない、と言われている。残念ながら敵対関係にあったものだから、こういうちょっと禍々しい呼び方になってしまったんだね。

 典たちの世界の魔法というのは、なるほどこれは神の奇蹟だ。でも言わせてもらえば、祈ったり拝んだりで世の中が変化するわけはない。いや、僕たちも、なんかこう良いことが起こらないかなあとか、奇跡的に大金が手に入らないだろうかとか、典たちの言う神頼みみたいなものをしてしまう場面もなくはないんだけど。

「それを聞いてちょっとほっとした」

「でも、典たちの言う魔法、が登場するような物語は、僕たちの世界では成立しないなあ」

「おや夢のない」

「んん。じゃあ聞くけど、魔法が登場する物語というのは、魔法でなくちゃいけないのかしら」

「ええっ。それは、ええと」

「魔法で悪人をやっつける、という展開があったとしよう。それは、魔法でなくたって、犯罪捜査とかそういうことではいけないのかな」

「それは、作家が書く世界が違ってしまうと言いたいけど、そう言われるとそれでも良いような気がする」

「それがなくてはいけない、なんてものは、ロマンチックだなあとは感じるよ。でもこの世界に、取り換えの効かないものなんて無いんだ。あやふやで不合理なものを成立させるために、ながながと説明文を書き連ねるのは感心しかねる」

「冬がこっちの世界の文学をどれだけ把握してるのか知らんけど、それは言い過ぎ。説明文を面白おかしく出来るならそれは立派な文学でしょう」

「そか。そうかも知れないな。ともあれ僕たちの世界での、設定、はそうなっているってとこで、魔法についてはいいかなあ」

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