十九錠目 女学生たちは敗北を服用する。
「その角、待ってくんない」
「あん、いいよ」
「その前の銀も待ってくんない」
「あん、いいよ」
「その前の桂馬も待ってくんない」
「あん、いいよ」
「はじめのはじめの歩も待ってくんない」
「あん、いいよ」
「ねえ典、もうちょっと真面目にやってくんないかなあ」
「いやいや佳子さん、無体ですな」
答えながら、盤面を佳子の希望通りはじめのはじめに戻す。
将棋を指している、と言ったって、佳子もあたしも駒の動かし方がわかる、程度の無双棋士である。勝ち負けは結果に過ぎず、実力を証明するものでもなければ技術のせめぎあいでもない。動けるように動かしたらそうなっただけの話だ。
と、あたしは思っていたのだが、佳子は先述の通り、戦局が動きそうになると待って待ってと停戦を持ちかけてくる半端な平和主義者なので、なかなか戦争終結に至らない。
「負けるくらいなら、負けるくらいなら泣くもん。泣いて泣いて詫びるもん」
それを世間じゃ負けというのではないだろうか。
「負けるくらいなら死ぬ」
「おお、それは深刻だ。ではお話を伺いましょう」
人生において、どこかで負けを認めざるを得ない場面というのが出てくるだろう。認めなければさらなる厄介に苛まれるに違いない。
さほどに過剰に負けず嫌いというのであれば、相談せずにはいられない。
泣いて詫びている状態が負けにならない、というのがひとつ、足がかりになりそうだ。
「負けを認めなければいいということなのかなあ」
「そんなことないよ。傍目に負け認定されたら負けじゃん」
「それなら佳子は泣いてる時点であの女負けじゃんて思われてるよ」
「そんなことないよ。負けるのが嫌だから泣いて逃げようとしてるよ、みっともないねって思われてるよ」
「なんと的確な自己認識。従ってかなり面倒」
「逃げるが勝ちって言うじゃん。だから私の勝ち。私は負けなきゃ良いんだけど」
三十六計逃げるに如かず、か。これもいろいろと解釈の幅が広がってしまっているような気がするけど、逃げるが勝ちと思っているならそれで話を進めよう。
ちなみにあたしは、逃げたほうがまし、程度の意味じゃろと捉えている場合が多い。
ま、言葉の定義なんか、時と場合と所によってにわか雨か雷雨ときには豪雪強風もしくは晴天程度の揺らぎがあっても勘弁してもらいたいとは思う。
「負けるのが嫌いというのは、勝ちに飢えていると」
「それはどうかな。勝とうと思ったらもっと頑張らなくちゃなんないんじゃない。将棋なら定跡を覚えるとかさ」
ここまで冷静に自分を観ているのに、負けを受け入れるのは難しいのか。いや、それとこれとは関係がないのか。
「負けは受け入れないといけないかね」
「どうかね。そうなるとあたしもよくわからん」
受け入れる、受け入れないとかとなると、一概には言えない、となる。面白くもなんともないけど。
「負けを受け入れてしまったほうが楽なんじゃないの」
将棋なら、あたしにしてみれば泣き叫んで負けを無かったかのようにするよりは、
「無かったように、じゃなくて、無かったの。そこ気をつけてね典」
「ああ、大変失礼いたしました」
泣き叫んでまで結果を拒否するよりは参りました負けましたと言ってしまったほうが楽な気がする。
言ってしまったほうが。
もしかしたらあたしは、負けたと言っただけで負けを受け入れていないのかも知れない。いや、今回は負けかも知れんが次やったら勝てるかも知れない。さほど興味がないから努力してもいないが、本気でやったら勝てるようになるかも知れない。竜王とか棋聖とかかっこいいじゃん。アプリで研究したらあれになれんじゃないの。
そう思っているんじゃないのか。なんか思い返すと節々にそんな感触が残っているようなんだけど。
「あ、もしかしてみんなそうなん」
佳子は仲間を見つけた遭難者のような顔をしているが、この場合相手も遭難者だから安心するのは早計である。
「みんなかどうかは分かんないけど、どっか素直に受け入れていないような気が」
負けは受け入れがたい。いろいろと省いて単純に考えてみれば、これは当たり前だ。生物は生存を賭けて常に勝負をしているのが本来の姿だ、とあたしは解釈する。肉食動物なんか分かりやすいか。
遺伝子ってやつはどうなんだ。あいつがどうも諸悪の根源らしいのだけど、悪を為してやったる、世界征服じゃ、という気概のようなものは感じられない。偶然と必然が折り合わさった中でそのようになってしまった、というべきか。
どうもこのあたり、根源過ぎて言葉にすると嘘っぽいと言うか難しいと言うか、日常言語の限界か。分子構造や数式で表現したほうが納得できそうな気がする。理解できるかどうかは置いといて。
どんな生き物だって、最低限、自分の種族が存続できるところまでは死を拒否する、としよう。
死が負けと同じかどうかとなるとまた問題が発生しそうだけど、あたしたちはこころざし半ばで死んでしまうのは負けだと感じるんじゃないか。
「ああ、それはわかる」
「負けを拒否するために死のうとする佳子なのにわかるんか」
「何言ってんの。負けなければこころざしは達成されるんだから死んだって良いのよ」
「ふうむ」
やはり個人を持ち出すと更にややこしくなるので頷くだけにしておこう。
これを勝ちというかどうかはともかく、生まれたからには老人になるまで生きてそれから死ぬ、というのがこころざし、なんじゃないだろうか。
やむを得ない事情でこころざし半ばで亡くなられた方々には申し訳ないが、だからこそ若くして死ぬと悲しみ以上に深刻な影を周囲に遺してしまうのではないか。
こころざしなんて、やや美化されたような言葉を使うからいけないんだろうけど。
実際には意識していない部分で、あたしたちはいろいろな外的要因に負けず生き残ろうと遺伝子の頃から足掻いている。
死んではいけないという遺伝子の言語を、あたしたちは、負けてはいけないと翻訳しているとでも言ってみようか。
あたしたちは負けるのは苦手なのだ。背後に死がちらつくから。
死ぬかも知れないとなれば、泣き叫んで拒否するのは当たり前だ。あたしだって殺されそうになったら、抗うよりも泣き叫ぶだろう。その程度のことしか出来ない。
いや、それすら出来るかどうか。
どちらかと言えば、嫌なことでも拒絶するのが苦手だ。それはやりたくないです、とすら言い辛い。はっきりと意志を表明しなければならないほどに他者と関わり合うのが嫌いなのだ。わかりましたとだけ言っていたほうが楽なんじゃないか。殺しますよと言われたらわかりましたと答えたほうがしっくりくる。死にたくないという気持ちを察して欲しい。あたしは絶体絶命の場面でそんな気分なんじゃないだろうか。
なんだか憂鬱になってきた。ひとの悩みがあたしに影響していると思えば、悪いばかりでもないのか。何かしら影響があるくらいでないと甲斐がない。
生物、人間は負けたくない。だから負けず嫌いは悪いことじゃない。
「そうだそうだ」
「うん、間違ってはいないと思うんだけど」
「けど」
けど、負けを認められないと都合が悪い場合も多々ある。これは実は既出であって、ゲームに負けて泣き叫ぶとかコントローラーを投げつけるなんてのは、
「あのね、お話にならないのよ、佳子さん」
「なんでコントローラー投げつけてモニター壊したことまで知ってんの、神なの」
「やっぱしか」
球技で勝負を決めたのに、じゃあ次は殴り合いだっ、おう望むところよっ、とは、少なくとも公式に認められるような試合の場では、あってはならない。それどころかバスケでは負けたが卓球ではそうはいかん、次が本当の勝負だ、という話にもならない。
だからあらゆる球技で世界一、という選手は現れない。
「本当の勝者というのはそういうひとではなかろうか」
「そだそだ。将棋で負けても球技なら勝てるかも知らん」
「はいはい」
逆に言うと、そんな究極の勝者みたいなものを求められても困るわけだ。
なぜだろうか。
いろいろな角度で言って膨大な手間がかかる、というのはわかる。あたしだって途方も無い話だと感じてはいるのだから。
言い方を変えよう。
何故、人類はかくも膨大な種類の競技を必要としたのだろうか。球技、格闘技、自動車競技、馬術競技なんてものもあるじゃないか。
至る結論は極めてシンプル、勝ったか負けたかだけだ。それを決めるためだけにこんなにもたくさんの競技を生み、そのおかげで最強が決められなくなってしまった。
「そのおかげで私は負けを認める必要がないのだ」
「ところがそうはならない。申し訳ない」
「ひたひたと近づく破滅の足音」
競技を競技足らしめているのはルールの存在だ。近現代においては、多様な競技に共通したルールがある。それは、命のやり取りになってはまずい、という点である。これを明文化している競技はないと思うけど、各競技のルールの内のいくらかは、殺し合いにならないように規定しているものがあるはずだ。ここを抑えておかないと、競技をしているのか戦争をしているのかわからなくなる。いやむしろ戦争と競技の境目はそこにしかないのではないだろうか。
どちらも話し合い以外の方法で勝ち負けを決定しようってんだから。
「佳子は戦争で自分の国が負けたらどう思う」
「怖いこと言い出すなよ。なんだか顔も怖いよ。答えられないよそんなの」
「素晴らしい。見事な回答だと思いますよ」
だから、ルールで決定された負けを認められないということは、
「戦争に至る可能性がある」
「典、やめてよ」
「ルールの中で勝敗が決まれば、競技で済む。済まなければもっと苛烈な勝負になることは目に見えているから」
教室が静かになった。他の生徒達はもう帰ったのだろうか。
競技をしているわけでもない佳子とあたしの間にだってルールがある。それは勝ち負けを決するためのものばかりではないけれど、逸脱すれば社会的な制裁はあるだろう。
「と、言うことになるんじゃないかと思うんだけど」
「私はでもさ、私はでもさ」
佳子と勝負事をしていたつもりはないのだけど、そして勝ったつもりもないけど、佳子は半泣きである。そしてあたしも涙ぐんでいる。
「私は、負けるの嫌」
「いいよそれで。世界中の誰が何と言おうと、佳子は負けてないと思う」
「ぐすん。うん」
「でもまあ話してきたとおり、困る場合もあるだろうから、処方をしておきましょう。効果があるかないかはわからんけど」
「お願いいたします」
「佳子が負けそうになったら」
「なったら」
「飴でも舐めますか」
「効果があるかしら」
「どうでしょうかねえ。プラセボですからねえ」
「でもなんか、気持ちは落ち着きそうな気がするけど」
「おや、そうですか。ふうん。どうですかねえ」
「おい」
だいたいね、負けず嫌いと言うよりも負けが許されないわけよ、私は。
私は、国家防衛プロジェクトの一環として、システムの最重要ファクターとして開発された。今現在もこうして近隣のややこしい国から送り込まれてきた諜報員を排除するために活動しているのだが、今回ばかりはどうにもやばい。パラメーターをどういじっても負け、敗北、撤退推奨と出てくる。あのさ、国を守るために開発された道具に過ぎない私が撤退してどうすんのさ。人間用に開発されたものの応用だから、表示されてしまうらしいのだけど。
国が負けるときに逃げ道はない。一般の国民は一緒に負けるしかない。
負ければどうなるか。
我が国はどうだったか。戦争をふっかけて負けたにしては、まあまだましな負けっぷりだったと言えるだろうか。膨大な死者と数十年経っても敗戦国扱いされ、もはや関係ない世代に対してすら負けた国の国民という目で見られている状態をましと言えるのならそれでいいんじゃん。
防衛装置としての私としては、そこらへんどうでもいいのだ。
追い詰められた私は典に言われた通り飴ちゃんを口に放りこむ。
他にすることがなかった。
相手のステルス性能が若干上回っているようで、狙いが尽く外される。こちらが撃つタイミングでずらされて、無駄弾を撃ってしまった。
トリガーはオートで、最適値、最適時に引かれるのだから、撃ってしまうほかないのだけど。的はそれを狙っているのだ。
よく出来たシステムだと感心する。
でも負けてはいけないのだ。
「ちくしょー、負けてたまるかあっ」
私は半泣きになり叫びながら膠着、いや、敗北が決まっている盤面に身を放りだした。ターゲットは当然、私の筐体に弾を撃ち込んでくる。
ジェネレーターを、正確に、だ。
従って、当てずっぽうでいい加減な私の行動のほうが速かった。私は口に含んでいた大粒の飴玉を、ありったけの空気圧で撃ち出してやった。
当たったかどうか、それはどうでもよかった。ターゲットは正確に私の状況を把握していた。全ての要素において勝者と敗者が決定された今、この瞬間に、不確定な事象が加われば良いのだ。私は好機を逃さず間合いを詰め、最後の引き金を引いた。
さて、どうだったか。
徐々に機能が低下していくのがわかる。人間ならば、意識が遠ざかる、とでも言うのだろう。各種演算が混沌を告げる中、任務達成という表示が浮かぶ。
よかった。か。
まあ、国が無事であれば私はまた行動できるようになるだろう。事後のためにバックアップは常に取られている。行動不能になったとて、また新しい機械の身体に記憶が移されるだけだ。
そうなんだけど。
典のおかげで任務を遂行できたんだろうけど、私は生還できることを喜んでいた。修羅場をくぐり抜けたのだから、祝福してほしいものだ。
ほっぺにちゅ、と。
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