十七錠目 女学生たちはロールプレイングゲームを服用する。
ゲームはちょっと夢中になってやったことがある。数は多くはない。ジャンルはロールプレイング。あんまり強くない敵、分相応な弱いモンスターを倒して経験値を稼いで、少しづつ強くなって、最終的に悪の根源をなしている最強の敵を倒してエンディングを迎える。そんなのばかりだ。
ロールプレイングと言っても味付けはいろいろだから、こんなのばっかりとは限らない。いずれにせよ鈍いあたしはせわしないのは無理だ。物語が展開するように進むゲームなのでエンディングを迎えることが前提になっているから、誰がやったって最後まで行けるような難易度になっている。あたしが好んだのはそういうものだ。
「という程度の関わり合いだねえ、ゲームってのは」
「そか」
玲子は口が重かった。なんとなく輪郭のはっきりしない雰囲気でゲームがどうのこうのと言っていたので、あたしのゲーム体験を語ってみたわけだ。
「面白かったの」
「面白かった、んだろうねえ。割とお話も覚えてるし、あのさ、エンディングでスタッフロールがあるのよ。映画みたいに。あれがいいのよ、映画よりもずいぶん長い時間接しているし」
「そうなんだ」
あたしが悪いわけでもないのに、なんとかしてくれと怒鳴り込む勢いで話し始める娘も、こんなふうに言おうかどうしようかためらっている娘も好きだ。もしかしたら話しかけてもらえるだけでも嬉しいのかも知れない。
静かな時間が長いが、玲子がそこに座っている以上は彼女とあたしの世界だ。あたしはそこで過ごすだけ。クリアしたゲームがどうだったか思い出したりしながら娘の言葉を待つ。
「そこで感動ということは、ラスボスは倒さなくちゃなんないわね、どうしても」
バグや裏技で見ることは出来るかも知れないけど、スタッフロールだけ見て感動できる自信はない。
「ま、そうだろうねえ」
また沈黙。
いや、もしかしたら。
あたしがどうにかする必要があるかも知れない可能性に思い当たる。だってロールプレイングゲームというものは、悪逆非道の魔王が世界征服を企てている。勇者よ、もはや一刻の猶予もならぬ、魔王を討伐するために旅立つのだ。というところから始まる。
従って、勇者つまりプレイヤーが何もしなければ何もかもそのままだ。勇者が不慣れなうちに踏み潰してやれ、ということは出来ない魔王様なのだ。
あたしはもしかしたらプレイヤーなのかも知れない。あたしが何かしなければ、何も始まらないのかも知れない。
「魔王玲子様」
「はい」
「今日はもしかしてなにかご相談ごとでも」
「うん。わしは魔王なのだけど、倒されるのが怖いの。勇者たちに。でも、わしが倒されないとお話が終わらないの」
そりゃそうだろう。魔王は倒されるためにいるのだ。身も蓋もないが、そういう設定なのだ。
「でも、倒されるのが怖いの。逃げ出したくなるくらい」
「ははあ」
魔王が逃げ出したらどうなるか。もちろん、世界は平和になるのだ。だがお話としてはどうか。逃げ延びれば復活の可能性はあるのだから、ちょっともやもやするんじゃないか。実際そんなゲームもあったような。
あ、だから結局魔王には逃げ場はないとも言える。ゲーム内での限界がどこまでであれ、勇者は魔王を倒したい。お話が終わるかどうかは一旦おいてしまえば、勇者は魔王を倒すまで行動するだろう。
どうあっても倒されるのが魔王だ。玲子の恐怖は、慰めてあげる程度のことしか出来ないだろう。それを助けたと言えるのか。
「魔王を助けるってのは、例えば魔王の手下になって世界征服を全うするとかってことになると思うんだけど」
「でも、どうせ勇者が出てきて倒されるんじゃないの」
「ま、まあねえ」
魔王は度々復活する事例もあるし、勇者のほうが倒される場面だって多いはずだ。あたしだって何度か悔しい思いをしたものだ。
たかがゲームだ。
それでも悔しい思いをするほど夢中になったのは、魔王がいたからに他ならない。
玲子は逃げ出したくなると言った。彼女はもしかしたら、魔王であることを放棄したいのではないだろうか。
「そうすれば、勇者に追っかけられずに済むもんね」
「そう、そうね」
だが、勇者として頑張ったあたしはどうなる。魔王やめましたと言われて矛を収めるなんて、まあ、あたしは出来るだろうけど、魔王にひどい目に遭わされたひとびとが、それじゃ仕方ないと納得するか。
納得させてはいけない、という理屈が作られてしまう。
勇者は、周囲の人々が魔王にひどい目に遭わされて困っている、なんとかして欲しいと願うから発生したのだ。発生というと太平洋高気圧みたいだけど、ともかく勇者だけが魔王に何かされたから、要するに私怨を晴らすために旅立つのではない。みんながしんどいって言うから勇者になったところもあるのだ。
だからだ。
だから、いくら魔王が魔王であることを放棄し過去の所業に遺憾の意を表したところで、じゃあ人々的には許してやるか、なんてことをされては困るのだ。
あたしは、みんなの意思を汲んで勇者になって、過酷な冒険を乗り越えて魔王の面前に到達したのだ。どれだけ犠牲を払ったことか。赤点寸前だったじゃないか。寝不足で授業中眠って叱られたではないか。結構な金額を払ってこのソフトを買ったのだ。
それなのに、ああもう魔王様もああ仰って反省されているようですから今回だけは大目に見ましょうよ勘弁してあげてくださいよそんなにいきり立たずにもっとおおらかな心でなんて言われてみいや。
許せるものか。
自分らの浅はかで人生をむちゃくちゃにされて挙げ句そんな事言われたら、あたしが人々を滅ぼしてやろうと思ってしまうわ。
「典、落ち着いて落ち着いて」
「ああごめんごめん。そういうわけで魔王は倒されなければなりません」
「わかっているのよ、それは」
「倒されるのが怖いというお話でしたね」
「そう。怖いの」
「それは、痛いことされそうだから怖いということでしょうかねえ」
「うふ、なにそれ。わしは魔王なのよ、そんなもの怖くないわ」
「では、地位を失うのが」
「魔王は魔王であって、階級じゃないの。だから人々は魔王を倒せと言うのよ。魔王のいる世の中をなんとかしよう、とはならないでしょう」
「ああ、そうですねえ」
相談に乗る、相談に乗ってほしいなんていう言い方があるから、する方される方と上下強弱がありそうな感じがするが、もともとの言葉は「相談」つまり相したふたりが談じるものなのだ。談じるのだからお互いはお互い様という立場でいいはずだ。はじめにも言ったような気がするが、玲子の、魔王の相談内容を攻略するのはあたしであって構わないのだ。
相したふたりか。愛したふたりでもいいのかも知れない。
うふ。
ゲームの中の勇者というのは、あたしが知っている限りの話になるけど、無表情だし、自分について全く語らない。ここまで勇者の気持ちみたいなものを喋ってしまったにも関わらず。
勇者はプレイヤー、ゲームを購入して電源を投入したひとの分身なのだ。小説や物語の主人公のように、作者の部分ではない。だからプレイヤーは、勇者の本体であるにも関わらず、ああ経験値上げめんどくせえとか呟いても構わない。むしろそのほうが自然と言える。世界の平和のために戦うのだ、という気持ちが、一皮むけば出てくる可能性までは否定しないが、口にするのは流石に気恥ずかしい。
それと、当時のゲーム環境、ソフトとハードのスペック上の問題というものがある。勇者は無表情であるが、表情を表現するほどの性能がなかったのだ。
いつのはなしをしているのやら。これあたしの記憶か。もしかしたらどちらかと言えば古典的な魔王の影響かもしれないが。
勇者は、世界を救うものとしてのアイコンであり、夢とか野望とかを語り世界を動かす、いわゆる物語の主人公ではなかった。
重複してるなあ。
主人公は、ゲームで怒ったり喜んだりしている人間、プレイヤーだ。あたしは、あのダンジョンめんどくさかったなあとスタッフロールを眺めながら思い返す。今となってはいい思い出だ。だがそこには当然ながら勇者の姿はない。へたをすればどこで何をしているのかすらわからない状態だ。そこには勇者ではなくあたししかいない。勇者の冒険を語ることが出来るのはあたしだけなのだ。
勇者は語ることが出来ないのだ。
いや、語ることを奪われた勇者だからこそ、プレイヤーの感情移入を促すことが出来たとも言える。まるで生きている人間のように振る舞う現在のゲームに隔たりを感じるには、この辺りも起因しているかも知れない。
勇者としての都合ばかり語ってしまったではないか。
「なるほどね。そういう感じになっているのね」
「既知の部分もお有りでしょうが、いちおうおさらいとして」
「ん、面白かったよ」
対して魔王は多弁である。多弁と言うか、周辺が黙ってはいないだろう。虐待された人々の怒りや嘆きばかりではない。俺様に逆らうと魔王様が黙っちゃいないぜ。魔王様の命を受けてお前の命を云々。
魔王様もいろいろと仰ったりするが、
「よくぞここまでたどり着いたと褒めてやろう。わざわざわしに負けるために。ぐわっはっはっは。とかね」
「さすがお上手。というか、それがいつもどおりか」
どうもあたしが知っている魔王は子供っぽいと言うか、原初的なようだ。最新のゲームならも少し、女学生でも多少は共感できる程度の行動理念を持たされているような気がする。
ま、これは悪いことでもなかろう。言い換えれば昔話や童話に近く、原型的であって、より本質と対峙しているとも考えられる。この邪智暴虐の魔王を除かねばならぬとプレイヤーが思えればいのだ。
プレイヤーが。
いや、魔王を倒そうと志すのはあくまで勇者である。あたしは別に魔王にひどいことをされているわけではないのだし。
プレイヤーは傍観者だ。魔王と勇者の物語としてゲームを捉えるなら、感覚的には観劇に近くなってしまう。あたしが熱中した作品は、観劇をちょっと能動的に、より主人公の行動に共時性を感じられるようにしたもの、でもあった。
いや、でもなあ。
映画を観たり読書したりするほどに、感情が揺さぶられるようなお話が展開されるわけではない。ゲームの購買層は女学生以下の子供であった。だからあまり尖った話にも出来ない。そもそもゲームはゲームで観劇は観劇だ。近さを感じるのはプレイヤーの勘違いである可能性が高い。
まあ、ゲーム自体が神話や伝説を基礎においているから仕方ないんだけども。
「考えてみたら、わしは、勇者の後ろにプレイヤーが居るなんて知らないものね」
「あ、そうか。そうですね」
「典がいたのね」
「そうなりますね」
魔王玲子は懐かしいものでも見るような目になった。
これで更に勇者は微妙な立場になる。勇者の行動原理は、曝露してしまえば魔王の存在に起因しているのであり、いや、繰り返しているように、魔王がいたから勇者になったのだ。
いや、かっこいい勇者を思いついたから魔王を設定したのだ。創作の作法としてはそれもあるだろうが、かっこいい勇者の時点で魔王が背景にある。
なら表裏であって後先はあるまい。これも違うような気がする。
魔王と呼ばれるものが、か弱き人間に襲いかかる無数の厄災、人間を苦しめるものの言い換えだとすれば、それに抗うひとを勇者になぞらえる。順序で言うなら、ひとが成立して難儀が立ちふさがり勇者が生じる。ひとは克服の過程をそのように考えた。考えたというか、現実がそうだったんだろう。
現実ねえ。
現実の勇者と言えば、中世ヨーロッパという気がする。別に日本の戦国時代のつわものを勇者と読んでも差し支えないとは思うけど。
中世ヨーロッパで敵と言えば隣国だ。戦時において敵国の扱いはそれこそ神の敵悪魔の手先もしくは悪魔そのもの。国王はどんだけ国内で善政を敷いていようが魔物の王、魔王である。
あなたが倒した魔王は、実は彼の国の民には親しまれている王様だったかも知れないのだ。
「ゲームやりにくくならない」
「子供騙しは通用しなくなるんだねえ」
ま、そこらはさておき楽しむのだけど。
「でな、玲子魔王様」
「はいはい」
「結局のところ、勇者だの魔王だのという存在は、ゲームにはあんまり重要でないとも言えるのよ」
「え、だって、わしが悪さするから始まるんじゃないの」
「プレイヤーは、ゲーム始めたらそんなこと忘れちゃうもん」
「ふい」
「勇者は喋んないから何を考えているかわかんないけど、結果的に魔王を倒して平和とやらを取り戻すための行動になっているだけで、動かしてるプレイヤーはと言うと」
「ふい」
「経験値を上げるため殺戮を繰り広げているのであって、村人たちを助けるためじゃない。迷宮を探索するのは強い武器が手に入るからで、謎や神秘に興味があるわけじゃない。攻略本を読むのは魔王が倒せないからじゃなくて、知らない情報を得て、ゲームの世界を隅々まで楽しみたいからなんだ。つまり」
「つまり」
「楽しむものなんだよ。悪いことも良いことも。この世界では」
教室の壁が消え天井が消え、幾人か残っていたはずの女学生の気配も消えた。視界が一気に開け、緑の草原が広がる。遠くに山並みと白い雲。ゲームの序盤だ。
「そう、そうよね」
「玲子がそれをどう思うかは、わかんないけど。もしかしたら失礼な話かもね」
「ううん。わしのとこまで来られたのは、楽しめたからなんでしょ」
「もちろん」
「なら、さんざん悪さした意味もあるのね」
「そうそう」
「でも、それがわかっても倒されるのは怖いのよ。いっそあれよ、発電所を止めたらゲーム進められなくなるじゃない。原子力発電所とかって止めたらどうなるの」
「いやいや、はやまらないで。うつつはゲームではないのです。すぐに処方致しましょ」
と言ってもあてにならないプラセボ。全国的に不自由な生活が始まるかも知れない。
「ええと、甘いもの、お好きでしょ」
「そうね、頑強に抵抗する国を滅ぼして、国民を家畜化して、極楽みたいになったところでお茶と一緒のどら焼きなんて最高ね」
「征服者としては完璧ですな。甘いものを食べてください」
「え、割といつも食べてるけど」
「結構。ここで喰ったらうまいかもってタイミングが良いですかねえ。ま、偽薬なんで」
「はあ」
でもそんな事言われちゃったら、どうも終盤に差し掛かりつつあるいま、ここで、なんてタイミングはわしが倒されるときしか無いではないか、って感じだし。
来てしまうものは来てしまう。わしはプレイヤーの楽しみのために生まれたのじゃ。そしてプレイヤーの楽しみのために倒される。勇者やこの世界の奴らにとってはどうだったか知らんが、わしは悪いことをしていたわけではないのじゃ。
人間どもがやらかしてきたことと混同されては困るのじゃ。
わしの次に強いという設定のモンスターが倒されたらしいから、もうじき勇者が現れる。奴とわしとでは強さの種類が違うし、特殊なアイテムを持っていないと攻撃が機能しない。
でもま、どうでもいいや。
わしの勝ち負けが決まるのは数字のやり取りの結果だ。プレイヤーは世界を救うための最後の試練とか、ゲーム内での煽りにのりのりかも知らんけど。
そんなものより今は甘いもののほうが気になる。今食べちゃおうかな。
場合が場合だけにささっと食べられるものが良いかと思うので、干し芋を持ってきた。どこからって、魔王なので貢ぎ物には事欠かない。炙ると更に旨くなるらしいから滲み出して艷やかになっていく部分がある。
おいしそ。
倒される。倒されるべき悪の側として設定された。それは仕方ない。咲いた花はいつか枯れ散る。命はどこかで尽きる。
と、理解して覚悟して安らかな気持ちになっていたと思っていたのだが、噛むほどに深くなる甘味に酔っていると、閉じ込めていた感情まで染み出してくる。
わしは倒されたくなかったんだ。もっともっと悪いことしたかった。魔王として畏怖されたかったんだ。でもそんな我儘は許されない。わしの存在は厳密に規定されているのだ。
抗いようのない、決定された終末を迎えるにあたってわしは、わしときたら、魔王でありながら絶望していたのだ。覚悟なんて出来なかった。逃れられない運命に希望を失っていただけなのだ。
甘いものを食べるという幸福との対比の中で、自分の不幸を認めることが出来た。魔王が倒されねば完結しない物語を、いまようやく、ゆっくりと飲み下す。
「というわけで、勇者とやらに負けたったわ。忌々しい。慰めをせよ。わしにちゅ、せよ。さもなくば」
「わかりましたよ魔王様。でも、また会えてよかった」
「典は知らないの。面白いゲームは、ラスボスが印象的なゲームは、なんどでも電源が入るのよ」
あたし自身はと言うと、めんどくさくってもっかいやりたいとは思わないのだが。
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