十三錠目 女学生たちは漠然とした不安を服用する。

「こんなこと言っちゃあ典に悪い気がするんだけど」

「いやもう好きなように喋ってください。腹が立ったら怒鳴り散らかして周辺に八つ当たりです」

「マリ、変なこと言うなよ」

「泣き出したり端っこで丸くなったりして面倒くせえんだよ典が腹立てると」

「しかもなんだか長々とふてくされるしなあ」

「機嫌取るのにお菓子買わなくちゃなんないから金もかかるんだよ」

今回は外野が多い。こんな場合もあるのだ。女子だから。

「好き勝手言ってんな。ああもう腹を立てちゃおうかなあ」

「もう、怖くて何も言えないじゃんかよ」

マリは呆れたような顔。でも、下地はどこか軽やかな笑顔である。

「怖いとこもあるけど言ってしまうね。私は典の力って、信じてないんだけど」

「ああ、それはあたしもおんなじです。プラセボにはお詳しく」

「いや、そんなに詳しくはないけど、あれじゃん、効くと思って飲めば効く的な」

「そんなふうに伝わってますねえ。でも実際のところは信じていようがいまいが効果はあるんですよ。いや、正確には、効果があるひとにはある、ないひとにはない、とでもしておきましょうか」

「ふうん」

だけどあたしがほんとにプラセボを使って何かをしているかどうかはわからない、と断りを入れた。

「あれはあくまで医療の話でして、あたしがやってることは全くもって医療じゃあない」

「そうだね、お医者さんじゃないもんね」マリはころころと笑う。「で、相談なんだけど」

このあたりがよくわからない。効果が信じられないと思っているなら相談したって仕方ないんじゃないのかな、とあたしは思うのだけど、あたしの前に座った娘さんたちはとりあえず自分が抱えているものをお話ししてくださる。

 あれか。占いみたいなもんか。あれは別に当たるから話題になるわけではない。話題にするのに丁度いい素材だから、というだけだ。あたしの前に座るのは、時間を潰すのにちょうどいいからじゃないだろうか。

「で、相談なんだけど」

あたしの姿勢が話を聞くようには見えていなかったらしく、マリはもう一度言う。

「はいはい、どうぞ」

「将来が不安なのよ、漠然となんだけど」

マリは笑顔で言う。

 ふむ。ふむむむ。

「漠然と」

「うん」

「した不安」

「うん」

「マリ、あのさ、もうちっと切実なっていったらいいのかな」

「ん」

「なんとかしてもらわないと死ぬというくらいの深刻な相談事がいいんだけど」

外野が口を挟む。

「マリ、わたしたちもそう言われて断られたよ。お小遣いをあげてもらいたいって相談したら、あたしみたいにバイトしなさいって言われて終わり」

「あら」

「いやね、漠然とした不安が悪いわけじゃないんだけど、何回か手首切ったほど不安とかならまあ」

「こわ」

「典はやっぱ変だわ」

が、マリは存外に表情を変えない。そうねえ、とぽそりと言ってから続ける。

「あまりにも不安だから、幸運をもたらすペンダントというのを、三百万円で買いそうになったわ。親にずいぶん叱られたけど」

「ほう。そいつは切実ですな。伺いましょう」

 三百万円の出どころが気になるが。まさか親のはんこを持ち出したんじゃあるまいな。

 ともあれだ。

 あたしたちの年齢なら、もうじき卒業して就職とか進学とか、社会に出るための選択をしなくちゃならなくなる。マリは成績優秀だから進学するのだろう。進学ならいままでの生活の延長ということになるんじゃないか。なら、さほど不安になることもあるまい。

 いや、そうは言っても難関だ。良いところに入ろうとすれば勉強も難しくなるのだろう。狙っている大学に相応の成績、点数が取れていなければ不安にもなるか。

 いや、それは不安じゃない。点数が取れないのは、勉強が足りないだけだ。何もかもが足りていないあたしが言ってはいけないが、頑張っているのに追いつかないという不満なら、志望校のランクを下げればいいんじゃないか。

 ま、これは当事者じゃないからそんなふうに思えるのかも知れない。が、これなら具体的な不安だ。マリはあくまで漠然と不安なのだ。

 思えば漠然とした不安を抱えるなんて、人間くらいなものだろう。動物にあるとしたらもっと具体的な、飢えそうとか子供が心配とかそういうものだろう。漠然とした不安を抱えている動物というのも、可愛いと言うか可愛そうと言うか、身につまされそうな気がしないでもないけど、彼らにはそんな余裕はないはずだ。

 なぜなら、動物には、まあ人間だって獣ではあるのだが、動物には将来はないからだ。人間が動物の将来について憂う事は出来ても、動物が自主的にそうすることはない。動物は、主観的に将来など考えられない、考える必要がない。

 将来のために備える動物は、実は、いることはいる。リスが食物を蓄えておいたりとか、確か菌類を栽培する蟻がいたんじゃなかったっけ。彼らは将来に備えてあれこれしているとも言える。

 まあでもそういうの、将来のためになんて言えるかなあ。言ったのはあたしだけどさ。我々は将来に渡る種族繁栄のためにどんぐりを集めているのですと言われりゃ、そりゃ可愛いかも知れないけど。可愛気がないとも言えるか。

 決めちゃおう。

 動物に将来は似合わない。動物には、将来と言い表せるような現象はない。彼らは自分たちを守るために行動している。あらかじめ決められた行動だ。決められた行動を取るだけのものに将来を持ち出すのは良くない。生きるために、やっているのだ。だから当然具体的だし固定的だ。

 定義してしまおう。

 将来という言葉には、不確定要素が含まれている。だから、将来何になりたいですか、という設問が効果的に機能するし、将来に対して不安を抱えるということにもなる。受験はあらかじめ決められた制度ではあるが、選択肢の一つに過ぎないし、落ちる可能性だってある。リスのどんぐりは他に選択の余地がないし、たまたま見つからないという不運がなければ拾うことは困難ではないだろう。

 もしかしてとっても困難だったりして。舐めんなよ、っつってリスに切れられたりして。人間に生活圏を脅かされるということもあろう。わかりもせんのにわかられたような顔をされて腹を立てる、というのも、お話の中でよくあるお話だ。リスの話はなかったことにしよう。

 将来への漠然とした不安、将来、漠然、不安。この三つの熟語は違うものを言いたいような顔をした同じものだ。いや意味はそれぞれ違うだろ無茶苦茶だと思われようが同じなものは同じなのだ。

 大学受験に対する、勉強の時間が足りないことによる、点数の不足。こんな三要素であれば、それぞれが独立した問題であり、対処が可能だ。受験する大学を検討するか、勉強の時間を増やすか、努力の結果として点数が上がったかどうか、やってみれば分かる話だ。

 将来、漠然、不安、という言葉にはどれもこれも掴みどころが感じられない。将来ってのはどの辺りの先の話だ。漠然ってのはぼんやりしてるって事か。不安ってのは安心できるほど努力してませんって意味か。

 なんか受験生ばかり敵視しているようにも聞こえるなあ。

「耳と心が痛いぞ、典」

「いやまあこれはあたしの内部の問題だから気にしないで」

「うにゃあああ」

そうだ。優秀な成績で良い大学に行って社会に貢献できる、そういうひとたちが増えれば、国が良くなってあたしの生活が向上するかも知れない。ここは彼らが前向きになれるような綺麗なまとめ方をする必要がある。

 将来に対する漠然とした不安。

 これは、実は人間にとっては当たり前の状態だ。人間はある程度未来を予測しつつ、言葉で未来を構築しつつ考えることが出来てしまう。生きていくうえで強力な武装だが、予測は予測であって確定したものがあるわけじゃない。考えれば考えるほど、未来に適合しない自分、自分に適合しない未来が思い浮かぶ。

 未来に備えよう未曾有に対処しようという優秀な脳味噌ほど、その不適合部分に慎重になるはずだ。大人のように決まり切った未来、漠然とした不安すら抱く余地がない固着した明日、あたしたちはまだまだそんなところに至ってはいけない。

 本当は大人になったってわかりきった明日が迎えられるとは限らないし、迎えた明日がわかりきったものだなんて決めつけてはいけないのだ。変えなければならない要素はいくらでもあるはずなんだ。努力は受験生だけがするものではない。わかったか大人ども。

 将来に対する漠然とした不安。

 それを感じているマリは、いままさに人間としての強さと弱さを発揮しているのだ。人間であることを満喫しているのだ。

 マリだけではなかった。岐路に立つあたしたちはみんな、人間本来の姿でそれぞれなりに四苦八苦しているのだ。人間として生きているのは、あたしたちだけなのだ。

 しかしまあ、将来に対する漠然とした不安なんて、世間的にはまあそう言うもんだよね大丈夫大丈夫みんなそうだから。とか、不安で時間を浪費するくらいなら努力をしたまえ努力を。とかで済ませてしまいそうな気がする。

 これでは本気で悩んでるひとにとっては物足りないだろう。が、掴みどころのない悩みには掴みどころのない答えが丁度いいとも言える。

 いずれにせよ、自分で掴んでいくしかないのだ。

 よし。これでなんとか出来そうな、足掛かりが出来たような気がする。

「では、あてにならないプラセボを処方させて頂きましょうかねえ」

「お願いします」

「地球を回すようにしてください」

「え、地球を回すような動きの運動するの、体操とか」

「いやいや、地球を回すんです。マリの力で」

「はあ」

マリは釈然としない顔で離席していった。あたしはその後姿を頼もしく見送った。釈然としない中に、覚悟が見えるような気がしたからだ。

 それから一週間。マリはちゅ、してくれと言ってきた。今回は表情も頼もしく見えた。

「典が説明してくんないから、地球を回せったってわかんないじゃん。わかんないままさ、呆然としちゃってさ。誰も動いてないし。親も動かなくて、死んじゃったんかと思ったけど、どうも時間が動いてないみたいで、地球を回せって、そう言うことなんかなあって、なんとなく思って。思ったからって地球の動かし方なんてわかるわけないじゃん。もう泣きたくなったよ。もう、腹が立ったから地球を蹴飛ばしてやったんだ。そしたらいろいろ動き始めてさ。んで、止まっちゃうのは構わないけどさ、周りが止まってる間私だけ動いてるってことは、私だけ歳取っちゃうってことでしょ。そんなん勘弁と思ったから、毎日決まった時間に蹴飛ばすようにして、止まんないように気をつけてさ。でもさ、そんな感じでこの地球を動かしてるのが私だと思ったら、あれこれ悩むのばかばかしくなってね。楽になった。ありがとね」

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