十二錠目 女学生たちは母親を服用する。
「あ、裕美ちゃん、おかえり」
玄関開けていきなり母親の声だ。鬱陶しい。何も答えないし顔も見ない。もう何も言わないでくれないかな。学校だけでへとへとなんだよ。部屋に飛び込んで大きめの音で音楽をかける。何もかもを遮断してひとりになりたい。食事ができたと呼ぶ声がする。もう何日も一緒に食べていないんだから、わかりそうなもんだろ。家族が誰もいなくなってから、階下に降りてひとりで食べる。
母親が作る料理は美味しかった。温めればもっと美味しくなるのは知っているのに冷たいまま掻き込んだ。母親が作ったものなんか食べたくないのだ。でも買いに行くお金もないし作るのも面倒だ。
そんな私にも、当たり前なのかも知れないけれどお母さんが大好きだった時代があって、そんなときの気持ちや景色を思い出して今の私との差に呆れたりする。それを成長というのだろうけど。
「それを成長と言うんですよ、裕美ちゃん」
「裕美ちゃんはやめてよ。そうなんだろうけどね、そうじゃないひともいるでしょ。私は辛いんだよ」
あたしのところも母子関係が良好とは言えないから、辛さはわかる。でもあたしに出来るのは相談にのることであって、共感ではないような気がする。
「あたしたちの年齢では普遍的に親が嫌になるもんらしいですけど」
「でもさあ、ほんとにそうかな」
「というと」
「なんか、幸せそうな奴らはみんな、親と仲良しなような気がしてさ」
ここで言う幸せそうな奴らというのは、勉強やスポーツが得意で人当たりがよくて友達がたくさんいる、みたいなひとたちのことだ。あたしも似たようなことを考えるからわかる。実際の彼らがどんなものなのかはどうでもよく、恵まれてやがるぜあいつら、とあたしが思いされすればよいのだ。
思いさえすればよいのだ、か。
「いや、ほんとに恵まれているように見えるよね」
「うん、そうそう。私たちがそうなれないのは、親が悪いんじゃないのかね。家庭環境に問題があるからじゃないのかね」
「そうかもなあ」
そう見えるひとたちは裕福な感じがする。感じがするだけじゃないかも。家の構えとか思い返すときちんと裕福だ。
困ったな。そもそもは親離れ子離れとかいう人類一般が抱えた問題かも知れないし、なおかつあたしが理解できてしまう状況だ。こりゃもうただ愚痴聞き役に徹して、やれやれお互い大変ですねてなとこでお引き取り願ったほうがいいのかも知れない。
あ、待てよ。
「裕美ちゃんはもしかして」
「裕美ちゃんはやめてっつーの」
「もしかして、お母さんと仲良くしたいの」
見つめ合う時間がややあって、こくりと頷く。いいね。かわいい。
「時々、つまんないことで言い合いしたりするんだけど。言っちゃっていいかわかんないけど、殺してやりたいと思う」
それはあたしも同じ。あんなものは生きていても仕方ないから殺してやるか、と。
「でも私は、本当は母親と仲良くしたいんだ。きっとそのほうが、もっと楽に毎日が過ごせるんだ。無闇に憎むより、そのほうが楽に決まってるよ」
「よろしい。少々お待ちくださいよ」
あたしは母親と仲良くしたいと思ったことはない。好きになれない自分を責める気もない。好きになれない母親に改善を求めることもない、だろう。
聞いている範囲では、裕美の母親はあたしからすれば羨ましいくらいの良き母だ。家から帰ったら迎えてくれ、ご飯を用意してくれて、色々と気にかけてくれている。そこら辺が鬱陶しく感じるというものなのだろうが、どこまでを気にしてもらってどこまでをほっといて欲しいかなんて塩梅は、本人にだってわかりゃしないだろう。
なんだか裕美が羨ましくなってきた。
羨ましいのか。あたしは良い母親が欲しいのだろうか。いや、良い母親である裕美のところだって、現状では裕美に憎まれているのだ。良い母親を持ったところで親子とはそんなものなのだろう。
やれやれ。わかりきっていることを数度踏みしめる事態になる。だって親子関係なんか、神話の時代からのネタじゃん。どこをどうほじくり返してみてもまあそういうもんだよ親子なんて、というこれまた決まりきった答えにしかならない。
それで裕美が助けられるのかよ。
いや、それは格好良すぎる。どうもこじれた母子関係なんてものは、あたしの世界に近似過ぎて、力の入れ具合がおかしくなりがちのようである。効果がある場合もあるかも知れませんねえ、如何せんプラセボなもんで。これを忘れちゃいかん。
あたしがいくら美少女を羨ましがったところで、交換できるものではない。整形って手段もあるけど、そこに至るには羨ましい以上の覚悟だの現実的な必要性だのがなければならないような気がする。芸能人が整形するのは、是非は置いといて、そういうものを要求する職種なんだから仕方がないのだ。
なんでそんな話になるのか。
いくら羨ましくたって、親だの自分の顔だのは、取り換えっこするのは極めて難儀だと言いたい、らしい。あたしは世間の良好な家族関係も、一見悶着しているような裕美のとこも、どちらもおんなじくらいに羨ましい。でもあたしの世界を、あたしの母子関係を改善しようとは思わない。残念ながらあたしは美少女ではなく、良い母に生まれなかった。努力で取り替えっこ出来るものじゃあない。
だってそんなことをするくらいなら、あたし自身をどうにかしたほうが簡単じゃないか。悩んでいるのが気に入らなくて、悩み自体をなんとかしたいと言うなら、あたしを抹消すればよろしい。
生まれてこなければよかった。
これも何度繰り返されてきた言葉か。あたしは満足した。何が出来るかって、結局のところ人類の足跡を踏襲する程度だ。
それをどうにかしようというのだから、裕美はやはり凄いのだ。大嫌いな継母を屈服させるような話ならいくらでもあるが、大嫌いな母親を好きになりたいなんて、あたしは聞いたことがない。
では、裕美はどうするべきか。
「庭の石を」
「はい」
「お庭、ありますね」
「小ぶりながら」
「理想的ですね。お庭には石ころぐらいは転がっていますかねえ」
「あるんじゃない。あんま気にしたことないけど」
「ふむ。おそらく大丈夫でしょう。ともあれお庭の石を、一日に三つ拾ってください。そしてそれをよく洗って、気に入ったものをひとつ、玄関にある下駄箱の上に置いてください」
「は、はあ」
「なるべく毎日。雨が降ったりしたら無理しないで。あと、気に入った石がなかったときは、庭に戻してください。元通りでなくていいです。放っちゃってください。誰憚ることなくお母さんが大好きと言える日が来るといいですね」
もちろん、わけがわからない。石を拾うと母親が好きになれるものなのか。そもそも私は、典を信じて、典が不思議な力を持っているという風評を信じて相談したわけではない。親のことなんて恥ずかしくて、他の誰にも相談できなかっただけだ。どちらかと言えば溜まったごみを投げ込む感覚に近い。そういう言い方をしては典には申し訳ない気がするが、面識など無いに等しいし。
しかし不思議なものだ。素直に言うことを聞いて石を洗っているのだから。石ころなんてどれも同じに見えるが、選んでみろと言われた目で見ると、どことなく個性みたいなものが感じられる。洗ってみるとまた別の表情が伺える。このあたりを詳しく伝える言葉が私にはない。下手なりに喩えるなら、ちょっと高いところから見慣れた景色を見直してみるような感覚、が近いだろうか。そんな大きなものと、指先でつまめるものを比較するなんて感覚はおかしいだろうか。ともあれひとつ選びだして下駄箱の上に置いたときは、なんだか子供じみたいたずらをしたような気になって、つまらない石ころのことばかり気にして過ごしてしまった。捨てられてしまったらどうしようか、なんてことも考えた。典は特に何も言ってなかったから、それも含めてのことなのだろう。なくなっていたら私はどう対処するのだろうか。そんなふうにも考えていた。怒るだろうか。たかが石ころと受け流すか。でも石には何事も起きず、下駄箱の上には日に日に仲間が増えていった。ひと月もすると、なかなかの壮観が出来上がった。まるでひとの群れである。それぞれに役割があるように思えて、あれはこっち、こいつらはこの辺、新入りはあのあたり、なんて遊びも始めてしまった。
そんなことをしていると、ある日、取り囲む群れの中にふたつだけ石が残った。どうしてそんなことになったのかはわからない。
とにかく。数十の石ころの中のふたつだけが隔てられてしまったのだ。群れの石たちは、口々に何かを言いたそうにしているように見える。あなたは石ではないのだ。もっと柔軟に対応するべきだ。あなたなら出来る。
私はふたつの石を握りしめて、台所へ向かった。母親が今日の晩御飯の支度をしている筈だ。その後姿に声を掛ける。
「お母さん、私は」
それから朝になって学校に行く時間になった。毎日見かけている典の顔がなんだか懐かしい。ゴミ箱扱いしておいてなんだが、ほっぺにちゅ、ってして欲しくなった。
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