九錠目 女学生たちは下剋上を服用する。

 下剋上とは、地位の低いものが高いものを倒してのし上がるというものだ、とあたしは解釈している。自分の部下に討たれる、なんてことになるとなおそれっぽいおおこれぞ下剋上という感じがする。本能寺なんか下剋上とほぼ同義じゃなかろうか。

「ということを考えておられると」

「はい。わたくし、萌は下剋上を成し遂げたく」

「まあ年頃の、気骨ある女学生は、下剋上を志すくらいの威勢があって当然でしょうな」

「はい。あんなごみかす当主よりはわたくしのほうが天下を統べるにふさわしい。そう思いませんか」

「いやまあお国の有り様はわかりませんので軽はずみは言えませんが。でもまあ、根本的なところで、あたしはお悩みの解消をお手伝いというところに立脚しているので、夢や希望や志、と言った立派なものには縁がないのです。ちょっと応じかねますかねえ」

「ふむ。下剋上を達成せねばわたくしの悩み苦しみが解消されぬ、という話であればよろしいか」

「おそらく。あたしのプラセボはあたしにもよくわからんので」

「おもしろいですねえ」

ペットボトルのお茶を静かに飲む萌。視線は窓の外、季節と季節のつなぎ目のあたりの景色を見通している。多分、見通している先には別の景色がある。

 萌の手は繊細な拵えで、柔らかに光を弾く滑らかな肌をしている。が、下克上の世を生き抜いて更にのし上がろうというのだから、汚れていないわけではあるまい。それが当たり前ではない世界に住んでいるものとしては、それを当たり前としている世界の存在には違和感があって当たり前だ。

「わたくしに同衾を迫るのです。不快で不快で」

「おお、そういう前提なら承ってみましょうか」

「お願いいたします」

下剋上か。まああたしの知識は学校教育とか世間で用いられる慣用句の範囲だ。基本的には序列の破壊だから、スポーツの世界でもっと使われても良さそうに思うが、プロレス以外ではあまり聞いたことがない。あたしの身の回りにはスポーツに造詣が深い女子が何人かいるのだが、プロレス好き以外からこの言葉を聞いたことはない。

 どんなスポーツだって世代交代がある。序列は常に入れ替わる前提である。だからだろうか。入れ替わるのが前提ならば、いちいち騒ぎ立てる必要がないのかも知れない。

 でも、と。下剋上という言葉が生じるには、その状態が前提の世の中ではあったはずだ。戦国時代の下剋上が当たり前なら、ああなんか序列が入れ替わったねあそこの殿様も頑張ってたけどちょっと家臣を顧みないところがあったから、なんてことで済ませばよい。済まなかったから下剋上なんて言ったんじゃないのか。

 ちょっと整理しないと頭が追いつかない。下剋上と呼んでいい状態とは、あくまで同じ組織に属する構成員の、内部的な上下関係において異変が生じた場合である。長年最下位にいるジャイアントチームが長年優勝しているドラゴンチームを倒して優勝したからと言って下剋上とは言わない。別の組織なのだから。

 こないだ野球なんかしてしまったものだからつい喩えに使ってしまった。続けよう。

 たとえば同じドラゴンチームで長年三塁手を努めている選手がいる。が、残念ながら年齢で衰えていくのが人間であり、衰えたものは退場せねばならないのが勝負の世界である。

 そうだ、話が散らかるが、スポーツは衰えても出来る。が、勝負の世界は衰えたら参加できないのだ。

 戻そう。衰えた三塁手を使い続けて三遊間を抜ける打球が増えたらチームとしては困るから、少なくともこの現三塁手が若かった頃程度の守備力を持った若い選手と交代させたい。

 あたしはそんなに野球が好きか。もうちょっと一般的な言葉にしよう。

 オリンピックなんかどうだ。あれは国内の全選手が同じ組織の中で争っているようなものだし、順位付けもあるし、まあ上位のものが下位のものを家臣扱いするかどうかは知らんけど、勝ち続けている人物の言葉を重んじるものだろう。

 長年、国内で無敵、オリンピックでも金メダルを取った選手が衰え、負ける。これを下剋上とは呼ばないのか。呼んでもいいじゃないかと思うが、同時に呼んではいけないなあという気もしてくる。なんだか堂々巡りにしかならないという結論になりそうでびくびくしているのだが、勝負の世界は衰えて退場するのが当たり前だとは先述した。いかに本人と周囲に衝撃があろうが、もしかしたら本人的には覚悟していた敗戦という場合もあるのだろうが、ともあれ勝負の世界はそういうものなのだ。勝って頂点に到達したものは、負けて転落するしかないのだ。あたしみたいな無責任が言うから構わないのだが、勝ったまま引退する選手なんてのは、どこまでいっても勝ち逃げである。勝負の世界を全うしたとは言えない。

 いや、言い過ぎじゃないか。言い過ぎ謙信無双だな。ゆるしちくり。

 勝負の世界では当たり前。ことさら下剋上などと騒ぐ必要がないから騒がないのだ、と、随分先に言ってしまった内容と重複してしまう。

 仕方ないじゃないか。下剋上のことなんて知るか。

 ではなぜわざわざ、そもそもが血なまぐさい、隙あらば上を狙う戦国時代に下剋上なんて言う必要があったのか。

 どんなに不適任であろうとも殿様というのは政治の長である。不適切であってもその領地を治めているわけだ。だから後継者だって自分で決めたいだろう。そして、殿様の下にいる人物は、あわよくば後継者として立ちたいという気持ちもあろう。組織の世代交代とはそのように行われるべきだ。戦争ではなく政治をやろうってんだから。

 あたしは下剋上について、素朴に、上にいる人間を部下が討ち倒す程度に捉えていたが、実はまつりごと自体を全部ひっくり返す事件なのだ。外国ならばテロとかクーデターとか呼ぶほうが適切なんじゃないか。

 いや、責任はとらんけどな。典さんあなたの指摘は間違っておるよその言葉の定義はこうだから、と指摘頂ける機会があれば適宜修正させていただくとしよう。

 この相談事自体が成立しなくなる可能性もあるのだが。

 で、クーデターやテロに馴染みのない、少なくともここんとこ縁のない我々にとってこれらの言葉からは共通した感触があるのではないだろうか。やはりどこか血なまぐさい感じがするのだ。無血クーデターなんて言葉があるのが、逆に血まみれで当然なんだなあという気持ちになる。ただまあクーデターは家臣が起こすものとは限らないから、どこかしら同族内での諍いが生じさせたものという感覚が拭えないとしても、クーデターは下剋上と同義とは言えない。

 当たり前じゃんか。

 さてプロレスだ。プロレスは下剋上と呼んでも差し支えない要素が揃っている。まず若手は概ね、所属する団体の看板選手の付き人をする。つまり家臣だ。で、芽が出てくると派閥や勢力争いの中に組み込まれていく。自分がその頂点に君臨するのはまだまだ先だ。経験を積んで人気が出るようになって挑戦権が得られる。でも勝てない。勝ってはいけないまである。勝ってはいけないと言われている間は敗者なのだ。

 語弊があるだろうか。まあプロレスはルールが複雑なので、実力と野心だけではどうにもならない。実力も野心も必要なのだが、それだけではトップレスラーにはなれないのだ。

 詳しいように聞こえるかも知れないが、詳しい女の子の相談に乗ったときに聞かされた話だから真偽は不明だ。あたしは事後の責任を取るつもりはまったくないからちょうどよいが。従って実力と野心とあと何が必要なのかと尋ねられても困る。女の子に聞いて欲しい。

 で、色々と条件が整ったうえで、ようやくスター選手に勝利することが出来る。これを下剋上と言わずしてなんぞ。と、プロレス好きは熱く語るわけだ。

 でもまあプロレスがいかに血なまぐさい世界に近かろうとも戦国時代と一緒にはならないし、派閥や勢力と言っても会社という社会制度内で成立している組織のうちの一つに過ぎない。

 いや、みんな従業員でしょ。そう言ってしまえばそのとおりだが、そういう姿勢は物事を楽しむ機会を大幅に減らすだろう。ん、従業員だからどうした。彼らはプロだ。お金をもらってお客さんを楽しませるために一生懸命なのだ。

 擁護したつもりだったが、これはこれでなんか違うかも知れない。力と力でしのぎを削る男の世界なのだ。

 だから女のあたしがわかんなくて当然なのだ。

 さて下剋上について考えているつもりが変なところに来てしまった。

 もういやというくらい繰り返してしまったが、下剋上とは秩序の、穏やかに言えば再構築である。本能寺の例があるから血煙もうもう方向に行きがちだが、旧当主が除ければいいのだから、領地から出てって大人しくしていてくれればよいはずだ。

 まつりごと関連であるとすれば、現代で言えば同じ政党から出た被選挙民が選挙で負ける、みたいなもんか。

 党としては、自分とこの政党から立候補したひと同士で争うのはもったいないから、それなりに票数を集められそうなひとには他所に行ってもらいたいが、知名度というのもなかなか地域限定だったりして他所で通用するとは限らない。立候補したひとは他所には行きたくないだろう。

 ああ、なんかよくわからん芸能人がいきなり立候補したりするのは、ご当人の生活のためと、ご当人の知名度の故か。どこにいっても票が稼げるなら党としては有り難い存在で、利害が一致する。なに、まつりごとなどは立候補者がするとは限らない。知識も経験もセンスもなければ他のひとに補ってもらえばよいのだ。このひとは民主政治で何より大事な票を稼ぐ能力があるのだから。

 一番最悪なのは、票が割れてよその政党に持っていかれてしまう場合だ。こんな場合にはおそらくだが尋常ではない力が働くだろう。ここで折れて頂けたら、四年後には全面的に後援させて頂きます。ご理解頂けない場合はあの件この件など持ち出して党籍を剥奪させて頂いて、などといろいろ頂かせて頂いているに違いない。

 同じ党から立候補してしまっているということは、各種折衝がうまくいかなかった結果とも言えるだろうし、まあ党として席とか勢力とか確保できればいんじゃね、と、党としての落とし所つまり勝ちを読み切ったからそうなった、安心に至ったからだ。

 党として、が安心できたら、あとは彼らの問題だ。立候補しているひとだけならまだしも、彼らの背後には何万人、何万票が存在するのだから、勝敗の見極めが難しければもうどうぞ争ってくださいと言うしかなくなるはず。

 選挙とか民主政治とかって、たしかそういうもんだよね。

 だから、同じ政党から出た新旧の立候補者が争い、新が勝ったからと言って下剋上というのはちとおかしい。これはネット上の記事で用いられていたから一応突っ込みを入れておくだけなのだが、党としては勝つことが決まった上での、彼らのシナリオに沿っての出来事に過ぎないからだ。従って、新人が出てきたからって政治が変わると思ってはいけない。勝ったのは政党であって立候補者じゃあないからだ。

 いや、ほんとかどうかは知らんよ。

 下剋上が真面目に行われていた戦国時代においては、誰かの思惑のもとで行われた下のものが上を討つという行為の場合は、討伐とか排除するためとか言うのであって、結果の物騒さはともかくとして政党政治とさして変わらん。

 そう考えるとぞっとするが。

 下剋上とは、政治的なバランスも個人的な怨恨も、無理難題をふっかけられてそれに対する返答だったとしても、要するに自発的なものによって行われなければならない、様な気がする。わけわからん本能寺は、だからもっとも下剋上らしいとも言える。

 いいですか。あたしは専門家じゃないからね。

 戦国時代に戻そう。

 我々が何も殺さんでもいいじゃないすか、と言うときにでも殺しちゃうのは、いかに気に入らなくても権力者だからだ。戦国時代で権力を持っているのであれば武力をも合わせ持っているのが当然だ。こいつに命ぜられたら動かざるを得ぬ、と考える武装勢力がいるから、余計なことを言わぬよう死んで頂かなければなるまい、と考える。そもそもそういうものを持っているから最高権力者になれたのだから。

 更に言えば殺すまでやらないと周囲が納得しないというのもあるだろう。本気じゃないんじゃないの。甘いなあ。とかね。

 いやいやそもそも、殺すまでやらないと、下剋上を志した本人も安心できないかも知れない。いつ仕返しされるかわからん。下剋上を狙う人間は、狙い始めた瞬間から恐怖が行動原理になるのだ。露見したらどうしよう。もしかしたらばれてるかも。ああもうやっちまうほかねえや。

 萌は苦笑して、ガラス玉のような目であたしをみる。

「典が並べた言葉たちは、すべてわたくし自身のものだ。呆れましたよ」

「あたしに言うのにもリスクが有りましたね。でも、わかってて尚、聞いてみなくてはならなかった」

ふ、と萌は笑ったが、笑った、という形を作ったに過ぎない。萌の家臣だったり下剋上関係者だったりしたら無事じゃ済まされないだろう。

「で、どうしたものかな、典」

「これはですね」

あたしがあてにならぬ言葉を溢してから半年、萌はちゅ、を所望するのだが、とのたまわれる。

「うまくいきましたか。よかった」

「ここで聞いたときは、ふざけているのかな、手打ちにするか手籠めにするかどうしたものかと考えてしまいましたが」勝者は饒舌で上機嫌だ。「手籠めにしましょうかねえ」

「いやあ、も少し気持ちの整理をつけてからで」

「そういうのは気持ちの整理がつかんうちにするからよいのでな」

「おたわむれが過ぎますな」

 覇者は気持ちよく扇子を開き閉じる。

 だが。

 血の抗争の果てにあるものが安逸だとは思えない。むしろさらなる緊張だろう。心中を察すればこっちがおかしくなってしまいそうだ。

 せめて同級生であるあたしの前だけでも、短時間であっても、凝り固まったものが解れる瞬間があればよいのだが。

 あたしは萌に、大事にしているものを捨てなさい、と言った。それを捨てる覚悟がなくて下剋上など片腹痛い、と言ってしまっていた。言いたくて言ったわけではない。言っちゃったんだもん。

「何を言うかと腹が立ったが、典の言葉ですからねえ。何か意味があるかも知らんから言う通りにはしたよ」

「一層感服いたしました。ところで大事にしているものってなんだったんですか」

「聞いてどうする」

「いやあ、下衆の知りたがりというやつで」

「そんな言葉あるかねえ。まあよいでしょう。永遠の時の夢、と言う南蛮の宝玉です。なんでも、持つ者が持てば万民が幸福になれるという」

「ははあ」

「それもぎりぎりまで捨てることが出来なくてね。そうしたら我が軍勢が押され始めてな。やはりこれがいかんのかと思い極めて投げ捨てたら、敵将が異様な執着でその宝玉を追い始めて。当然敵陣が崩れ始めました」

「ほう」

「それを後ろから切りつけて首を取った。やはり典の言葉はまことの言葉ですね」

「で、ほ、宝玉は」

「あの戦場から出てきたら奇跡ですねえ。大火事と豪雨が跡形もなく何もかも流してしまいましたよ」

いや待て。万民の幸福と引き換えに萌の下剋上が成ってしまったというのは、それは人類にとってどうなんだ。萌が持っていて効果がなかったのだとしたら、下剋上対象の領主様がもしかしたら。

 いや。やめよう。知ったこっちゃない。人類の幸福など、あたしの手に負えるものではない。あたしにとっては人類よりも目の前の女の子だ。

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