六錠目 女学生たちはおやつを服用する。
ポテトチップはいろんな味があって、どれもこれも美味い。美味いし濃い。濃いからあとを引く。癖になる、とでも言おうか。
あっさりした味付けでこれはいくらでも食べられますね、なんて言い方をするひともいるが、私は逆に感じる。
当然、行き過ぎればもう許してくれ、ということもある。塩っぱすぎて喰えないものを作ってしまったことがあるからだ。
塩加減の失敗はまた違う話かも知れないが、ここらへんはそれこそ趣味嗜好というやつなんだろう。三食どれも濃い味付けだと嫌になるだろうが、普通の味付けでご飯食べている分には、濃い味のポテトチップなどほどよいアクセントである。
アクセントが効いて、つい食べちゃう。
つい食べちゃうのはポテトチップに限らない。晩御飯を食べ終わったというのに、だらしなくなんか食べちゃう。
いつからだっけ。ここ半年くらいか。母親がどこからか貰ってきたとかなんとか、うちではあまり見慣れない駄菓子の袋を食後のテーブルの上に放りだし、食べちゃってもいいよ、と言った。
食後にデザートなんて、たまにあるかないか程度だ。果物貰ったとか、プリンが安かったとか、お母さんが食べたくなったからとか。
おやつなら部活の前に毎日ちゃんと食べてしまう。お腹すくもん。
でまあ、食後のデザートがあったりなかったりだと言って、別にそんなに嬉しいとも、毎日ないのはおかしいと抗議の声を挙げるということもあまりない。好物だったらもちろん喜んじゃうけど、ないのがあたりまえだった。
で、食後に、家族と一緒にぼにゃりとテレビを眺めながら、気が付いたときにはその駄菓子一袋を完食してしまっていた。二百キロカロリー余計に摂取してしまったわけだ。駄菓子はもう一袋あって、そっちは家族仲睦まじく分け合っていたと言うのに。これは私が意図して独り占めしたわけではなく、他の家族との位置関係からそうなってしまっただけなのだが。
問題はそこからだ。
その日から、晩御飯のあとになにか食べないと、それもスナック菓子的な、ポテトチップ的なお菓子がないと物足りなくなってしまった。物足りないどころか、それがなければ食後だと言うのに飢餓感に見舞われるほどである。
駄菓子はたまたまだったのだから、どうにかして用意しなければならない。お母さんにお願いするのはなんとなく憚られる。足りないならご飯食べなよ、と言われそうな気もするし。
そもそも、さすがに家族の前でひとりだけ、がさばりむしゃ、とやるのも憚られる。必然的に学校帰りに店に寄って購入し、確定的に自分の部屋で、がさばりむしゃ、と背徳的な世界に没入することになってしまう。
はじめのうちは百円前後のものを一袋だけ購入していたのだが、煩わしいのでふたつみっつまとめて買うようにした。二、三日分だ。はじめのうちは一日一袋で済んでいたのだが、それもいつしかその日のうちに全部平らげてしまうようになった。一袋あけてしまうと残りの袋が気になって何も出来なくなってしまうのだ。全部食べてしまうまで落ち着かない。
そうこうしていると小さい袋三つ買うよりも大きめのを買ったほうが経済的であることに気が付いた。どうせ食べちゃうんだから大きめのを一袋買って帰るようになった。
毎日一袋買うのも煩わしいので二、三日分まとめて買うようになった。はじめのうちはあと二日分残っているから買い物しなくて言いやね、と安心していたものだが、やがて開封すると残った袋も開封しないと落ち着かないようになり、大きめの袋を三袋、その日のうちに平らげてしまうようになった。
いくら育ち盛り、部活もやってるし、とはいえこりゃあんまりだ。なにかに取り憑かれたように、がさばりむしゃ、とやって恍惚としている。半年間毎日余計にカロリーを摂取して、体型だって変わらないはずはない。腹のあたりの肉、どうすんだこれ。
ポテトチップの袋をばり、と開きながら慄く。こりゃ依存症というやつじゃないのか。
「依存症ってのはさ、依存したことをしているときに気持ちよくなるもんだと思ってたよ」
「ふんふん」
「違うんだよきっと。依存している状態が普通になって、依存できないときに不安になるんだ。今までより余計に幸せなら我慢できるけど、今までより不安になるんだもの、やめられなくなるよ」
「そうかも知れんなあ」
「なんかつまんなそうだな。つまらんか」
「いやそういうわけじゃなくてさ。なにはともあれ食べている間、靖子は幸せなんでしょ。それが普通に感じられるとは言え、安心できる状態なわけだ」
「そそ」
「それまでの日常に、なにか安心出来ない要素があったから、そこに駄菓子というものが入り込んでしまった。駄菓子で済むならそれでいいんじゃないかという気もしてねえ」
「もっとおかしなものが入ってくると言うの」
「そんな気がするだけで、そうじゃないような気もする。靖子の母ちゃんが駄菓子を持ち込んだのがそもそもの切っ掛けとは言えるね」
「そうだ、あのばばあが悪い」
「いい悪いじゃなけどさ、そういう切っ掛けてのは誰にでもあるもんだ。そこにはまり込んでいくひとには、それなりの理由があるんじゃないのかね、とかさ」
「ううん、にわかには思い当たらん」
「そういうもんだよきっと。理由はないのかも知れないし、理由が解消されたからって、依存が収まるとは限らない。快楽を感じてしまっているのは確かだろうからさ」
「やはり医者に行くべきだろうか。行くとしたら精神科とかかなあ」
「まあそうなるかねえ」
「実は私は幽霊なのだが」
私は告白することにした。
「精神科で成仏してしまったりしないかねえ。実はそこで悩んでいるんだ」
「ほう、それは大変興味深い。どうもなにか大事なものが欠けているような気がしていたんですよ。相談に乗ってみましょうかねえ」
靖子の場合ややこしいのは、死んでから幽霊になるまでのインターバルが極めて短かった、ということになるだろうか。うちの娘は死んでしまったのだから今眼の前にいるのは幽霊だ。そういうふうに周囲が認識する時間があれば、靖子は幽霊として存在していることになっていたんだろう。
死んでから幽霊になるまでがあまりに短時間で、しかも肉体に憑依したら肉体が維持出来たものだから、周囲が誰も気が付かない。
「これはおもろいなあ」
「いや、典、頼むよ」
「すまんすまん」
あたしは幽霊なんぞいないと思っているから、いや、こう言ったからといって夜道が怖くないわけじゃあない。むしろひとよりも怖がりで物音ひとつで心臓が縮み上がるが爆発しそうになるかのどちらかだ。ホラーとかそういうジャンルのエンターテインメントもおっかないから苦手。でも幽霊はいないと思っている。理屈と現実と演出はあたしにとってそれぞれ独立したものである。こっちの理屈がどうであってもそっちは怖いものだ。
で、あたしがいないと思っているのに御本人は幽霊だと言い張るのだから、あまり都合がよろしくはない。本人が主張していることを否定する材料があたしにはないのだし。
幽霊は死んだひとがなる。この場合の生き死にというものは、現代社会においては医学の分野であろう。御臨終です、という科白は白衣を着て聴診器をぶら下げているひとに言ってもらわないと落ち着かない。
だから靖子の場合、医学的な齟齬という解釈が成り立ちはしないだろうか。死から継続している身体的な出来事が生と同一であった場合、御臨終です、と確認するのは困難だろう。
彼女からすれば、精神的には死を迎え、死を認識し、幽霊として復活し、肉体を失うことが出来なかった、という稀な例と言えようか。
靖子が現状に留まり成仏を恐れる理由はいくつか想像できる。死んだからと言ったってこの場合、生に対する執着自体が失われにくかろう。ここまで来てしまっては家族とも離れがたいだろう。部活がうまく行っているのなら、次の大会も楽しみなんじゃないか。
幽霊本人の気持ちだけではない。如何に幽霊だと本人が主張しようが、動く肉体を周囲が靖子だと認めてしまっているのだから、幽霊としては扱ってもらえまい。もはや本人が成仏したいしたくないの問題ではなくなってしまっているのだ。
そんな幽霊が、いやあたし的にはどうであれ死を克服してしまった人間が、今度は過食に怯えている。体型の崩れを気にしている。
なんとまあ、人間というものは業が深い。幽霊なんてものを思いつくわけだ。自分の憎しみや怒り喜びが、死んだあとも残るはずだと思いこんでいる。それほど強烈なものなのだと確信しているのだ。肉体が滅んでもそういうものは残るはずだと思っているのだ。
こわ。
「幽霊になっちゃいかんかねえ」
靖子は恨みがましい目であたしをみる。幽霊であるかないかに関わらず怖いからやめてくれ。
「いかんもいかんくないもあたしには問題がありません。そろそろ結論にいたしましょう。と、ひとつお詫びですが」
「なんでしょ」
「過食は収まらないかも知れないし結果として体型が崩れるかも知んないです」
「そりゃなんのために相談したんかわからん」
「仰るとおりで。でも、そうなっても別に気にならないとか、依存してても不安になるというのが減るかも知れません」
「うむむ」
「いずれにせよあたしのはプラセボってやつで、あてになるやらならんやら。どっち転んでも何もかもうまくいかないかも知れません」
「そか。そうだったね」
「ご理解頂けた上で、次回駄菓子を食べるときは、袋をこう、口だけ開けるんじゃなくて、袋の繋ぎ目を全部開く感じで」
「ああ、みんなで食べるときみたいな」
「そうそうそう。そうするようにしてください」
「そんだけ」
「そんだけです。少しでもいい方向に行くといいですねえ」
そうやって駄菓子を食べていると、いつもより減るのが早い。いや、いつの間にかなくなっちゃったよもうなくなっちゃったよとはいつも思うが。
気をつけてみていると、眼の前でいくつか消えていく。ははあ、こりゃあたしと同じ幽霊の仕業だな、と見当がつく。ご先祖様かなんかかな、と思っていると、そうだ、と返事があったような気がする。
駄菓子の取り分が減ってしまうのは気にならなかったが、私の小遣いで買ったものを横取りされるのはあまり気分が良くない。でもまあ私と同じようになんかの都合と切っ掛けでそこら辺にいるのかと思えば、お賽銭のようなもんかと納得できるとこもある。お供え、ってもんもあるじゃないか。
もしかしたら私を迎えに来たのか。いや、お前はまだ若いし、折角の機会なんだからそのままその生活を続けろ、と言う。幽霊なんてものは珍しくないんだから、不安になることはない、と言う。
幽霊なんかいないと決めつけた典は間違っていたわけだ。私はちょっと愉快な気分になった。
「これ、全部食べていいよ」
私は声に出して言った。小机の上の駄菓子は、一瞬で消えてなくなった。
明日、典にちゅ、ってしてもらわなくちゃならない。駄菓子がなくなったのは典のせいだから。
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