三錠目 女学生たちは節制を服用する。

 「つい無駄遣いしてしまうのよ」

「金持ちのパートナーを掴まえなさい。おしまい」

「なんでそんなぞんざいな扱いすんのさ。抗議する抗議する。どっかに投稿して炎上させる」

「燃え上がるほどの知名度はあたしにはないのだよ彩良ちゃん。無駄遣いなんて子供らしい、可愛らしいお悩みじゃないですか」

「こんどは子供扱いすんの。じゃあ児童相談所ってことね」

「あいにくあなたもあたしももはや児童じゃあない。手遅れだ」

「もう。相談に乗ってよ」

「無駄遣いをしたところで、親に面倒見てもらってんだから、怒られて仕舞いなんじゃないの」

「そうだけどさ。うちの親あんま怒んないし、お金なくなったって言うとまたくれるのよ」

「なんつうぽんこつな親だ。あたしの親になってくんないかな。親とっかえようよ」

「ぽんこつはそのとおりだと思うけど、私はお父さんもお母さんも大好きなの。だから、もらったお金を無駄遣いするようなのは嫌なの」

「そこまで言うなら自分でどうにかするべきだよ。聞いている範囲じゃ親はぽんこつかも知らんが、彩良は分別に富んだ利発な娘さんじゃないか」

「あたしもそう思うよ」

「ぶふ」

「あ、笑ったね、今。成り行き上笑われても仕方ないから黙るけど。でも、無駄遣いだけはどうにもなんないのよ」

「完璧な人間なんていないよ。それに無駄遣いが高じて親に迷惑でもかけてみれば、親もちっとはしっかりするでしょう」

「しっかりする前に家計と家庭が崩壊したらどうすんのさ」

「他の家庭にとって他山の石となりましょうや」

「大噴火してやろうかしら。ねえ、困ってんのよ私」

「困っているったって、客観的には幸せそうにしか見えないよ、悩むほど無駄遣いできるなんて」

「そんなことないよ、悩んでても自分じゃどうにもなんないってあるよ。ホストにはまって大変とか、ギャンブルでめちゃくちゃとか、設備投資が過剰でとか」

「沙良さんはどこのどういう立場の娘さんなんですか。実際に何に困ってるのよ。なるべくなら辛くて生きてるのも嫌になるってくらいが対処しがいがあるというものだけど」

「あらそう頼もしい」

「でも、あてになんないから死んじゃうかも知らんけど」

「あらまあ頼りない」

「具体的に、何に困るの」

「無駄遣いするとさ、家の階段が少しずつ高くなるの」

「ははあ。ふむ。ふうん」

「あああ信じてない酷い」

「いや、そりゃにわかには信じがたいけど。でもまあ、踏む回数が増えればいい運動になるのでは」

「なにか勘違いしているみたいだけど、階段の段の高さが高くなるのよ。私なんかちっちゃいから、もう一苦労なのよ。このままじゃ両親も気付くし」

「まだ気付いてないというところがぽんこつである所以かなあ」

「このまんまじゃ部屋にいけなくなっちゃう。学校にも来られなくなっちゃうよ」

「それとそれを繋げると却って切実な理由ではなくなるようだけど。でもそんなに階段が高くなったら、命に関わるねえ。例えば地震のときに逃げようと思ったら」

「あ、それは深刻だわ。確実に逃げ遅れるわあそれ気が付かなかった、ああ怖い。ね、怖いでしょ」

「にぶ、いや沙良さんはいずれにせよ災害時には無事じゃすまないような気がしてきたよ。気をつけてください」

「わかったよ。だからさあ無駄遣いを」

「考えてみようかねえ。あ、さっきも言った通りあてにはならんから、ご両親と相談して腕の良い大工さんを見つけておくのもいいでしょう念の為」

「メールしておくわ」

「で、そもそも無駄遣いとはなにか、というところから考えてみよう」

「そこからなの。んんんなむなむなむ、とかっていうんじゃないの」

「ない」

「うわ素っ気な」

「で、無駄遣いとは」

「たいして欲しくないものでも買っちゃう、とか」

「ほほう。欲しくないものを欲するかねえ」

「や、違うな。瞬間最大風速的には欲しいんだよ」

「ふむ」

「そのときは欲しいと思って買うのだけど、家に帰って封を開けてみると、あれ、別になくてもいんじゃないこれ、てなる」

「なんとなくわかりますかねえ。買ってもらったおもちゃに速攻で飽きちゃって、親に咎められるとかが似てますかねえ」

「うん。あとさ、家に帰って水飲めばいいのになんとなくジュース買っちゃうとか」

「無駄といえば無駄ですかねえ。甘くなくても水分補給にはなるし」

「あと、流行りものだね。みんなが持ってるし、ネットで取り上げられてるとか、売り切れ続出とか言われちゃうとつい買っちゃう。これも流行りが落ち着けばごみ度が高くなる」

「ごみ度」

「無駄遣いだったなあと思うものの指数。興味の薄れ方が短期間で極端なほど度数が上がる」

「大変興味深い。それから」

「それから、いろいろ買っちゃうと仕舞うところがなくなっちゃうから、亜空間倉庫借りて」

「あく。すいませんもう一度」

「亜空間倉庫。シロナガスクジラくらいなら数頭生態保存出来るから便利なんだよ。いいよねシロナガスクジラ」

「そのシロナガスもご購入ですか。無駄遣いということで」

「シロナガスクジラは無駄じゃないよ、私が好きなんだもん。だけど亜空間倉庫の使用料が高いから、無駄だなあって。お父さんに言って買ってもらったほうが安いかも」

「ああもう宇宙とか異次元レベルでの無駄遣いなんですね」

「無駄遣いって、だからちょっと我慢するとか、やり方を工夫すれば抑えられる出費のことを言うんじゃないの」

「ホストやギャンブルはどうします」

「それも治療とか生活改善とかでどうにかすれば防げる出費なんじゃない。難しいことはあるんだろうけど、理屈で言うなら」

「彩良はさあ、無駄遣いをやめてどうするのよ」

「え」

「無駄遣いしないで、お金が余るわけじゃん。そのお金はどうするの」

「どうするって」

「ただひたすら貯金すんの。将来のために貯金ったって、庶民はいくら節約したところでたいして貯金なんか出来なくない。ないよりはあったほうがいいんだろうけど、将来に備えて、なんて、いくら必要になるのよ」

「でも、無駄遣いするよりは蓄えていたほうがいいよ。確かに収入が少なければ貯金額は少なくなるだろうけど、そもそも生活水準が低いんだから、少ない蓄えでもそれなりに凌げるんじゃないかなあ」

「まあ報道されるようなのは極端なんだろうけど、数百万円の借金とかを無駄遣いで作ってしまうなら貯金するべきだわねえ」

「そうそう」

「だけど、将来を思い描けないひとには無理なんじゃない」

「え」

「今現在の生活に空いている穴を塞ぐために無駄遣いする。将来ってのは誰でも多少は気にして生きてるもんだと思うけど、穴が気になってそれどころじゃないんじゃないの」

「はああ、ややこしくなってきたなあ。だからそうなってくるとカウンセリングが必要だったりするんだろうけど」

「ホストに行くお金がカウンセラーに行くだけなんじゃないの。貯蓄に回んなくない」

「典、私は全人類を無駄遣いから救ってほしいなんて言ってないよ。私の無駄遣いをなんとかしたいだけなんだよ」

「他人にはカウンセリングを勧めて彩良自身はあたしのとこにくるのも、よくわからんってばわからんねえ」

「それは」

「彩良自身はやっぱり、自分の無駄遣いはたいしたことないって思ってんじゃない」

「ぐぬぬ」

「ギャンブルとかホストってのは、ひとの弱みに付け込むものだから、気に食わないとは思う。放置すれば不幸になるひとが増えるだろうし。でも、犯罪に関わるとか、明日食べるものもなくなるってんじゃなけりゃ、無駄だなあて後悔しながらお金使っちゃうのも悪くはないと思う。そんな風に彩良のお金の使い方を考えると、差し当たって自分の好きなもののために、瞬間的にでも気に入ったもののために使ってんだから、どこにも悪いとこはないと思うんだけど」

「でもそれじゃ私の家の階段が。そもそもなんで階段が高くなんのよ。なんで階段なのよ」

「階とか段とかってのは、人間の社会的な地位を表す場合がありますね。もしかしたら、彩良の社会的な地位に関係しているのかも知れない。それが、無駄遣いが原因なのか、無駄遣いをいけないことだと思っているからなのか、まではわからない」

「ああ、だから見極めるために根掘り葉掘りと聞いてくれてたのね」

「いや、話自体は適当なもんで。いわゆる雑談というやつで」

「雑に扱うなよう」

「お話を伺っていると、行き着くところまで行ってしまった部分と、庶民的な部分とのギャップが非常に大きい。断層、まさに段差ですね。そりゃ階段もえらいことになりますよ」

「そういうもんかしら。なんか上手いこと言った気になってるみたいだけど」

「そんな気持ちになることが大事です。宇宙規模の庶民感覚なんて、あたしの中に入り切るものではないので」

「なんか申し訳ないわねえ」

「では処方いたしましょう」

「お願いいたします」

「机の上に紙と鉛筆を用意してください。あ、今じゃなくて。お家に帰ったらで。で、紙はノートじゃなくて、広告の裏とかでもいいので、一枚の紙で。消しゴムは要りません」

「そんだけ。何か書くの」

「気が向いたらですかねえ。ともあれあてになるかどうかわからないのですが」

「んまあ、いろいろ話が出来て気が楽になったよ、ありがとね」

とは言うものの、紙と鉛筆があったらなにか書きたくなるものではないか。私は話に出てきたシロナガスクジラを描いてみることにした。ざっくりと、アウトラインだけでも似せればいいや、いやなんとなくわかればいいじゃんという低い低い志で取り組んだ、いやそもそも手が勝手にもそもそし始めたような、意識の低い手癖のような感じだ。出来栄えなんか気にしてない。

 のに、なんだか気に入らない。

 絵心、なんて言葉があるが、そもそも私は絵を描くのも見るのも気に留めたことがない。何となく見るし何となく描くが、なにか特別な思いを持って関わりはしてないのだ。

 のに、なんだかこのシロナガスクジラは気に入らないのだ。

 何が気に入らないんだろうなあと思いつつ三頭目のシロナガスクジラを描いてみる。やはり気に入らない。覚えのない違和感に戸惑い、もっと根っこのところが気にかかる。

 なんで気に入らないことに引っかかっているのか。

 気に入らなければ気に入らないでいいじゃないか。気に入らないことなんか一杯ある。自身のことでも、他人が関わることでも。そんなもの概ねほっぽりだして生きてきたはずだ。なんでこの、全く興味がない絵を描くという行為に拘泥すんのか。拘泥とはよく言ったもんだ。この感覚はまさに泥の中でもがくようだ。いたずら描きってこんなんだっけ。もっと気楽に、指先の赴くままでいいんじゃなかったっけ。

 いや、だから、なんでそんなところが気になるのだ。どうでもいい仕草じゃないか。

 いや、待て。

 そもそも私はシロナガスクジラを描こうとしたのだ。シロナガスクジラを間近で見たくて所有したくて莫大な金額で捕獲し、亜空間倉庫まで借りた。借りるどころではない。金に物を言わせて自前の亜空間倉庫を建てちゃおうとまで考えていたくらいだ。そこまで入れあげていたにも関わらず、私はさっと絵に描くことすら出来ない。違う。描いたものが気に入らないのだ。

 そんなに好きなものなら、ささっと描いた絵だって気に入っていいはずだ。ひとまず気に入った上で、次はもっと可愛く描いてみようとか、写実的にならないかと拘るなら分かる。頭ごなしに気に入らないとは何事だ。

 自分が愛したものを自分の手で形にして、それが気に入らないなんて。

 私は、私はそんなにも自信がないのか。

 私は多重次元経済を担う企業の創設者の娘として、それなりに振る舞ってきたつもりだった。女学生の身であるとは言えしつけられてきたのは、あらゆる次元において、大企業の娘として恥ずかしくない立ち居が自然に出来ること、であった。多重次元での社交は、創設者だけでは成り立たない。家族があって、家族同士の交流があってこそなのだ。

 だからあれやこれやと両親にねだったのも、務めを果たした上での報酬という感覚だった。両親もそのつもりで私の要求を受け入れた。

 私たちが日常使う言葉で言ってみれば、正当な取引をしたのだ。

 そのはずだった。

 シロナガスクジラは私にふさわしい報酬なのだ。

 だから、亜空間倉庫の中で悠然と泳ぐシロナガスクジラを見たときに感じた嫌悪感を必死で打ち消した。シロナガスクジラに嫌悪したのではない。嫌悪という鎌の先には私の首があった。そのときは自然に対する謙虚さとかそういったものが作用しているのだと解釈した。

 が、その鎌は至るところで出現するようになった。両親に要求する度に、額の高低を問わず嫌悪感が首筋を撫でる。恐怖は階段だけではない。いつでも動脈を搔き切る鋭利な刃物もあったのだ。

 私は普通の女学生としてものをねだるべきだったし、両親も儲かるからといってあちこちの次元に手を広げるべきではなかった。違う次元には違う価値観が存在する。違う次元で暮らす人々にとって価値がないからと買い叩けば、違う次元の人々が気付かないところで生活を脅かすような結果になるかも知れない。いや、そうなっているから、私の首に鎌がまとわりついているのだ。

 でも、私たちが築いてしまった経済構造は、際限がないかと思うほど巨大だ。大好きな両親は真面目に話を聞いてくれたが、さりとて破綻させればもっと大きな不幸が、もっと大勢の人々に降りかかるだろう。強者が弱体になれば、増えるのは敵だけだ。そもそもこっちだって散々なことをしてきてしまったのだから。

 だけど、少しずつだ。

 少しずつ改めていくしかない。

 私はシロナガスクジラを海に帰し、違約金を支払って亜空間倉庫の賃借契約を打ち切った。私たちの行方がどうなるのかはわからない。少なくとも明るい見通しは持てない。

 でも、海に戻ったシロナガスクジラたちが潮を吹き上げるのを見て、いくらか償いが出来たかのような気持ちになった。

 でも、好きなものを手放すのは寂しくもある。

 典に、ちゅ、ってしてもらって慰めてもらわなくちゃ。

 

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