第一話 「入部希望です、先輩!」
いつもの放課後、文化部の部室棟。
三階隅の文芸部部室で、僕はいつもの様に静かに本を読んでいた。
あれから登校中彼女の姿を探してみたものの、まだ見つかっていない。
まああれだけの美少女だ、いたらすぐ見つかるだろう。
そう思い平静を取り戻す。
一応知り合いの二人には既に事情を話してある。
頬にそれぞれ重いのを貰ったが、なんとか協力を取り付けることが出来た。
だから後は気長に探すしかないだろう、とそう思っていた。
「入部希望です、先輩!」
ガラガラと騒がしい音をたて、横開きの戸が開く。
見れば、昨日の少女がこちらを見て得意そうな目をしている。
「き、君がなぜここに……」
「さっきも言いましたが、入部希望です!」
ふふん、という声が聞こえそうな表情で、彼女はこちらを見下ろした。
「ここは文芸部だ、君の様に騒がしい人相応しくない。却下だ」
「そう言われると思って、既に顧問の先生には話を通してあります、ススム先輩」
「す、ススム先輩って、いくらなんでも馴れ馴れしいんじゃないか?」
昨日の手紙でもそうだったが、僕らは初対面の筈なのに彼女は一貫して僕を名前呼びしている。
それが僕には、どうにも居心地が悪かった。
「なんでですか、ススム先輩。部活の後輩は敬意を込めてそう呼ぶものでしょう、ススム先輩。何もおかしいところはありませんよ、ススム先輩」
「君の言葉からは敬意を感じない。軽薄だ」
「いえいえ、私は本当に敬意を抱いていますよ、ススム先輩。敬愛していますよ、ススム先輩。いや、これはもう敬意を超えた愛、愛ですよススム先輩」
「一方的な愛ほど見苦しいものはない」
「愛とは育むものですよ、ススム先輩」
「少なくとも、君と育むつもりはない。それといい加減その呼び方はやめてくれないか。なんだか非常にむず痒い気分になる」
「ではなんとお呼びすれば良いですか、ススム先輩」
「せめて苗字、いや君にそう呼ばれるのは癪だな。そうだ、僕のことは『先輩』と呼ぶといい」
「それでは他の先輩との呼び分けに困りませんか、先輩」
「大丈夫だ、今この部には僕しかいない」
「いなかった、ですね先輩。過去形です。そうですね、分かりました先輩。しかし名前を呼ばれるだけで照れてしまうなんて、先輩もウブなんですね」
「照れるというより不気味さが勝る。だからその生暖かい目で僕を見てくるのをやめてくれないか」
「まったく、素直じゃありませんね先輩は。そんなに顔を真っ赤にして」
「これは照れているんじゃない、頭に血が昇っているんだ」
「またまた、素直じゃありませんね、先輩。先輩検定一級忍(おし)江(え)ちゃんの目は誤魔化せませんよ」
「誰だ、そんな傍迷惑な検定を認可している奴は」
「それはもちろん、先輩研究第一人者の忍江ちゃんです」
「ズブズブじゃないか。一人で完結しちゃっているじゃないか。その検定のどこに正確さがあるんだ」
「それはもちろん、内なる自分です。内なる忍江ちゃん、忍江ちゃんインサイドです。頭の中に住む小さな忍江ちゃんによって、私自身のススム先輩への理解度を客観的に判断しているんです」
「結局主観じゃないか」
「いえいえ、そんなことはありません。全私が認める、厳正なる検定です」
「はあ、もう勝手にしてくれ」
「ではそうさせていただきます。これではれて、先輩後輩の仲ですもんね」
「別に晴れてないし認めてもいない、君の入部も入室も」
「でも顧問の先生から許可は得ていますよ、先輩」
「まったく、なんで先生は。はあ、あの人干渉してこないのが良いところだけど、あまりに不干渉が過ぎる」
「けれどもおかげで再会できましたよ、運命の再会リターンズです」
「それじゃあ二度目の再会になるじゃないか。昨日も言ったけど、君とはあれが初対面だろ。それに、これは運命の再会じゃない、悲劇の再会だ」
「つまり劇的な再会ということですね」
「つまらないぞ、そんな冗談」
「そんな言葉に詰まる言い方やめてくださいよ、先輩」
「君は摘み出されたいのか?」
「これはまだ掴み、いえ摘みの会話ですから。まだまだこれからですよ」
「それは流石に強引すぎないか?」
「我が道を行くタイプなので」
「ゴーイングマイウェイじゃないか! なんで更に無理矢理繋げてくるんだ!」
「いやあ私たち本当に息ピッタリです。気が合いますねえ。昨日が初対面とは思えないくらいに。実は昔恋人同士だったりしませんでした? どうです先輩、思い出せませんか?私たちの思い出を」
「そんなナンパの常套句みたいな事言っても無いよ、そんな事実」
「なんならこのまま夫婦漫才で売り出しませんか?」
「しないよ、そもそも君と夫婦じゃない、まだ付き合ってもいないじゃないか」
「まだ、ということは、今後付き合う可能性が?」
「無いよ、そんな可能性」
「またまた、まだお互いのことが全然分かっていないのにそう判断するのは早計ですよ、先輩」
「少なくとも今の会話から君の人間性が透けて見えてきた」
「透けてって、別に夏服じゃないからそんなに透けてないと思うんですけど。なんですか、そんなに鋭い目つきをしちゃって。目に力を込めて、必死に見ようとしていたんですか。後輩の、女の子の、忍江ちゃんの下着が気になっちゃいましたか?」
「この目つきは元からだ。誰も君のシャツの話はしていない。下着の話もしていない。おいなんで上着を脱いでいる?」
見ると少しシャツを引っ張ってその布地を確認していた彼女は、何を考えたのか肩からするりと上着を下ろし始めた。
「いやあ、先輩のリクエストにお応えしようかと」
「そんなリクエストはしていない。だからその手を止めてくれ。リボンまで外しちゃっているじゃないか」
「嫌だなあ、先輩。ただ少し暑くなってきちゃっただけですよ」
だいぶラフになってきたシャツに手をかけ、仰ぐような仕草をする。
「そう言いながら手を動かすのはやめろ。おいボタンに手をかけるな」
「こんなの女子はよくやっている事ですよ、先輩。人間観察が足りていないんじゃないですか?」
「女子が制服を脱ぎかけているところをまじまじと眺めていたら、まるで僕が変態みたいじゃないか」
「じゃあ今私が制服を脱ぎかけている様をまじまじと眺めている先輩は、まさに変態さんになってしまいますね」
「そうならないように早く乱れた衣服を正してくれ」
「またまた、そんなに鼻の下を伸ばしているくせに。期待しているんでしょう、先輩。先輩、そういう経験なさそうですもんね。可哀想に。本当は私のアラレもない姿が見たくてたまらないんじゃないですか?」
「そんな事はない、僕だって人並みに人付き合いくらいはする。そういうものに飢えてなんかいない。だからそんな憐れむ様な目で僕を見るのをやめてくれ」
「そんな、先輩が架空の恋人を作ってしまうほど追い詰められていたなんて。先輩、ここにちょうどいいのがいますから今からどうですか?」
「勝手にイマジナリー彼女を作っている痛いやつにしないでくれ。おい待て、本当にやめろ、スカートに手を伸ばすな。早く服を着ろ。着てくれ、頼むから。このままじゃ文芸部が活動停止になってしまうだろ」
納得のいかない様子で渋々と彼女は服を脱ぐ手を止めたが、今度はそのままの格好で頬杖をついている。
これは側から見るとかなりまずい状況ではないだろうか。
はだけたシャツの隙間からピンクの布やら柔らかそうな肌色やらが見えてしまっていてる。
そしてその谷間からは銀色の装飾がチラリと見えていた。ペンダントか何かだろうか?
その様はやけに色っぽい。
まったく、いったい僕が何をしたと言うのだ。
緊張に僕の喉がゴクリとなる。
そんな僕の様子を眺めていた彼女は、やれやれと呆れたように首を振った。
「はあ、仕方ありません。チキンな先輩はこんな据え膳でもダメなんですね。今どき草食系男子は流行りませんよ、先輩。そうですね、女体盛りとかの方がお好みでしょうか、先輩?」
彼女はより前のめりになり、僕の方に詰め寄る。
机の上に乗せられた胸がグニャリと効果音の聞こえてきそうな歪み方をした。
上目遣いで僕を見つめる瞳が、どこか怪しい光を纏っている。
「僕にそんな趣味はない。第一アレって不衛生じゃないか」
目を逸らそうとしても僕の目は釘付けになってしまい、自由に動かすことができない。完全に彼女のペースだ。
「いやあ、男の人が考える事って、よく分かりませんよね」
「そのよくわからない事を提案してきた奴に同意を求められても困るんだが」
「いやいや、男の人ってああいうのが好きなんでしょう? 私にはよくわかりませんが。ですが否定はしません。好きという気持ちは肯定されるべきだと思うのです。だって私は、理解のある後輩ちゃんなのですから」
ガタリと音を立て立ち上がった彼女はその大きな胸を張り、オーバーな身振りをする。チラリと見えた臍がやけにクッキリと目に焼きつく。
「いやいやいや、その理解の押し売りで、勝手にまったく一ミリも興味のない変態性を僕に植え付けられても困るんだが」
「植え付ける? 先輩、そういうのが好みなんですか? ニッチですねえ、先輩。ディープ、と言った方が良いでしょうか。しかしあなたの後輩、健気な健気な忍江ちゃんは、そんな先輩の願望にも応えてみせましょう!」
「僕にそんな趣味はない。願望もないし興味もない。大体なんでそうも繋げるんだ。耳年増か?」
「年増だなんて、ピッチピチの女子高生に対していささかデリカシーに欠けるんじゃありませんか?」
「今までずっと、デリカシーのデの字もない様なことを言っていた君がよりにもよってそれを言うのか」
「酷いですね、先輩。先輩に関してはなんでも受け入れてしまう忍江ちゃんでも、少しは傷付きますよ」
「君はそんな繊細な奴じゃないだろ。これまでの態度を踏まえるとかなり図々しい奴に見えるぞ」
「そんな、私は図々しい女じゃありませんよ。精々先輩の心のスイートルームに居座っていたいくらいです」
「かなり図々しいじゃないか。そこはせめて心のワンルームくらいにしておけよ」
「いえいえ、そんな私ごとぎが心のワンルームを貸し切るだなんて」
「いや貸し切るなよ、なに全部屋貸し切ろうとしているんだよ。さっきよりも占有範囲が広いじゃないか」
「ですから私は先輩にとっての一番、スイートルームのみで良いと、そう申しているのです!」
その力強い主張に、彼女の胸も答えている。
というかいい加減に服をちゃんと着て座ってほしい。
「のみとは言っているけど、それってなにも我慢していない。譲歩していない」
「いいえ、ちゃんと譲歩していますよ。我慢しています。本当は先輩の心の全フロアを買い上げたい忍江ちゃんですが、それでは先輩も可哀想だから譲歩してあげているのです。私は理解のある後輩ちゃんなので。あ、もちろん、忍江ちゃんの心は全部先輩に貸出中ですよ。賃料無料で永年保証ですよ」
「僕の知らない間に勝手に貸し出さないでくれ。そんなのどんな利子がついているか分からないじゃないか」
「それこそモーマンタイです。無利子無担保、今ならお試し彼女権も無料でついてくる大変お得な物件ですよ」
対面に座り直した彼女は胡散臭いセールスマンみたいなことを言い始めた。
「ただより怖いものはないってよく言うぞ」
「またまた。先輩に不利益なんてありませんよ。ただクーリングオフ出来ないだけです」
「悪質じゃないか」
「別に困るものではないでしょう。ただただ、私の中で先輩ポイントが溜まっていくだけです」
「なんだよそのポイントは」
「私が先輩のことをどれだけ好きかを表すポイントです。占有する部屋数に応じた倍率が一時間ごとに掛かっていきます」
「指数関数的に増えていくじゃないか。それはトイチすら超えた悪質利子だろ」
「違います、利息です。忍江ちゃん銀行に蓄積され溢れた先輩ポイントが、私を通して先輩にきちんと還元されていくんです。どうです、お得でしょう?」
「一応聞いておくが、どう還元されていくんだ?」
「消費ポイントの少ない順に、手繋ぎ、ハグ、キス、それから……」
「もういい、やめろ」
「なんでですか? この後もまだまだ豪華還元プランが目白押しなのに」
「興味がない。それにそういうことは、好きな人とやるものだろう。僕とやるものじゃない」
「先輩、これだけアピールしているのにまだ私の好意を疑っているんですか?」
腕を組み悩んでいる様子の彼女だが、その姿勢がまた際どい。
本当に早く服を着てもらえないだろうか。
「ああ、僕はかなり疑り深いたちなんでね。それと早く服を着てくれ」
「純粋無垢でピュア、百パーセント天然物の私のラブを、どうやったら先輩に認めてもらえるのでしょうか?」
「そんな日は来ない。永遠に来ない。僕はこう見えて忙しいんだ。恋愛にかまけている暇なんてない。そして早く服を着ろ」
「放課後ダラダラ本を読んでいる先輩が何を言っているんですか。そんなことより可愛い女子高生とお話ししている方がよっぽど有意義でしょうに」
「別にこれだって、文芸部の立派な活動だろう。あと、君はいつになったら服を着直すんだ? 痴女か」
「そんな痴女だなんて。私は先輩に見てもらうために恥を捨てこんな格好をしているのに。先輩が喜ぶと思って恥ずかしいのを我慢していたのに、酷いです先輩」
「捨てるな、恥を。それは人として捨ててはいけないものだろう。あと早く服を着てくれないか。こんな所、他のやつに見られたらどう言い訳するつもりなんだ」
「先輩に、言われて……ぐすん」
渋々と言った表情でモゾモゾと彼女は手を動かす。
「その言い方じゃあ僕が脱げって言ったみたいじゃないか。着ろって言っているんだよ、僕は、服を」
「私はただ先輩にサービスしたかっただけなんです。ご奉仕したかっただけなんです」
「だからなんで表現がいちいちいかがわしいんだよ」
「愛ゆえに、です先輩」
「嫌だよ、そんなに爛れた愛」
「爛れた愛も良いものですよ」
「少なくとも高校生の間にあって良いものでは無いだろ」
「いやいや、最近の高校生は進んでいるんですよ」
「最近のって、お前は何目線で語っているんだよ」
「それはもちろん、神目線です」
「想像の斜め上を突き抜けた⁉︎」
「先輩の無茶振りを乗り越えてこその後輩ちゃんですから」
「なんだよその芸人魂は」
「これも将来、夫婦漫才を始めるために必要なことですから」
「まだ続いていたのかその話。さっきも言ったが、そんな未来訪れないぞ」
「またまた、『お互いのことをよく知らない』んですから、今判断するのは早計、と言うものです」
「確かに君のことは知らないけれども、自分が向いていないことだけは分かる」
「自分自身のことは案外自分が一番分かっていないものですよ、先輩。忍江ちゃんにここまでついて来られる先輩なんですから、もっと自信を持っていただかないと」
「これは好きでやっているんじゃないぞ。君に引っ張られて、知らず知らずにだな」
「無意識のうちに影響しちゃうなんて、忍江ちゃんは罪な女です」
「あのなあ」
「こうして先輩には私色に染まってほしいです」
「スイートルームで我慢するんじゃなかったのか?」
「それはそれ、これはこれです。好きな人を自分色に染めたいと思うのはある種、皆が持つ願望ですよ、先輩。おっと失礼、先輩は真っ白に染め上げたいですかね」
「何を言って、いや言わなくていい。言わなくていいぞ。流石にそれは破廉恥が過ぎるんじゃないか?」
「ウエディングドレスってそんなに破廉恥ですかね? まあ最近はデザインが洗練されて露出の大きなドレスもあるらしいですが」
「ウ、ウエディングドレス?」
「あれ、先輩、もしかして別のことを考えていたんですか? いったい何を考えていたんですか、先輩。白は白でも、濁ってドロドロしたやつですか、先輩。白濁したやつですか、先輩。やっぱりムッツリだったんですか、先輩」
「絶対わかって言っているだろう。何ならわざと言っただろう。君のそう言うところが悪趣味なんだ」
「おや、先輩。私のことがわかってきたみたいじゃありませんか」
「こんだけ話していたら、嫌でもわかってくるものがある」
「先輩は無理やりされるのが好みなんですか? なるほどなるほど、先輩は受けなんですね」
「何を言っているんだ、僕にそう言う趣味はない」
「いやいや先輩、否定することないじゃありませんか。今はそう言うのもスタンダードに、いや失礼忘れて下さい」
「どうしたんだ急に」
「いえ、先輩がそういう感じだと私に可能性が無くなってしまうので、忘れて下さい。すぐに、今すぐに」
「最初から可能性は無いと言っているだろう」
「いえ、そんな事はありません。有ります、有るんです。だって先輩は『僕らはお互いのことをよく知らないから、付き合うことはできない』って言っていたじゃありませんか」
「あれはそういう断り文句だろう」
「いえ、違います、違うんです。それでは私は納得できません、だから違うんです。先輩に私のことを、もっともっと知ってもらわないといけないんです」
鬼気迫る表情でそう主張する。
縋る様なその瞳は駄々をこねる子供のようだ。
こんなにも彼女が拘る理由は何であろうか。
僕は少々気になった。
「なあ君」
「なんです、先輩」
「君はどうして、そんなに僕に拘るんだ? 僕なんて、それこそ不良物件も良いところだろう?」
彼女はキョトンとした表情を浮かべた。
かと思うと、口角を釣り上げニンマリとした笑みを浮かべる。
「あれあれ、先輩、気になっちゃったんですか? 忍江ちゃんのこと、気になっちゃったんですか?」
「別に、そんな事はない。ただ、そう、不思議だったんだ」
「やっぱり気になっちゃっているんじゃありませんか。私のことが。後輩ちゃんのことが。忍江ちゃんのことが」
「だからそんなことないって言っているだろう。いい、やめた。ただの気の迷いだ、忘れてくれ」
「いやいや、私はこう見えて、物覚えは良い方なんです。先輩とは違って。先輩とは違って。だからそう簡単に忘れる事なんて出来ません」
「おい、それは僕をディスっているのか? わざわざくり返し強調して」
「そんな意図はありません。忘れっぽい先輩とは違って、私は記憶力が良いと、ただただ事実を述べたまでです」
「やっぱり僕のことを忘れっぽいと言っているじゃないか」
「まあ三歩歩いたら忘れちゃう鳥頭の先輩のことは置いておいて」
「僕はそこまで忘れっぽくない‼︎ 君は僕のことを、好きなのか嫌いなのか一体どっちなんだ?」
「好きな人ほど意地悪したくなるものです。そう言うものでしょう、先輩」
同意を求めるように、彼女はパチリとウインクをしてみせる。
「しかしどうしましょうかねえ。何でも教える忍江ちゃんとしては、教えてあげたい気持ちもあるんですけれども、ねえ?」
言いながら彼女はチラチラとこちらの様子を伺ってくる。
何だか非常に腹の立つ笑みを浮かべていた。
「先輩が、どうしても、どうしてもとおっしゃるなら、『教えて下さい忍江ちゃん』と土下座で頼み込んでくれたなら、考えてあげないこともないですよ」
「じゃあいいよ、言わなくて」
「ええっ⁈ 即答、即答ですか先輩。先輩は忍江ちゃんのことが気にならないんですか?知りたくないんですか? 先輩はアレですか? 推理小説とかを読んでいる時、犯人の名前を確認せずに眠れちゃうタイプなんですか?」
「何だよ、そんなのは普通のことだろう?」
「ええっ⁈ 年がら年中本を読んでばっかりの先輩が、そんな事を言うんですか?」
「まだ会って間もないのに、まるで見てきたかのように話すじゃないか君は」
「そんなの会って少し話していればすぐにわかります。何せ、先輩の顔にそう書いてありますから」
「どんな顔だよ。それに、いくら僕でも流石に日常生活を犠牲にするほどのめり込んではいない」
「授業中にも読んでいるくせによく言いますよ」
「クラスどころか学年すら違うのに何で知っているんだよ」
「やっぱりそうでしたか。先ほども言いましたが、先輩の顔に書いてあります。バレバレです。わかりやす過ぎますね」
「だからどんな顔をしているんだ、僕は」
「冴えない先輩の顔のことはさておいて、です」
「冴えない、今僕のことを冴えないって言ったか?」
「にぶちんの先輩のためにもう一度だけチャンスを差し上げますが、先輩が『教えていただけませんか忍江様』と私の脚を舐めてくれたら、教えてあげない事もないですよ」
「おいおい、さっきより酷くなっているじゃないか」
「これは先ほど即答して断った分です。流石の忍江ちゃんも傷つきました。忍江ちゃん、傷心です。ハートブレイクなんです。逃した魚は大きいですよ、先輩。ただ忍江ちゃんは優しいので、先輩にもう一度だけ、チャンスを差し上げましょう。ラストチャンスです。これを逃しちゃったら、忍江ちゃんはもう知りませんよ」
「さっきも言ったが、答えはノーだ。知らなくてもいいよ、そんな事」
「言いました、言いましたね先輩。後悔しても遅いですよ。後で泣きついても知りませんからね、先輩」
頬を膨らませ、不服そうに睨んでくる。
かと思うと、はぁと息を吐き脱力して見せた。
「もう知りません、こんな頑固な先輩には忍江ちゃんもお手上げです。千載一遇のチャンスを逃してしまう臆病者の先輩には、伝えることができません。伝えることもありません。忍江ちゃんは教えてあげません」
「その調子で僕のことも諦めてくれたらいいのに」
「それはダメです、それとこれとは話が別なのです」
「何でそんなに拘るんだ」
「それを知る機会を、先輩は今永遠に失いました。精々無い頭を絞って眠れない夜を過ごせばいいんです」
「君、僕のことを好きだと言う割には辛辣だよな」
「さあ、何故でしょう」
「それもまた?」
「ええ、忍江ちゃんは教えてあげません。胸に手を当て、自分で考えてみて下さい。それとも私の胸に手を当て考えてみますか、私の胸に手を当ててみたいですか、先輩」
「なんか途中から話が変わってないか? すり替わっていないか? それはただ後輩女子の胸を触ってセクハラをするクズじゃないか」
「今更先輩のそう言うところが一つや二つ増えたところで忍江ちゃんは気にしませんよ、先輩」
「僕はそんな事をしたことはない、覚えもない。本当に君は僕のことをどう思っているんだ……」
確かに昨日、彼女には酷いことをした。知り合い二人には重いのを貰ったし、僕自身アレはないと思っている。彼女が怒るのも当然だ。
でも、だからこそ、彼女が僕に拘る理由がわからない。
彼女は一体何を抱えているのだろう?
「何ですか、先輩。物欲しそうな顔をして。そんな顔をしたって、もう教えてあげませんよ。何でも教える忍江ちゃんでも、教えてあげないことはあります。でも、そうですね、代わりに私のスリーサイズくらいなら教えてあげても構いませんよ」
「スリーサイズくらいならってなんだ。ああ、いや僕は別にそんなものには興味がないけどね」
「ええと、上から順に、九十の」
「言わなくていい言わなくていい」
思わず彼女の胸元に目をやってしまう。
「どうしました、先輩? 目線が下に寄っていますよ」
「な、何でもない」
目を逸らすものの、彼女は腕を組みそれを強調してみせた。
「良いんですよ、先輩。気になるんでしょう。意識しちゃったんでしょう?」
「だ、誰がそんな」
「記憶力の先輩でも、九十、っていう数字が頭から離れなくなっちゃったんじゃありませんか? 先輩も男の子なんですねぇ」
「ちがっ、僕は」
「分かってます、分かってますよ、先輩。先輩だって男子高校生、そういう事に興味があるって事は、ちゃんと理解しています。私は理解のある後輩ちゃんなので」
「そういうのじゃ」
「大丈夫、恥ずかしがる事じゃありません。忍江ちゃんは、なんでも受け入れる包容力のある後輩ちゃんなのです。なんなら今から包み込んであげましょうか? 先輩の頭を、この胸で。この胸で!」
「胸をわざわざ強調するんじゃない、はしたないじゃないか」
「またまた、強がってますね? チラチラ見てしまっているのは、忍江ちゃんお見通しなんですよ。何ならさっきも、先輩が胸ばかり見ていたのは忍江ちゃん気付いています。気付いちゃっています」
「ぼ、僕はただシャツの隙間から見えたアクセサリーが気になっただけだ」
「へえ、先輩あのペンダントが見えたんですか。私の胸の谷間に仕舞われたペンダントが。けれども先輩、ペンダントが見えたってことは、やっぱりクッキリハッキリ見えちゃったんじゃありませんか? しっかりバッチリ見えちゃったんじゃないですか? ガッツリムッチリ見入っちゃったんじゃありませんか?」
「ムッチリ見入るってどんな表現だ。あと僕はそんなことしていない。ただチラリと目に入っただけだ」
「そうですね。先輩はムッツリですもんね。チラチラ見るのが精々ですもんね。横目で見て見ぬふりをするのがお似合いですもんね。チキンで臆病な先輩は、正面から見る度胸ありませんものね」
「さっきから言わせておけば、君は」
「別に私は嫌味を言いたくてこう言っているんじゃありませんよ、先輩。ただ先輩にはそういうところがあるんだと、気付いて欲しくて言っているんです。これは私の愛の鞭です。忍江ちゃんの、愛の、鞭です。忍江ちゃんは、教えてあげているのです」
「僕はそんなこと頼んでいない、不愉快だ」
「申し訳ありません、先輩。ただ何でも教えてあげたい忍江ちゃんは、ついつい先輩に教えてあげたくなってしまうのです。先輩想いな忍江ちゃんの悪い癖です」
「余計なお世話だ」
「余計なことではありませんよ、先輩。自分の客観的印象というものは得ようとして得るのはなかなか難しいものなんですから」
「それをたいして仲の良くない人に指摘するのは、ただの無礼なやつだろう」
「またまた、先輩と私の仲じゃないですか」
「どんな仲だよ。昨日出会い今日入部すると言って部室に突撃してきた君と僕は、どんな仲だっていうんだよ」
「それは、もう……。ねえ? きゃっ、私に何を言わせるつもりなんですか、いやナニを言わせたいんですか、先輩?」
「一体どんな想像をしているんだよ、君は。ほぼほぼ赤の他人だろう、君と僕は」
「赤だなんて、そんな。いや確かに先輩と私は赤い糸で結ばれていますが」
「勝手に結ぶな。僕は知らないぞ、認知していないぞそんなもの」
「酷いです、先輩と私の間に結ばれた愛のカタチをキチンと認知してくださいよ、先輩」
「相変わらず誤解を招くような言い方をするな、君は」
「愛の結晶と言った方が良いでしょうか、先輩。わかりやすいでしょうか、先輩」
「やっぱりわかって言っているだろう、君は」
「何のことだかさっぱりです。純真無垢な忍江ちゃんには、何のことだかさっぱりわかりません。あ、でもでも、先輩がお望みでしたら私としましてはそういうこともやぶさかではないと言いますか……」
「そんな調子で、今更純真無垢は無理があるだろう」
「なんてことを言うんですか、先輩。忍江ちゃんの純真を疑うんですか? 純潔を疑うんですか? なんなら今から確かめますか、先輩?」
「待て待て待て、また服に手をかけるんじゃない。どうして君はすぐ脱ぎたがる。露出狂か?」
「露出癖なんてありませんよ、先輩。私はただ、ありのままの姿を見ていただきたいだけです。生まれたままの姿を見ていただきたいだけです。何ならそのまま召し上がっても構いませんよ、先輩。ほら、裸の付き合いというように、肌を見せ合うのはコミュニケーションの一種でしょう?」
「アレは何も裸をジロジロ見せ合っているわけじゃなく、何も身に纏わない状態で腹を割って話そう、というポーズの話だろう。あと裸の付き合いは同性間でやるものだ、異性間でやるもんじゃない」
「そうですね、男女で一緒にお風呂に入ったら恋に落ちて、そのまましっぽり始めちゃいますもんね」
「な、何を言っているんだ君は」
「何もナニも、私はただお風呂屋さんの話をしているだけですよ?」
「君が今話しているのは絶対普通の風呂屋の話じゃないだろう。一時間いくらとかの特殊な風呂屋の話だろう」
「やっぱり知っているんですね、先輩。興味があるんですね、先輩。別に言っていただければ、私はいつでも相手をしますのに。大人の遊びにお付き合いしますのに」
「高校生がそういうことをするのはまずいだろう。あと別に僕と君はそういう仲でもないじゃないか」
「でもそういう行為から始まる関係もあると言いますし」
「だからなんで君の恋愛観はそう爛れているんだ」
「いえいえ、フレンドと付くくらいですから、きっとピュアな関係でしょう。ほら、ラブコメとかでもよく言うじゃないですか、『まずはお友達から始めましょう』って」
「それで始まるラブコメがあってたまるか‼︎ 歪んでいるよ、君の恋愛観は。不道徳だ、インモラルだ」
「でも先輩、そう言うのお好きでしょう?」
「本当に君の中で、僕はどういうやつなんだ」
「いやですねえ、先輩。私にそれを言わせるんですか。忍江ちゃんに教えて欲しいんですか?」
「クソ、絶対聞きたくない。どうなっているんだ、君の頭の中は」
「私の頭の中は一二〇%先輩のことで占められています」
「容量を超えて溢れ出てしまっているじゃないか」
「そうです、忍江ちゃんの想いは溢れてしまっているんです、先輩。抑え切ることができないんです、先輩」
「そこは頑張って抑えてくれよ。というかその調子じゃ、普段の生活に支障が出てしまうんじゃないのか?」
「そんなことはありません、先輩。私は普段、陰に徹していますので」
「そんなにやかましいのにか⁈ そんなに目立つ容姿をしているのにか⁈」
「私は普段、地味子ちゃんなのです。地味でジメジメ地味子ちゃんなのです」
「嘘だ、君くらい可愛くてやかましいやつクラスに埋もれていられるわけないだろう‼︎」
「……」
みると彼女は頬に手を当て顔を赤くしてモジモジしている。
「どうした?」
「いえ、先輩は私のこと、可愛いって思ってくれていたんだなあ、と」
「それはもう客観的事実だから否定しようがないだろう。癪だけど。街ゆく人に聞いたら、百人中九十人くらいが可愛いって言う容姿をしてるだろ、君は。認めるのは癪だけど。本当に癪だけど」
「百人中百人とは言ってくれないんですね、先輩。いえ、私は先輩以外の評価に興味はありませんけれども」
「そこはほら、世の中には捻くれちゃっている奴もいるからさ。思っている事と反対のことを喋っちゃうヤツが中にはいるのさ」
「先輩もその一人ですね」
「なんでさ、僕ほど正直なやつはいないぞ。正直者のススムさんとは、僕のことだ」
「なんですか、そのだっさい二つ名は。自称するにしてももう少し何かあるでしょう」
「ダサいって、別に僕も自称しているわけじゃないけどさ」
「そうですね、先輩は捻くれ王子とかがお似合いではないでしょうか」
「ぼ、僕はそんなに捻くれていない」
「そうやって否定するところが、ますます捻くれています。よかったですね、先輩。先輩はこれから捻くれ王子を名乗って良いですよ」
「いやだよ、そんなダサい名前を名乗るの」
「どうしてです? まさに先輩を体現したぴったりの名前だと思いますが。これでクラスの人気者ですね、先輩」
「むしろ捻くれ王子を名乗るやつに近づきたくないだろ。あと別に僕はクラスの人気者になりたいなんて思っていない」
「本当に先輩は素直じゃありませんね。そう言うところがモテないんです。だからいっそ、開き直ってしまえと私は言っているのです。まあ他の人にモテるのも嫌なので私は構いませんが。どうせ私以外、碌に女友達もいないんでしょう?」
「まあ確かに碌なやつがいないのは事実だが」
「えっ、碌なやつがってことは、いるにはいるんですか? 女友達が? 先輩に? 万年ぼっち顔の先輩に⁈」
「あいかわらず君は僕をどんな目で見ているんだ。いるよ、女友達くらい。まあ二人とも変なやつだけど」
「二人も? 大丈夫ですか、先輩。騙されていませんか? お友達料とか渡しちゃっているんじゃありませんか?」
「騙されてって、まあ過去にそういうことがなかったわけじゃなかったけどな。アレから僕は用心深くなったんだ、ないよそんなこと」
「自分は用心しているって人が、一番怪しいんです。どんなやつなんですか、世間知らずな先輩を騙す悪い女は」
「別に変な奴ではあるけど、悪い奴らではないよ。ただ二人とも、そう、個性が強すぎるだけなんだ。あと世間知らずって、僕はそんなにものを知らない訳じゃないぞ。バイトだってしているんだからな」
「だからそう思っている人が一番危ないんですって。ってあれ? 先輩、バイトをしているんですか?」
「本屋でな」
「良いことを聞きました」
「だからって邪魔しにくるなよ」
「邪魔なんてしません。ただ働く先輩の様子を伺いに行くだけです」
「失言だったか」
「いえ、ファインプレーです。おかげで私は良い事を聞けました」
「本当に冷やかすのだけはやめてくれよ」
「先輩の邪魔をするつもりはありません。ただお邪魔させていただくだけです」
「邪魔をするなら来ないでくれ」
「これはそういう表現じゃないですか」
「これもそういうジョークだよ。まあ邪魔をしないなら精々売り上げに貢献してくれよ」
「もちろん、先輩がいるなら贔屓にしちゃいます、行きつけにしちゃいます」
「そんな居酒屋じゃないんだから」
「居酒屋なんて先輩だって行かないでしょうに。とにかく、通います、通わせていただきます」
「君はなんというか、人の話を聞かないところがあるよな」
「嬉しいです先輩、もう私に対する理解を深めてくれるなんて。さては相思相愛なのではないでしょうか? 私も負けていられませんね」
「やっぱり君のそういう軽薄で人の話を聞かないところが嫌いだ」
「おっと失礼、普段は気をつけているのですが、先輩と話していると楽しくてつい口が回ってしまうんです。軽快に回ってしまうんです。いやあ不思議ですね」
「浮ついて空回っているから、滑っているのに気づいていないんじゃないか? 僕は君との会話が不愉快だ。静かで穏やかな放課後のルーティーンが邪魔されている。憩いの場が侵食されている」
「侵食って言葉、何処となくいやらしいですよね」
「なに馬鹿な男子高校生みたいなこと言っているんだ」
「馬鹿な男子高校生は先輩じゃありませんか。それに言葉の持つ不思議な魅力を語るのもまた、文芸部の活動なのでは?」
「僕を馬鹿な男子高校生呼ばわりしたな。あと君のそれは揚げ足取りだ」
「これは一本取られましたね」
「またそうやって誤魔化すのか」
「細かい事は気にしない方が幸せになれますよ」
「君と出会ったのがいちばんの不幸だ」
「私にとっては運命の出会いでした」
「それ以上その口を開くなら、今ここで君の命運は尽きることになる」
「そうしたら憑いて出ますよ、先輩。いつまでも一緒です、先輩」
「嫌だよ、鬱陶しい。諦めて早く次に行ってくれ、現世も来世も」
「なにぶん、執念深いたちなので」
「自分でそれを言うのか。まったく、君と話していると疲れるよ」
「大変そうですね、先輩。憑かれているんじゃないですか?」
「やめてくれ、縁起でもない。あといい加減その駄洒落で返すのは禁止だ」
「そんな、私の会話レパートリーの八割が封じられるなんて」
「捨ててしまえ、そんなレパートリー」
「それに先輩も乗ってきていたじゃないですか」
「そんな事実はない」
「ずるいです、先輩。いくら先輩が鳥頭だからって、歩いてもいないのに忘れることないじゃないですか」
「僕は忘れてなんかいない、言ったという事実が無いだけだ」
「脳みそミジンコな先輩と違って、私はしっかり覚えています。先輩の言うことを一言一句聞き漏らさない忍江ちゃんイヤーは確かに捉えました」
「とにかく禁止だ禁止」
「ぶーぶー」
頬を膨らませ抗議していた彼女は、やがて諦めたのか顎に手を当て何かを考え始めた。
「うーむ、残った手札でどうやって先輩の好感度を稼ぎましょう。先輩の悪いところ集を使えばあるいは?」
「いけるわけないだろう、そんなの。第一元々好感度はダダ下がりだ、むしろなんで今まで上手くいったと思ってたんだ」
「だってこんなにも先輩から会話を引き出せたら、それは上手くいったようなものでしょう? 文芸部の冷血王子とかみんな噂してましたよ」
「なんだそのダサいあだ名は。というかそんな名前で呼ばれているのか、僕は。噂されているのか」
「まったくです、先輩はアイス食いーんでしょうに」
「待て、僕は男なんだからクイーンではないだろう。せめてプリンスとかだ。それに今絶対変な文字を当てただろう、文字にしないと分からないような変なあだ名を付けただろ。僕はそんなに食い意地張っていない、そしてこんなにツッコミどころの多いボケをするんじゃない」
「さすが先輩、全部拾ってくれましたね。ですが、アイスが好きなのは事実では? ポッキンアイスを一人で食べているんじゃありませんでしたっけ?」
「あ、あれはシェアする人がいなかったから……。って、なんで知っているんだそんな事を」
「先輩に関してはなんでも知りたい後輩ですから」
「言動がストーカーじみていて怖いんだが」
「ストーキングなんてしませんよ。やるなら正々堂々です」
「それはそれで迷惑だ」
「迷惑なんてかけるつもりはありませんよ。この前も先輩のお母様にちゃんと挨拶に行きましたし」
「いや、もう既に家を特定されてるじゃないか。さらに上り込んでいるじゃないか。どうやって僕の親を騙したんだ」
「騙してなんていませんよ。ただご近所に住んでいたら挨拶はするものでしょう」
「君は近所に住んでいるのか? 僕の家の? そんな事で家がバレるなんて……」
「いやいや、前から知っていましたよ」
「それこそなんでだよ、ますます怖くなったじゃないか」
「夜道には気をつけて下さいね」
「それは闇討ちをする奴のセリフだろう」
「いえ、ただの一般論です」
「君に正論を言われるとムカつくな」
「心配になりますよ、あんな格好で出歩いているのを見たら」
「あ、あんなって、君はなにを見たんだ」
「だらしないジャージ姿でコンビニに向かう先輩の姿を」
「あ、あれは暑かったから、アイスでも食べたくなってだな」
「やっぱりアイス食いーンじゃないですか」
「アイス食いーンじゃないと言っているだろう。そもそも僕は男だ」
「一人で二つ持って、食べながら歩いていたじゃないですか、ポッキンアイスを」
「あれはそういう気分だったんだ」
「よりにもよってポッキンアイスを」
「だからそういう気分だったんだよ」
「一緒にアイスを食べる友達もいなかったんじゃないですか?」
「いたよ、ちゃんと、しっかりと」
「本当ですか? それこそ先輩のイマジナリーなんちゃらなんじゃありませんか?」
「そんなことはない。僕は確かに」
「まあ、先輩のイマジナリー幼馴染の話は置いておいてですね」
「おい、僕の友達のことを勝手にイマジナリーにしないでくれないか。と言うか今君はなんて」
「そんな過去のやつは忘れてしまったのでしょう、と言ったんです。それより今、今ですよ先輩。先輩には今、ポッキンアイスをシェアするお友達もいないのでしょう。どうして私を呼んでくれないんですか」
「いや、アイスをシェアする程度で呼び出したりはしないだろう。僕と君はそんな仲じゃない」
「水臭いですね、先輩。私と先輩の仲じゃありませんか」
「だからどんな仲だと思っているんだ、君は。それに僕は君の連絡先を知らない」
「ああ、それもそうでしたね。交換しましょう、先輩。ほらほら、スマホを出して」
「なんで僕が君に連絡先を教えなければならないんだ」
「なんでも何も、私たちは今日から同じ文芸部員でしょう。ですから連絡事項もありますし、連絡先を交換することに不自然さはないはずです」
「何が『同じ文芸部員』だ。大体僕は君の入部をまだ認めたわけじゃないぞ」
「まだ擦るんですか、その話。もうそこは大前提なんですから、今更蒸し返すものでもないでしょうに」
「いいや、蒸し返させて貰うぞ。これには僕の、平穏な放課後がかかっているんだ。そう簡単には譲れない」
「二人でこうして楽しく話していられる素敵な時間のことですね」
「一人で静かに本を読んでいられる時間のことだ。さっきからずっと君と話してばかり、ちっとも本が読めやしないじゃないか」
「どうせ先輩、授業中も本を読んでいるんでしょう? 今更放課後の時間くらいでケチケチしないでくださいよ。そんな事を続けていたら、そのうち先輩が本のページを食べたりしないか心配になります」
「山羊じゃないんだから紙は食べないよ」
「いえ、虫になるんじゃないかと言ったんです。本の虫です」
「より酷い答えが返ってきたな」
「ですからそのうち『僕の主食は本だ』なんて言い出して、ペラペラになって本に挟まっていかないか気が気でありません」
「君は僕のことを妖怪か何かと勘違いしていないか?」
「そんな事はありませんよ。先輩はただ捻くれ者で面倒くさく、感情表現が苦手な照れ屋さんですもんね」
「君、僕のことが本当に好きなんだよな?」
「もちろんです先輩、見てください私のこの曇りなき眼を」
「どうしてだろう。君の瞳は底が見えなくて恐ろしく見えるよ」
「それだけ私の心は澄み切っているんです。そして海より深いんです」
「邪念に塗れているのに?」
「純度一〇〇%、先輩への愛で満たされていますから、一点の曇りもありません」
「むしろ濁りきっているだろう。ドロドロだ」
「酷いですね、先輩は。忍江ちゃんの乙女の純情をなんだと思っているんですか」
「気の迷いだと思っているよ」
「そんなことないです。私は本気なんです」
「いいか、恋なんていうのはまやかしだ、幻覚だ。恋という名の目隠しをして、何も見えなくなっているだけだよ、君は」
「いいえ、恋とはレンズなんです。恋を通してみると、世界がよりクッキリと、鮮明に、色鮮やかに見える様になるんです」
「それはただ色眼鏡を通して見ているだけだ。恋はそんなに良いものじゃない」
「恋とは素敵なものなんです。この身を焦がしても、焼き尽くしても良いと思うほどに」
「まるでイカロスの翼だな。恋に恋して恋焦がれているんだ」
「それでも私は構いません。恋に挑むという事はそういう事ですから」
「不毛だ。そんな価値はないよ、恋というやつには」
「それだけの価値があるんです、恋には、愛には‼︎」
「その気持ちはきっと君を傷つける、何故それが分からないんだ」
「先輩こそ、何が分かるっていうんですか。私の、恋の、何が」
「分かるさ、燃え尽き、墜落した僕には‼︎」
失言だった。
ヒートアップしてしまった。
だから口が滑ってしまった。
居心地の悪い静寂が僕らを包み込む。
見ろ、彼女も泣き出しそうじゃないか。
こんなことを言うつもりはなかった。
だから嫌なんだ、色恋ってやつは。
とりあえず話を元に戻そう。脱線したのは、確か……そう、あれだ。
「とにかく、僕はまだ君の入部を認めていない」
「……先輩が納得できないと言うのは不本意ながら認めるとして、具体的にどうするんですか? 現に入部届自体は通ってしまっている訳ですし」
「仮入部」
「は?」
「仮入部、ということにしよう」
「はあ」
「部活に入るとなったら普通、仮入部をするものだろう? 体験入部とも言うけれども。君はそれをすっ飛ばして入部してしまったからややこしい事になっているんだ」
「そうですかね?」
「そうなんだ。仮入部とは、その人と部活の相性を確かめる、ある種の儀式のようなものだ。だから蔑ろにしちゃいけない」
「世の中には仮入部なんてせずそのまま入部する生徒もごまんといると思いますけれどもね」
「よそはよそ、うちはうちだ」
「そんなものですか?」
「そんなものだ。さて、でもって君には入部テストを受けてもらおう」
「入部テスト?」
「テスト、とは言っても、別に文学作品に纏わる蘊蓄クイズをしてもらったりはしない。そんなつもりもない。ここは文芸部、だから君にはこれから作品を一本仕上げてもらおう。期限は一ヶ月だ。それをもって、君の入部を認めようじゃないか」
「へぇ、そのこころは?」
「ここは文芸部だ。だから小説なり詩なり、何かしら書きたいものを持って入部してきているはずだろう? であればこんな条件、軽々超えられるはずだ」
「それはなんというか、全国の悩める作家の皆様たちを敵に回しそうな発言な気はしますけど。なんなら先輩にも刺さるんじゃありませんか」
「うぐっ、べ、別に何も長編一本上げろと言っている訳じゃあない。僕もそこまで鬼ではないからな。だから短編なりなんなり、とにかく君の作品を見せて欲しい」
「私の、作品ですか?」
「ああ、君の作品を、君の『物語』が読みたいんだ。作品にはね、多かれ少なかれ作者の人間性が、隠しきれない部分が滲み出る物なんだよ。だから君の、君自身を見せてくれ」
「……」
「どうだ? 怖気付いたか?」
「いえ、やります。やってみせます。やってみせましょう」
「まあ前向きなのは良い事だな。君の原稿待っているよ」
「先輩の期待に応えられるよう頑張ります」
そうやる気に満ち溢れた彼女の表情は、どこか眩しく思えた。
「期待しないで待っているよ」
「いえ、期待していただきます。期待して待っていて下さい。世紀の大傑作を読ませてみせましょう」
「世紀の大傑作って、書く前から自信満々だな」
「ええ、こう見えて書きたいものはもう決まっているんです」
「へえ、準備がいいな。どんな話を書こうとしているんだ?」
「内緒です」
「いいじゃないか、何を書こうとしているんだよ」
「内緒です」
「それも?」
「先輩には秘密です。忍江ちゃんは教えてあげません」
どうやら本当に教えてくれないらしい。
彼女はかなりオープンな様に見えて、大事な部分は見えてこない。
そんな彼女がどんな物語を書き上げるのか、僕は純粋に気になった。
「それじゃあ、書き上がったら真っ先に見せてくれよ」
「もちろんです、先輩。一番最初、初めては先輩にあげるつもりです」
「それ変な意味じゃないよな?」
「先輩がお望みなら、忍江ちゃんは……」
「なあ、本当に変な意味じゃないよな⁈」
「まあとにかく、忍江ちゃんは先輩に真っ先に読んでいただきたいので、連絡先を交換しましょう」
「連絡先? まあ、そうか。わかったよ」
二人でスマホを取り出し、緑色のアイコンの通話アプリを立ち上げる。
登録人数の少ない僕の連絡先に、デフォルメされている星に乗った黒猫のアイコンが追加された。
「黒猫?」
「はい、黒猫です。猫ちゃんです。可愛いでしょう?」
「好きなのか?」
「はい、大切な思い出なんです」
思い出、という言葉にチクリと胸が痛む。
思わず喉から漏れ出そうな声を、慌てて僕は引っ込めた。
いや、聞くのはやめておこう。
その方が良いと、僕はそう判断した。
「えへへ、先輩の連絡先……」
まったく、何がそんなに嬉しいのやら。
スマホの画面を嬉しそうに眺める彼女の顔を眺めていると、こちらも毒気が抜けてしまいそうになる。
「それでは先輩、またお会いしましょう」
ガタリと勢いよく立ち上がり、ガラガラと扉を開け閉めして彼女は去っていった。
最後まで騒がしく、まるで嵐の様な娘だった。
どっと押し寄せた疲れに、思わず机に伏せってしまう。
これがこれから続くのだろうか?
平穏で退屈な日々との別れを改めて実感する。
ふとスマホを見ると、メッセージが届きました、という通知がポップアップする。
タップすると、『先輩、大好きです‼︎』というメッセージと共に、目がハートマークになった黒猫のスタンプも届いた。
彼女はよっぽど猫が好きらしい。
オープンなようでいて謎に満ちた騒がしいあの後輩のことが、ほんの少しだけ分かったような気がした。
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