忍江ちゃんは教えてくれない
米鐘数奇
第零話 「先輩、ずっと前から好きでした」
告白、というものがある。
自分の胸の内に秘めた物を人に打ち明けるという、ある種の一大イベントだ。
それはときに秘密であり、ときに決意であり、ときに好意でもあるだろう。
いずれにせよ、当人にとっては大事な、それこそ鍵をかけてでも仕舞っておきたかった大事なものにちがいない。
だが、そう、当人にとっては、だ。
それを受け取るものにとってはどうだろうか。
当人たちはそれこそ厳重に鍵のかかった蔵から取り出すのだ、準備も心構えもしっかり出来ているのだろう。
対する受け取り手はどうだろうか?
そもそも何を受け取るかも分からない状態で、一体どんな気持ちで挑めば良いと言うのだろうか。
いや、一応訂正しておこう。
僕もそう言うことを考えたことがないわけでもない。
ラブコメなんかも好き好んで読む方だ。
羨ましいと思った事もある。
でも、だからこそ思うのだ。
自分がその当事者になる事は絶対にあり得ないと。
フィクションの中の告白イベント、アレは魅力的な主人公たちだからこそ起こる事なのだ。
まず客観的事実として、僕にその魅力というやつはない。
視力が悪いせいで目つきが悪く、特段愛想や付き合いも良い方ではなく、教室の隅で寝るか黙々と本を読んでいるやつのどこに魅力を感じると言うのだろうか。
いたとしたら、誰とでも仲良くしようとする狂人か(残念ながら一人心当たりがある)、はたまた目つきの悪いやつフェチの変人(悲しいことにこちらにも心当たりがある)くらいじゃないだろうか。
そしておそらく、この手紙の送り主はそういった類ではないだろう。ないはずだ。そんな特異個体が何人もいてたまるか。
とにかく、朝僕の下駄箱に入っていた手紙をもう一度確認する。ピンク色の封筒に星型のシールで封をされたいかにもというそれには、女の子っぽい可愛らしい丸っこい文字で『ススム先輩へ』とそう書かれていた。
僕の周囲の下駄箱には、ススム、という名前の生徒はいなかった様に思う。だからこれは僕宛の手紙、ということになるだろう。
そこまでは良い。認めるしかないだろう。
だが問題はその中身だ。
可愛らしい黒猫のイラストと共に『今日の放課後、校舎裏でお待ちしております』とシンプルに書かれたその内容を、僕は一体どう受け取れば良いのだろう。
やはり、そういうものとして心構えしておいた方が良いのだろうか。
だが、しかしだ。
告白イベントなんていう一大イベントは、エンタメとして消費される事もまた多々あるのも事実である。
早い話がドッキリ、ヤラセじゃないかという話だ。
それなら僕の中でもしっくりくる。
納得できる。
悲しいかな、そういう経験が過去の僕にはあるからだ。
告白を受けて初デートの日、ネタバラシをされた後に遊園地で一人食べたキャラメルポップコーンの塩気を僕は今でも覚えている。
アレは僕にとって苦い経験であるとともに、教訓にもなった。
汝、思い上がる事勿れ、だ。
あの頃、僕はガムシャラになっていた。
手段を選んでいる余裕がなかった。
それを、自分の中で正当化しようとした。
自らの自惚れに気づかずに。
だからきっとバチが当たったのだ。
僕にとっての全てを失った後、僕はそう悟った。
抜け殻になった僕には、きっと何も残っていないだろう。
あの日からずっと、僕は空虚を抱えている。
枯れ果て、尽きた泉が湧き上がることはもうない。
そんなもの、本当は最初から無かったのかもしれない。
けれども、諦めきれない愚かな僕は、今日もスコップを振るうのだ。
そうしなければならないという衝動だけが僕を生かし続けていた。
今日も怠惰で不毛なその作業を行う予定だった。
だというのに、そんな僕を呼び出したのは、いったい誰なんだろう。
先輩、と呼ぶからには後輩なのだろうか。
後輩……後輩?
正気か?
この手紙を書いたやつは今日が何の日か知らないのか?
入学式だぞ。
僕は高校二年生だ。
つまりこの手紙の送り主は、必然的に一年生、ということになる。
どこに入学当日に告白する奴がいるんだよ。
ヤラセにしてももう少し考えてほしいものだ。
大体、誰だそんな現実味のないシチュエーションを考えたやつは。
こんなプロット、僕ならすぐに破り捨ててやるのに。
ともかく、僕の腹は決まった。
断ろう。
それがきっといい筈だ。
賢い選択だ。
クレバーだ。
僕はそう思い込む事にした。
***
「先輩、ずっと前から好きでした」
第一印象は、小動物の様な娘だった。
艶々とした長い金髪に上気して赤みを帯びた頬。
照れた様にはにかむ笑顔は、心を照らす太陽のようだ。
身長は僕の肩くらいだろうか? クラスの平均くらいの僕から見て少し小柄に見える。
しかしその身体は女性らしい丸みを帯び、シャツが悲鳴を上げているのが聞こえる。
そしてまんまると開いた大きな瞳は、こちらを見つめ潤んでいた。
僕にまで緊張が伝わってくるような迫真の表情だ。
「私と付き合ってくれませんか?」
頭を下げるとともに、長い髪がサラサラと流れ落ちる。
それはヴェールのように彼女の顔を覆い隠した。
彼女の顔を、伺うことはできない。
が、その必要はないだろう。
ここまでの流れは想定通りだ。
だから僕は、先程用意した答えを取り出す。
「すまない、君の気持ちには答えられない」
「えっ?」
「と言うより、それは君の気持ちなのかい?」
「何を、言って」
「『ずっと前から好きでした』、なるほど、気持ちのこもった良い告白だ」
「だったら、なんで」
「だって君は、今日入学したばかりだろう。僕のことを知っている筈がないじゃないか」
「そんなこと」
「おっと、その先は言わなくていい。中学生の僕を知っていた、と言うんだろう。あいにく僕は、中学の頃は遠くの進学校に居たんだよ。だから新入生の君と、僕の接点はない筈だ」
「わ、私は」
「そんな君に僕からこの言葉を贈ろう。『僕らはお互いのことをよく知らないから、付き合うことはできない』だ。すまないね」
「先輩、待って」
「どちらにせよ、僕は忙しい身だ。君の気持ちに応えることはできない。今日のところはこれで失礼するよ」
彼女が何やら言う前に足早に去っていく。
でないと未練が残りそうだ。
遠ざかる嗚咽に罪悪感を感じながら、これで良かったと自分に言い聞かせる。
言い聞かせるしかない。
分かっている。正直自分でもあの言い方はなかったと思う。
でもダメだった。
実際に対面してみると、どうしてもあの日の光景が頭をチラついた。
重ねてしまったのだ。
気付けば僕の口は、ペラペラと回ってしまっていた。
彼女はそんなつもりないかもしれないのに。いや、きっとそうに違いない。
だというのに、僕は随分と酷い言い方をしてしまった。
あれはない。絶対にない。
僕はもう少しやんわりと断るつもりだった。
なのにフラッシュバックしてしまった。
ニタニタ歪んだ口元、ケタケタという笑い声、染みのできたアスファルト。
しまって蓋をしていたはずのもの。
それらが勢いよく飛び出して来たのだ。
いや、違う。これは言い訳だ。
彼女を傷付けて良い理由にはならない。
それは僕自身が一番よく知っているはずなのに。
だめだ、頭がうまく回らない。
空回りだ。
グルグル言葉が吹き荒れる。
少しでもマシな、プラスのことを考えよう。
あの後、もし仮に、そうもし仮に、本当に付き合う事になったとして、なってしまったとして、僕はきっと、いつ裏切られるかビクビクしながら過ごす事になるだろう。
それはきっと、僕の、何より彼女の為にならない。
そしてそんなこと、僕は絶対許せない。
ダメだ、まだ思考がマイナスに寄っている。
不幸に酔っているのだろうか。
くだらない駄洒落が頭を過ぎる。
切り替えなければ。
あんな振られ方をしたら、彼女はきっと二度と僕には近寄らないだろう。
当たり前だ。結果的にとはいえ、僕はそういう風にしたのだ。
それで良かったんだと思う。
彼女はきっと、素敵な恋ができる。
勇気を振り絞って、気持ちを伝えられる子なんだから。
その相手が僕だったのは本当に申し訳なく思う。
本来だったら、謝るべきだろう。
けれども今更、どの面を下げて謝るというのだ。
それに僕は許されるべきではない。
あんな事をしておいて、許されるなんて僕が許さない。
第一僕が会いに行ったところで、傷を深くするだけだろう。
彼女は貴重な青春を、こんな空っぽ野郎のせいで棒に振るべきではない。
とはいえ酷いことを言ったのは事実だから、後で知り合いにフォローして貰おうか。
そんな事を考えていて、ふと僕は気付いた。
気付いてしまった。
僕は、彼女の名前を聞いていない。
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