スタンバイ #1

『はい、突然音楽が流れてきてね、驚かれた方多いと思いますけれども。まずは挨拶します。こんにちは!××県立香坂高校放送部3年3組28番、早川舜と申します!…』

ピンポンパンポーンみたいな合図なしに、中学の音楽の授業で聴いたようなクラシックが流れてきて、直後に男の人の声が聞こえてきた。クラスで弁当を食べていたみんなが、顔を見合わせながら「なに?」「お昼の放送?高校でもやるのかな?」と口々に言う。私もひとりで弁当を食べながら、絶えず声が流れてくるスピーカーを凝視していた。

4月の最終週。入学して2週間ほど経って、高校生活にも少し慣れた頃。突然、そのラジオは始まった。早川舜と名乗る先輩が、音楽を交えながらトークする10分間。終わってみたら、友だちがおらずひとりでご飯を食べる私にはおもしろかった。でも、早速いつものメンバーができたクラスの人は、友だちとしゃべるのに夢中であんまり聴いてないみたいだった。放送が終わっても、隣のクラスの人のことについてずっとしゃべっていた。

「ねえ、隣のクラスのちょっとイケメンな人、家庭科部に入ったらしいよ、ギャップじゃない?」

「えー、かわいい系?あたしはバスケ部とかに入ってほしかったなぁー」

「ふーちゃんはクールな人が好きだもんねー」

声が大きいので、聞こうとしなくても耳に入ってくる。隣のクラス?イケメン?そんな人いたっけ?誰がどんな部活に入ろうと自由でしょ。それと、誰にどこで聞いたの、その情報。ていうか、入学してまだちょっとしか経ってないのに、もう恋愛の話?早くない…?

黙々と弁当を食べながら、こうやってひとりでツッコミを入れるのが私の日課となっていた。今日もお母さんの作ってくれた卵焼きはおいしい。毎日2つ入っていて、今食べたのはだし巻き卵。もう一つは砂糖味。他は冷凍食品ばっかりだけど、いつもありがたい。もう一つの卵焼きに手を伸ばそうとしたら、急にあの人たちの声が小さくなった。視線を感じて、一瞬箸が止まる。

「ねえ、岡部さんってさ、暗そうじゃない?」

「それな、いつもひとりだよねー。実は厨二病とか?」

「中学校どこだっけ?」

「A中って言ってなかった?治安悪いらしいよ」

「え、もしかして元ヤンキー?更生しましたーとか?」

あはははは、という笑い声のあと、あの人たちは別の話をし始めた。

それ、聞こえてるよ。あなたたちの声、小さくしてるつもりかもしれないけど、大きいままだから。社会のおじいちゃん先生の声の方が、聞こえないから。しかも、A中の一部の人たち以外は常識ある人たちだったし、ヤンキーもいない、楽しい中学校生活だったし。まあ、なにを言っても無駄。声に出してすらないけど。

あーあ、さっきの放送が流れてた方がよかったな。聞きたくないことまで聞いちゃったんだもん。急に弁当を食べたくなくなった。でも、残しちゃいけない、と思って、お母さんの卵焼きを口に入れた。ちょっと多い砂糖の甘さが、舌に残った。






「5限の情報、パソコン室だってよー」

学級委員の女の子が言った。弁当を食べ終わって、みんなぞろぞろと教室を出て行く。当然、私はひとりで移動することになる。教材を持って椅子から立ち上がったそのとき。

「ねえねえ、岡部さん、パソコン室ってどこだっけ?」

「え?」

いきなり名前を呼ばれて、反射的に振り向いた。そこに立っていたのは、ボーイッシュな女の子。多分、ズボンを履いたら男の子と間違えてしまうような。美少年顔だなぁ。ていうか、こんなにきれいな子なのに、なんで気付かなかったんだろう。名前は…、なんだっけ。

「えっと、私も分かんない…。……あ、あの、一緒に、行く?」

「…うん!行こ行こー!」

がんばって誘ってみたら、笑顔で言われて、うれしかった。そしてその子は、教材を持ってない方の私の手を握った。はわわ、なにー!?

「岡部さん、何部に入った?」

「私、文芸部。まだ行ったことないけど…」

「文芸?すごー、え、小説?とか?」

「うん。いずれは、そういうの書いて、賞もらえたらいいなって思ってて…」

「へー!いいねー」

彼女の顔がまぶしい。白い歯が光る。

「あ、あの、何部?」

会話が途切れないように、勇気を出して聞いてみた。

「あ、私?迷ってるんだよねー、軽音か、ダンス。どっちもやったことなくてさ」

「わわわ、軽音!?ダンス!?かっこいい…!」

「ふふ、そんなことないよ」

彼女はそう言って私を見て、にやりとした。それはまるで、少女漫画に出てくる、学校で人気なプレイボーイ。

「あ、ここじゃん?パソコン室」

廊下を曲がると、機械の匂いやら生物実験室の謎の匂いやらが立ちこめている棟に入った。クラスのみんなが集まっている。

「あ、ありがとう、一緒に来てくれて…」

たどたどしく言うと、彼女は手を振った。

「それはこっちのセリフ!情報の授業って眠いらしいよ、がんばろ!」

彼女と別れてパソコン室に入ると、窓が開いていた。授業が始まっても、さわやかな風が心地よくて、先生の話と一緒に耳から校舎の外へ突き抜けていった。






それからというもの、あの危険?な彼女は移動教室のときは必ず私についてくるようになった。あとで名簿で調べたけれど、名前は広川蒼葉ひろかわあおばといった。名前までかっこいい。スキンシップ多めで、たまに抱きついてくるので、周りの視線が刺さるけど、広川さんは何も感じていないようだ。それでも、移動教室だけはぼっちじゃなくなって、ちょっと学校が楽しみになった。



『こんにちは!××県立香坂高校3年の早川舜です!5月に入って最初の放送!…』

放送が流れた瞬間、あぁ、金曜日かと思った。私、今週もがんばったなぁ。広川さんのおかげかも。そう思って広川さんをちらりと見やった。

─────そう。

広川さんと関わるうちに、ひとつ気づいたことがある。あんなに輝いていて、私とは違う世界にいるような人なのに、広川さんは私と同じで、ひとりで弁当を食べてること。休み時間はずっと廊下をうろついたり、ベランダに出たりして、誰ともしゃべってないこと。だから私は思ったんだ。…もしかしたら、もしかするかもしれない。これは、友だちができるチャンスかもしれないって…。

でも知ってる。自分からなにかアクションを起こさないと、『友だち』って、できない…。

『さあ、こんな感じでどしどしリクエストしてくださいね!まだなかなか集まらないと思うので、チャンスですよ?…』

考え事をしながら、なんとなく耳に入っていたリクエスト曲がいつの間にか終わってて、先輩の声が再び聞こえてきた。

──あ、これだ。

このラジオにのせて、思いを託そう。メッセージを、大好きな曲を、あの子に…。気づかれなくても、聞いてくれなくてもいい。なんて言えばいいのか分からないけど、ただ、この気持ちを残しておきたい。

そう決心した私は、残りの弁当をがつがつ食べた。空になった弁当箱を見て、「大丈夫」とつぶやいた。






放課後、放送室まで迷いながら行く。ずっとリクエストの紙を握っていたせいで、くしゃくしゃになっていた。途中、怖そうな先輩とか知らない先生とかに会って疲れたけど、赤いボックスが見えて、ほっと息をついた。これでよし。安心して紙を入れようとすると──

「あ、岡部さん」

…なんで、ここにいるの!?広川さんがにこにこして駆け寄ってきた。

「ひ、広川さん…ど、どうしたの?」

精いっぱいの笑顔を作る。リクエストボックスに入れようとしたの、見られてないよね、ばれてないよね!?

「あのさ、軽音の部室ってどこだっけ?また迷っちゃった」

「え、それは知らない…」

「だよねぇ、ありがとう」

広川さんが困ったように笑う。軽音の部室?音楽室とかじゃないの?とにかく、なんでここで会うかなぁ…。

「…広川さん、軽音に入るの?」

「うん、決めた。ゼロからがんばってみるよ」

「すごいなぁ、がんばってね!」

「…岡部さん、私、昔から蒼葉って呼ばれてるんだ。だから、蒼葉って呼んでよ」

「ふぇ?」

いきなりそんなことを言われてびっくりした。どっからどういけばこの話になるの?

でも、これって、『友だち』に一歩近づくチャンスだよね!?

「…あ、うん!分かった!」

「岡部さんのこと、なんて呼べばいい?」

「あ…」

なっぴー、と中学の友だちが自分を呼ぶ声が蘇る。岡部夏陽おかべなつひ、それが私の名前。

…でも!なっぴーって、リクエストの紙に書いちゃったよぉ…!

混乱している私に、広川さん、いや、蒼葉が眉をひそめて、首をかしげる。その表情、反則です…男の子に見つめられるより、緊張しちゃう。

このお手紙、蒼葉に私だって分かるように書いたっけ?ていうか、私はこのメッセージをどうしたいんだっけ?……もう、自分がやりたいことが分からなくなっちゃったー!私のバカー!!バレたいの、バレたくないの!?

「な、なっぴーって呼んで!別に、夏陽でもいいけど、中学ではそう呼ばれてたの!」

頭より先に、口が動く。

「…うん、なっぴーって呼ぶね。それにしても、夏陽ってかわいい名前だよね」

蒼葉がそう言って、またいつもの笑顔に戻った。私もつられてほほえんじゃう。すると、チャイムが鳴った。部活動開始時刻の合図だ。

「あ、やば、早く行かなきゃ!じゃ、また来週、なっぴー!」

蒼葉は手を振りながら、廊下の角へ消えていった。足音が遠ざかっていく。残された私は口の中でつぶやく。

「また来週、蒼葉」

一週間後。きっと採用されますように。そして、蒼葉にメッセージが届きますように。それから先、どうなるかは分からない。親友になれるかもしれないし、変な人だと思われちゃうかもしれない。それでもこの想い、ラジオにのせてほしい。しわくちゃの紙を丁寧に伸ばして、リクエストボックスに入れた。下駄箱へ向かう廊下に夕日が差し込んで、私の影がぐんとのびた。


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