第五十五話 労力の報酬


 プールで颯哉たちとの遊びがあった後日。

 まだまだ蒸し暑さが消えない日々を恨めしく思いながら、自宅で冷房設備の素晴らしさを実感していた。


「プールで泳いでたから意識してなかったけど、普通に外に出ようとしたら汗まみれだもんな……。これは外出の意欲も削がれそうだ」

「今日は湿気もひどいから特にね。お買い物は夕方かな」


 自宅内は快適な気温に保たれているが、ひとたび窓を開けてみればそこは灼熱。

 猛威を振るってくる熱波に嫌気が差してくるが、文句を言ったところで夏なのだから仕方がない。


 これでやむを得ない用事でもあれば熱中症対策を施して外に出るが、そんな重要な予定もないのでしばらくは家で休んでいてもいいだろう。


「だけど、そうなるとやることが無いよね。勉強しても良いけど、それだけだと飽きちゃうし……」

「やることか……。なんかあったかな……」


 部屋を見渡せば、特に何の変哲もないテーブルやテレビ、キッチンがあるくらいで面白味のあるものなど何一つとしてない。

 何か暇をつぶせるようなものがないかと思い当たりそうなものを片っ端から頭に中に思い浮かべていくが、それらしきものは何も………あっ。


「暇をつぶすっていうんなら、試しにゲームでもするか? この前約束もしてたし」


 偶然目に入ってきたのは、部屋の隅に置かれた娯楽の集合体。

 前に拓也一人でプレイしていた時に唯が興味深そうに眺めていたことから多少なりとも興味は示してくれていたのだろうし、実際にやってみたいという言質も取っていた。


 実は彼女に合いそうなジャンルを見繕っていたりもしたので、いい頃合いではないだろうか。


「じゃ、じゃあせっかくだしやらせてもらおうかな。遊ばせてもらってもいい?」

「もちろんだ。遠慮しなくてもいいって」


 ゲームという提案をした瞬間に、期待感に目を輝かせながらもなるべく興奮しすぎないように自らを律しているのが丸わかりだ。

 そんな様子からよほど楽しみにしてくれていたのかとも思うのと同時に、それならば待たせてしまって申し訳なかったとも思う。


 その分の期待値は、今日この時に発散してもらおうとしよう。


「遊ぶものはこっちで選んじまうけど、何か気になる物があったら要望も聞くぞ」

「私は詳しくないからお任せしちゃうよ」

「了解だ。ならこの辺りかな……」


 ある程度種類分けをしておいたゲームの中から取り出したのは、初心者の唯でも遊びやすいことを重視して横スクロールアクションのものにした。

 操作性も複雑なものはなく、感覚と直感でできるはずなので、これなら安心して楽しめるだろう。


「電源つけてっと……。よし、それじゃあこれ使ってくれ」

「うん! あ、でも、これってどうやって遊んだらいいの?」


 テレビの画面に起動したゲームが表示されていることを確認しながら、唯にコントローラーを渡す。

 そうすると唯は大人しく受け取るが、操作がわからないようでこちらに説明を求めてきた。


「ああ、そりゃわかんないよな。ちょっと待ってな。えーと、これが移動をするときのボタンで……」

「ふむふむ。なるほどね!」


 できる限りわかりやすく教えるためにかなり噛み砕いて解説していたが、それでも十分だったようで唯は大きく頷いている。

 まぁそんな難しいものを選んでいないというのも関係しているのだろうが、それを含めても飲み込みは早い方だろう。


「なら早速やってみるか。そこでボタンを押してみてくれ」

「ここ? …わっわっ! は、始まったよ!」

「焦らなくても大丈夫だよ。落ち着いてやってけばいいから」


 ゲームの内容としてはステージクリア制のもので、一つ一つのコースに点在している敵キャラクターやギミックを上手く利用してゴールを目指すのが主な目標だ。

 そして、そのステージに移った瞬間に唯は慌てたように体を揺らしている。


 それと、今回拓也はゲームに参加していない。

 もちろん複数人プレイもできるのでやろうと思えば参加自体は可能だが、それではある程度年季のある自分がサクサクと進めてしまうだけで面白くないだろうという理由から見守りに徹している。


「こ、ここでジャンプ! あっ……やられちゃった…」

「惜しかったな。タイミングが少しずれてただけだから、すぐに進めるよ」

「うぅ……悔しい!」

「ははっ。その悔しさもゲームの醍醐味だからな。今度はゆっくりやってみろ」


 唐突に現れた敵に接触し、開始数十秒でやられてしまったことに落胆する唯だったが、初めてならばそんなものだ。

 むしろ、慌てながらも冷静に操作をしようとしているところから、結構素質もあるんじゃないか?


 そんな親ばかじみた思考を繰り広げていれば、その間にもゆっくりと、されど着実に歩みを進めていく唯。

 その表情は真剣そのものといった感じで、普段の私生活ではまず見かけられない必死さをにじみだした彼女の姿を見られたことは思わぬ収穫だったかもしれない。


 …しかし、敵にぶつかりそうになるたびに全身をビクッ!と震わせている様子は、唯には悪いが見ていて微笑ましい。

 言ったら頬を膨らませて怒ってきそうなので口にはしないが。


 今も夢中になって遊んでいる唯は画面に集中しており、隣の拓也のことも視界には入っていないのだろう。

 それだけ楽しんでくれているという証左ではあるが、さすがにハマらせすぎると今後の支障になりかねないので塩梅を決める必要はあるが、それも自分が注意してやれば済むことだろう。


 …少し離れても大丈夫そうだな。


 二人で座っているソファをそっと立ち上がり、拓也はキッチンへと向かって行く。

 大きな音は立てないように注意しながら歩いていけば、唯がそれに気づく様子はなさそうだ。


(こういう時じゃないと作れないし、試しにやってみるか)




「…で、できた……! ゴールまで来れたよ! …あれ? 拓也くん?」

「おお、クリアできたのか。おめでとさん」


 拓也がキッチンで作っていたものを手に持ちながら戻れば、ちょうど挑戦していたステージをクリアできたようで、満面の笑みで喜びを露わにしていた。

 そのタイミングで先ほどまで隣にいた拓也がいなくなっていたことにも気が付いたようで、疑問の声をあげながら周囲をきょろきょろと見渡している。


 再びソファへと戻ってきた拓也はソファに腰掛け、数分前までキッチンで作っていたものを彼女に差し出す。


「クリア祝い……ってわけでもないけど、これよかったら飲んでくれ」

「えっ、これって……ココアの上に、マシュマロ?」

「そっ。前にどっかで見たことあって、気になってたんだよ」


 拓也が作っていたものの正体はマシュマロココアだ。

 いつも唯が好んで飲んでいるココアの上にマシュマロを乗せただけであり、そんな難しい手順もないので自分でも簡単に作れた。


 少し前にネットを眺めているとこれの記事が流れてきたので気になり、それを一目見た瞬間から唯が好きそうだと思っていたのだ。

 ビジュアル的にも可愛い…というほどでもないが、見栄えはするし悪くはないと思っている。


 ただいつもと違うのは、普段から常飲しているココアではマシュマロと掛け合わせたときに甘くなりすぎてしまうと思ったので、少し甘さは控えめのココアを使っている。

 そこまで大した差でもないので、わざわざ言う必要もないと思うが。


「…これ、もしかして私のために作ってくれたの?」

「まあそうだな。俺は甘すぎるのはそんなに飲まないから」


 口にされると少し気恥ずかしいが、彼女のために作ったということは間違いないので否定はしない。

 拓也は自分の分のコーヒーは別で作ってあるし、ココアを自分で飲むつもりは全くなかったので間違ってもいない。


「へぇ……。ねっ、飲んでもいいかな?」

「そのために作ったんだから、遠慮せずに飲んでやってくれ。むしろ残される方が俺としては悲しくなるくらいだ」

「うっふふ。そうだね。それじゃ、いただきます!」


 ホットで作られたココアには少しずつ溶けだしたマシュマロが浮かび上がっており、柔らかな雰囲気が漂っている。

 味見なんかは一切していないしできなかったので、一発勝負ではあるが……果たして。


 こくこくと飲んでいく唯の姿を気にしながらも、拓也もコーヒーを飲んでいく。

 口の中にあふれてくる苦みに舌鼓を打ちながら香りを堪能していると、隣で唯がマグカップから口を離し、ほぅ……と息を吐いている。


 その様を見る限り、少なくともまずいわけではなさそうなので安心するが、実際に彼女の口から感想を聞くまでは分からない。

 落ち着かない内心を無理やり落ち着かせながら長く感じられる時を待っていると、味わい終えた唯がこちらに向かって口を開く。


「すっごく美味しいよ! これ、本当に拓也くんが作ったの!?」

「美味かったんならよかった。紛れもなく俺が作った…といっても、ココアに少し手を加えただけなんだけどな」


 拓也は謙遜しているわけではなく、本当にそれしかしていないので褒められても増長するような功績でも何でもないと考えていた。

 それでも唯にとっては、拓也が手ずから作ったものだということと、自分のために用意してくれたという事実が気持ちを沸き立たせているようだ。

 べた褒めしてくる唯の言葉を軽く流しながら、拓也もソファでのんびりとした時間を過ごす。


「むうぅ……。なんか真剣に受け止められてない気がする」

「だからそんな大した手間もかかってないんだって。唯がやったらもっと上手くできるだろ?」

「……できなくはないけど! でも、そういうことじゃないの!」

「ええ……」


 なぜかそっぽを向いて機嫌を損ねてしまった唯に、拓也も原因が分からず困惑してしまう。

 そんな、ある意味では微笑ましくも騒がしい日々は、流れるように過ぎ去っていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る