第五十四話 燻るものは何色か
ひとまず夕食はこの場で済ませていくことになり、拓也たちも今日だけは自宅で食べることはやめた。
友人との食事を楽しみたいという思いから決めたということもあるが、何よりもそれで唯の負担を軽減してやれるのならいいかという考えもあってのことだった。
ともかく、いつも通りボリューミーな夕食を平らげる颯哉に呆れたり、またもやドリンクのミックスに挑戦しに行こうとしていた真衣を押しとどめたりと、色々なことがありつつも時間はあっという間に過ぎ去っていく。
気が付けば全員の食事は終わっており、少し食休みを挟んでから支払い済ませて外に出れば辺りはすっかり暗くなっていた。
「食ったなー! もうこれ以上は入らねえわ!」
「…いつも思うけど、その腹のどこに入るんだ。見てるこっちが満腹になるくらいだったぞ」
「はははっ! そのぐらい食べないと体力が持たないんだよ」
大声で笑いながら意味の分からないことを発してくる颯哉の言葉を軽く流しつつ、今は店の駐車場近くで待機しているところだった。
颯哉たちとの帰り道は逆の方向なので、いざ別れるとなればそこでバラバラになる。
もう時間も遅く道も暗いので、こいつも真衣を送ってから家に帰ることにするんだろうな。
俺と唯はほとんど家も同じようなものなので、必然的に帰り道も同じになっているが、自然とそういった行動がとれる颯哉はさすがというものか。
「もうお別れかー……。まだまだ唯ちゃんと遊びたかったのになー……」
「またいつか遊べるよ。よかったら家にも遊びに来て」
「ほんと!? なら今度はホラー映画いっぱい持ってお邪魔するね!」
「そ、それはちょっと……」
向こうは向こうで最後の時を惜しんでいるようで、真衣が唯に頬ずりをしながらしきりに離れたくないと言っている。
だがまだ夏休みも始まったばかりであることを考えれば時間なんていくらでも確保できるし、これが最後なんてこともないだろう。
そう思って唯も自宅に招待しようとしたのだろうが、まさかのホラー映画鑑賞を提案されるとは思っていなかったのか頬が引きつっている。
…拓也はそれも応援することしかできないので、頑張って耐えてもらおう。
「ふぅっ……。そろそろ帰るか。あんま遅いと親に叱られるだろ」
「連絡しておけばうるさく言われることはないと思うぞ。そりゃ伝え忘れたら色々と言われるが」
「颯哉の場合、その言い忘れが激しすぎるんだよ。言ってたとしても肝心のことがすっぽ抜けてたりとかな」
「そんなことしたっけか?」
「前に泊まっていった時のことは忘れてないからな?」
以前のテスト前にこいつが宿泊してきた時、颯哉の両親に泊まりの情報が行き届いていなかったことで苦労させられたことはまだ忘れていない。
あの時は俺の方から電話をかけたから何とか丸く収まったが、それこそ最初から颯哉がしっかりしてくれていればそんなことをせずとも済んだのだから。
「まあまあ、細かいことは気にすんなよ」
「お前が言うな、お前が」
そんなくだらない茶番をこなしつつも重い腰を上げ、離れた場所でくっつき合っていた唯に声をかける。
「おーい、唯! そろそろ帰るぞ!」
「あっ、分かったー! 真衣。そろそろ放してもらってもいい?」
「うぅ……。寂しいけど分かったよ……」
非常に渋々といった様子ではあったが真衣から解放された唯は、こちらにちょこちょこと歩み寄ってくる。
それに続いて真衣もこちらに駆け寄ってくるので、颯哉も自身の腰を持ち上げて立ち上がった。
「颯哉! 帰ろー!」
「おうよ。それじゃまたな、拓也! 今日は楽しかったわ!」
「唯ちゃんもまたね! また一緒に遊ぼ!」
「ばいばい! 楽しみにしてるよ」
「遊ぶのは良いけど、今度はしっかり報告しろよ。まただまし討ちみたいなことはすんなよな」
「そりゃ難しい話だな。だが考えておこう」
「確約しろ。…まあいいか。またな」
それぞれが別れの挨拶を済ませ、お互いの帰路に付く。
先ほどまでやかましかった喧騒はぴたりと鳴りを潜め、嘘のように静かな空気が戻ってくるが、不思議と居心地が悪いとは思わなかった。
そのまま道を歩いていき少しが経ったところで、ふと頭に浮かんだことを唯に話しかけた。
「…今日は楽しかったか?」
「ん? そうだね……。すっごく楽しかったよ!」
「そうか。俺も最初は颯哉と遊ぶもんだとばかり思ってたからな。唯がいて驚いたけど……俺たちがいて、邪魔じゃなかったか?」
拓也が聞いておきたかったことは、これだ。
当初は唯の方も真衣と遊ぶものだと思っていたんだろうし、実際予定ではそのはずだったんだろう。
あいつらの策略によって結果的に四人で合流することになってしまったが、拓也としてはそれでもよかったと思っている。
しかし、もしも唯が真衣との遊びを楽しみにしていたのだとしたら、それは拓也たちが混ざってしまったことで彼女の楽しみを奪ってしまったことになる。
彼女ならそんなことを思うわけがないとは信じているが、やはり一度浮かび上がってきた不安というのはなかなか頭から離れてくれないものだ。
そんな懸念を含んだ声色で問いを投げかけたことが唯の優しい心根に触れたのか、ぶんぶんと頭を振って否定してくる。
「そんなことないよ! 拓也くんたちがいてくれたからあんなに楽しめたんだし、真衣と遊んでても楽しかったとは思うけど、今日みたいなこともそうそうできることでもないしね!」
「…そっか。ならよかった」
「…もしかして、私が拓也くんのことをお邪魔だとか思ってるって考えてたの?」
「少しだけな。唯ならそんなことはないって信じてるけど」
「当たり前だよ! そんな失礼なこと思ったりしないもん!」
少しでもそんなことを思われていたなど心外だと言わんばかりに、拓也に怒りを表してくる唯。
そんな彼女には申し訳ないが、内心で一度湧きあがった感情を隠し通すことはできなかった。
しかし、予想通りというか唯はそんなことは微塵も思っていないと肯定してくれた。
その一言に思わず拓也はふっと笑いが漏れてしまい、それを見た彼女は自分の言葉が信じられていないと思ったようだ。
「あー、笑った! 絶対信じてないでしょ!」
「いやいや! 信じてるって! …ただ何というか、そう言ってもらえて嬉しかったんだよ」
今更唯との信頼関係を疑うことはない。
それでも、どこまでも自分のことを思ってくれている彼女の存在の大きさに、拓也は自分が彼女に何かを返せているのかが分からなくなってきていたのだ。
最初は、単なる友人の付き合いから始まったはずだ。
お互いにあまり接しないようになんて言い合って、そこから思いもよらない形で共に過ごすようになって。
気が付けば、自分は彼女に居場所を提供しているだけなのに、こちらが多くのものをもらいすぎている。
そう思えるくらいには、唯の存在が拓也の中で大きなものになっていたのだ。
「俺の方は色々ともらってるのに、こっちから返せるものなんてたかが知れてるものだけだ。そうならないように努力はするつもりだったけど、結局俺が唯にしてやれることなんて───」
「──だーめ。そんなこと言っちゃだめだよ?」
「……唯?」
半ば自虐のようになってしまった内心を吐露していれば、それを黙って聞いていた唯が拓也の頬を両手で包み込むように触れ、こちらに顔を向けさせる。
覗き込むように向かされた視線の先では、唯が蕩けそうなほどの慈しみをはらんだ表情を浮かべ、困ったように目尻を下げながら呆れるように笑っていた。
「拓也くんは気づいてないんだろうけど、私の方だってたくさんのものをもらってるの。それこそ、返しきれないくらいにね」
「…そんなことないだろ。唯は料理だってしてくれてるし、それこそ家事まで手伝ってくれてる。それに比べて俺なんて、なんにもできない駄目男だぞ?」
「私のできることなんて、それこそ誰でもできることの肩代わりでしかない。でも、私は拓也くんにしかできないことでいっぱいもらってるんだよ。だから、今までやってきたことはその恩返しでしかないの」
唯はそう言うが、拓也からすれば彼女にしてやれたことなんて心当たりがない。
さんざん唯の力に頼り切りになっていた生活では、もう彼女と離れることなんて想像もできないくらいに溺れさせられている。
「ふふふ。今は気づいていなくてもいいよ。とにかく、私もたくさんもらってるんだってこと! 自分だけ何もできてない、なんてことはないんだよ」
「…そう、なのか」
…何もしてやれないと思っていた。
それこそ、いつか唯との関係も断ち切られるもので、心のどこかでこれはなくなってしまうものだと諦めを悟っていたのかもしれない。
けれど、それをどこかで認めたくなくて、この縁を手放したくなくて。
いつの間にか大きくなっていた恩を返そうと、努力を続けた。
そして今、その努力を彼女が受け止めてくれたことで、報われたような気がした。
「うん! だから、してやれることなんてないなんて言わないで? 私にとって拓也くんは、誰よりも頼りになる男の子なんだから!」
「…ありがとな」
満開に咲き誇る花のように、とびっきり魅力的な笑顔を浮かべる唯の顔は、どこまでも可愛らしくて……本当に魅力的で。
高鳴っていく胸の鼓動がうるさいくらいに聞こえてくる。
「唯のおかげで元気も出たよ。助かった」
「あれくらいで元気が出るなら何回でも言ってあげるよ。だからその代わり、私が元気なくなったらお願いね?」
「その時は任せておけ。倒れそうな時は支えるからさ」
「…そんなこと言われたら、元気があってもよりかかっちゃそうだけど」
「いいんじゃないか? 誰かに寄りかかりたい時くらいあるだろ」
「ふーん……なら遠慮なく!」
「いや、今寄りかかるのかよ! …いいけどさ」
こちらに体重を預けてこようとする唯が倒れないように重心を安定させながら、この何でもないような時間に充足感を感じる。
まだ、胸の内で燻るこの感情ははっきりとしない。
けれど、それを離したくないと思ったことは確かだった。
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