第四十八話 堕落の懸念
昼食を買いに並んでから数分。
もともと並んでいた人数もさして多くはなかったので、拓也たちはすぐに食事を購入できた。
そのまま手渡されたメニューを持って友の待っている席へと戻れば、ちょうど談笑している最中だったようで、戻ってきたこちらにも気づいたようだ。
「おう、戻ってきたな! じゃあ俺たちも買いに行くか!」
「そうしよっか! 唯ちゃん、私たちのことは気にせずに先に食べてていいからね?」
「う、うーん……。私としては真衣を待ってていたいんだけど……」
「そんな事してたらご飯も冷めちゃうでしょ? いいから食べてて!」
どうやら唯は律儀に颯哉たちが戻ってくるまで食事を始めずに待とうとしていたようだが、それを先んじて予想していた真衣によって止められる。
実際、彼らが買って戻ってくるまで待つとなるとそれなりに時間がかかるだろうし、その間に料理は冷めていく。
唯もそのことは分かっているのか、たしなめるように説得してくる真衣相手に、渋々ではあるが納得したようだ。
二人は席を離れ昼食を買いに行き、机には拓也と唯二人だけが残された状態となった。
「俺たちは食べちまおうぜ。待ってても仕方ないしな」
「…分かったよ。いただきます」
手を合わせて食事を始める唯を見て、拓也も自分の料理に手をつける。
彼が購入してきたカレーは特別なトッピングが乗せられているわけでもない非常にシンプルなものだ。
個人的には何か追加できる具材でもあれば嬉しかったのだが、さすがにそこまでの注文を求めるつもりもない。
あくまでここの主目的はプールで遊ぶことであって、食事に特別力を入れていることもない。
もちろんそういった面に力を尽くしている場所も他にはあるのだろうが、少なくともここではない話だった。
まぁそれはいい。そう思ってスプーンでカレーをすくい、口に運んでいく。
(ふーむ……。微妙だな。まずいわけじゃないけど、美味いかと聞かれると返答に困りそうな感じだ)
カレーを一口食べた感想としては、特筆するようなこともないということだけだった。
決して美味くないというわけではない。しっかり食べられるし、プールサイドで出すものとしては十分と言えるだろう。
だがやはり、何とも言えないものを感じてしまうことも事実だった。
まぁこういうのはその場の雰囲気も相まって美味しいと感じられるものだし、料理そのものに関するクオリティが若干低めになることはどうしようもないのだろう。
そんな、良く言えば均一的。悪く言うなら刺激がないという表現に収まりそうなカレーを黙々と食していれば、隣で焼きそばを口に含んでいる唯の顔が目に入ってきた。
彼女の食べている焼きそばは青のりやら紅ショウガやら、定番の具材が散りばめられており、一目見れば美味にも見えるが……何か困ったように眉をひそめているので、そちらも完成度に難ありだったのだろう。
「…味にそこまで大きく期待はしてなかったけどさ。実際に食べてみると予想通りって感じだよな」
「こう……なんて言うんだろう。もう少し工夫すれば美味しくできるのに、もったいないなぁって思っちゃうんだよね」
顔をしかめていたので味わいに不満を持っているのかと思えば、まさかの料理をする側の意見だった。
確かに唯の腕前からすればこれよりもはるかに高いクオリティで作ることだって容易だろうし、その手間を怠っていることを惜しいと考えてしまうのだろう。
当然店側とて味だけでなく、回転率や提供速度を考慮しなければいけないということは理解しているのでそこまで不満を口にすることはないが、そういった理性だけでは納得しきれない部分もあるのだ。
「こればっかりはな。そもそも唯の料理とは比べること自体が可哀そうな気だってしてくるよ」
「…そんなに私の料理ってすごいものでもないんだけど」
「そんなことないって。少なくとも俺にとっては最高の料理だしな」
こうやって外食なんかをすると実感してくるが、唯の料理はずば抜けている。
彼女に対する贔屓目が少なからず含まれているのでそう感じているだけかもしれないが、それを抜きにしてもちょっとしたこだわりなんかが散らされたメニューは見事の一言だし、それを食わせてもらっている自分は幸せ者なのだと断言できる。
…前々から思うけど、なぜか唯が作る料理は味付けから何まで俺好みに限りなく近いものになっていることが多い。
別に事前に好みを聞かれてそうなったということでもないので偶然だとは思うが、それはそれで唯と味の好みが合致しているようで嬉しくも思う。
そんな手放しの称賛を送れば、照れたかのように少しうつむいた彼女が礼を言ってくる。
「そ、そっか…! ならこれからも頑張って料理を作らないとね!」
「任せっきりにして申し訳ないけどな。……俺も料理に挑戦してみようかな」
やる気に満ち溢れた彼女の笑顔を見ていると、今までの自分からは考えられないような言葉が口から出てきた。
拓也はこれまでにも数えられる程度に料理をしてみたことはあったが、その度に失敗を重ねてきた。
なので不器用な自分には向いていないのかもしれないと思い断念してきたが……こうして唯が楽しそうに料理をする様を何度も見てくると、自分でもやってみたいと意欲だって湧いてくる気がした。
もちろん最初はそうそう上手くいかないだろうし、苦戦は免れられないだろうが、目の前には唯というこれ以上ない料理上手な少女がいる。
彼女に指導を頼めば人並みくらいにはなれるかもしれないし、そうすれば一人で任せっぱなしになっていた料理の負担を減らしてやれるかもしれない。
そんなことを思ってぽつりと漏らした一言だったのだが……それを聞き逃さなかった唯が、なぜかショックを受けたように表情を驚愕に染めていた。
「え……? 拓也くんが料理をするなら、私はどうなるの……?」
それはまるで、自分の役割を奪われてしまったと言わんばかりに、今にも泣きそうな顔をしている唯。
こちらとしてはそんな意図は一切なく、ただ唯に教授してもらおうかと考えていただけだったのだが……彼女からすれば、そうとは思われなかったらしい。
「もしかして、もう私はいらなくなっちゃったの…?」
「いやいやいや! そんなことはないからな!? ただ俺は少し料理を覚えてみたいなって思っただけで……!」
慌てて唯の言葉を否定するが、今の弱ってしまった彼女にはそれは逆効果。
テンパって自身でも何を言っているのかわからなくなってくるが、少なくとも唯がいらなくなったなんてことはありえない。
それだけはしっかりと言ってやらなければ、唯には伝わらないだろう。
彼女の世話好きが相当に根深いことは知っていたはずなのに……またもや失態を冒してしまった。
まさか役割が取られると思っただけでここまで取り乱すなんて考えもしていなかったので軽率に口にしてしまったが、これも唯にとっての地雷の一つだったのかもしれない。
「そ、それに! 唯に離れられたら俺の方がだめになっていきそうなものなんだから、俺から唯を引き離すようなことはしないって!」
「ほ、ほんとう……? 私が邪魔になってきたとかじゃないの…?」
「…それだけはないよ。信じてくれ」
声を震わせながらこちらを見つめてくる唯に、拓也もしっかりと目を見て返答する。
それではっきりと意思は伝えられたのか、安心したように、納得したようにぎこちない笑みを浮かべてくれた。
「そ、そっか……。ごめんね? 急に取り乱したりして……」
「いや、俺の言い方も悪かったし、気にするようなことじゃないよ。考え無しに言ったりして悪かった」
そう言って眉尻を下げながら謝れば、唯もこっちこそごめんなさいと言って謝罪で返してくれる。
…唯にはああ言ったものの、俺が料理をしたいと発言しただけでこのリアクション。
ふと頭に浮かんできたのは、いつか自分は料理のみならず、あらゆる家事を彼女に任せっきりになるんじゃないかということ。
今は掃除や皿洗いなど、自分でできることはやるようにしているが、洗濯なんかの一部の家事は唯が率先して片付けてくれている。
それは非常にありがたいのだが……なんとなく、このままでは全ての家事を彼女がこなすようになり、自分が何もできなくなるのでは、という懸念も出てきてしまった。
…うん。これからも彼女に任せっぱなしにするのではなく、自分の手の届く範囲は自分でこなせるようにしておこう。
でなければいつか、気づかない間に駄目男にでもされそうな予感しかしなかった。
それは情けなすぎるというか……男として最低すぎるので、ある程度の自立心は忘れないようにしておかなければ。
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