第三十七話 母親来訪


 携帯に示された通知の正体。

 そこに残されているのは、実の母親からのメッセージであり、正直いい予感はしないが無視をするわけにもいかないので開いてみる。


「…はぁー……。また唐突な……」

「うん? どうかしたの?」


 重いため息をこぼした拓也の反応が気にかかったのか、ソファでココアを飲んでいた唯がマグカップを置いてこちらに寄ってくる。

 しかし今の拓也は、それを気にかける余裕もないくらいに憂鬱な気分にならざるを得なかった。


「…今、母さんから連絡があってな……。今度の日曜にこっちに来るって言ってるんだ」

「拓也くんのお母さんから? また急な話だね」

「あぁ……」


 母さんが家に来る。それは別にいい。

 もとよりここの所有者は拓也ではなく、両親だ。

 目的も拓也の生活ぶりとその様子を見に来ようとしているだけだろうし、久しぶりに家族と会えるというのは素直に嬉しいものだ。


 だが、拓也が気分を落としている要因はまた別にあった。


「聞いてるだけならそんな大変なこともなさそうなんだけど……何でそんなに項垂れてるの?」

「自分で言うのもなんだけど、母さんは俺のことを猫かわいがりしてるんだよ……。一人息子だからってこともあるんだろうけど、あのスキンシップを味わうのはきついんだ…」

「あー……なるほどね」


 我が家の母親は、色々な意味で濃い。

 唯に言った通り、俺と執拗に接してこようとしてきたり、果てには抱き着いてこようとしてきたり………。

 例を挙げていればキリがないが、今まで数えきれないくらいに苦労させられてきた。


 昔はそのスキンシップにも疑問を持たなかったので普通に受け入れていたが、高校生となったこの身で、幼い頃のテンションをそのままぶつけられるのはそれなりにくるものがあるのだ。

 もちろん母親も、月日を重ねるごとに我慢を覚えてきたのか頻繁にくっついてくることはなくなったが、それでもゼロになったわけではない。


 抵抗もしようとするが、強引に引きはがして怪我をさせたいわけではないので、結局なし崩し的に受け入れることになってしまうのだ。


「拓也くんのお母さんってどういう人なの? あんまり印象が浮かびづらいんだけど……」

「良く言えば賑やか。包み隠さずに言うなら騒がしいって感じだ。あと、身内には甘いな」


 言うべきところはしっかりと言う母ではあるが、基本的に家族に対しては甘い。

 教育方針を『褒めて伸ばす』にしているからこそ、ああなったのだろうが……それも度が過ぎればいいことばかりではないというのを身をもって教えられてきたからな……。


「なら、その日は私は来ない方が良さそうだね。お邪魔してたら混乱させちゃうだろうし」

「うーん……そうだな。申し訳ないけど、日曜はそうしてもらってもいいか?」


 唯が家に入り浸っていることは家族にも伝えていない。

 そんな中で彼女が母親と鉢合わせたりなんかすれば……考えるだけで面倒くさい事態になること間違いなしだ。


「了解だよ。私のことは気にしなくていいから、家族の時間を楽しんでね」

「…ありがとな」


 彼女を一人にしてしまうことに、心残りがないと言えば嘘になる。

 それでも二人を引き合わせるわけにはいかないし、面相事を避けるためには必要なことだ。

 そう自分に言い聞かせて、無理やり飲み込む。


 日曜に母さんが来るとなれば、諸々の準備もあるし忙しくなる。

 時間はあるが、早めに用意を整えておいて損もないだろう。





     ◆





 ───そして数日が経過し、母さんが来る前日の土曜日。


 昼前でありながら相も変わらず我が家で夏休みの課題に取り組む唯と拓也の姿がそこにあり、熱心に取り組んでいるのか黙々と手を動かしている。

 夏休み中に出される課題は、その休みの長さに比例して物量も多い。

 計画的に進めていけば問題なく終わるものではあるが、それよりは早々に終わらせてしまった方が後のためにもなる。


 そう考えている拓也は、毎年夏休みが始まってから十日ほどで全ての課題を片付ける習慣がついていた。

 そしてそれは唯も同じだったようで、大まかな計画を立て、その日のうちに手を付ける範囲を定めている彼女の課題もみるみる間に減っていく。

 まだ休みが始まってから数日ほどであるというのに、既に二人の学習は全体の三割は終わっている。


 このままのペースを維持できれば、そう遠くないうちに全ての範囲を完了させられるはずだ。

 その後は自分たちのやりたい内容を勉強していればいいし、そこまでいってしまえば気も楽になる。

 よし、事前に定めておいた今日のノルマまであともう一息だ。


 そうして気合いを入れなおし、再びテキストの問題に向き合おうとした時……ピンポーンという軽快な家のチャイムが鳴った。


「俺が出るから、そのままゆっくりやってていいぞ」

「うん、ありがとうね」


 立ち上がって壁にかけられているインターホンへと近づいていく。

 …この時間帯で誰かが訪ねてくることは珍しいが、一体なんだ?

 何か荷物を頼んだ覚えはないし、友人が遊びに来るという予定も入っていない。

 近所の人が用事があって来たのかとも思ったが、この辺りではまともな親交があるのは唯だけだ。それもない。


 となれば思い当たるのは宅配便くらいだが……。

 凡そのあたりを付けてインターホンに備え付けられているモニターを覗き込んでみれば、想像もしていなかった人物が立っていた。


『やっほー! 拓也、開けてもらっていい?』

「……………は? 母さん?」


 玄関前に立っていたのは、見間違えるはずもない実の母親。

 本来、そこにいるはずのない人物がそこに立っている事実に一瞬思考がショートしかけるが……頭を振りかぶって持ち直す。


(待て、何で母さんが今日来てる!? 予定は日曜のはず……。まさか、日程を見間違えた? いや、それはない。はっきりと来るのは日曜と書いてあった。だとしたら……)


 まとまらない思考がぐちゃぐちゃと脳内を駆け巡り、冷静になろうとしてもあふれ出てくる疑問がその邪魔をする。

 そんないつまで経っても戻らない拓也をおかしく思ったのか、机で勉強をしていた唯が後ろから話しかけてくる。


「そんなにぼーっと立っちゃってどうかしたの? 変なことでもあった?」

「…何でかはわからんが、母さんが今来てるんだ。それももう現着済みだ」

「えぇっ!? じゃ、じゃあ私がこの場にいたらまずいんじゃ……」


 唯の言うことはもっとも。

 母さんが今日訪ねてきた理由は分からないが、それでも現状が非常にまずいことは確かだ。

 今ドアを開ければ唯とばったり会ってしまうことは避けられないし、そうなれば面倒くさいことになるのは確実だ。


 …だがどうにかしようとしても、もう玄関前に母親がいる以上、彼女を家に帰してやることも不可能ときた。

 仕方ない。かくなる上は………


「…すまん、唯。ここで少し待っててもらってもいいか?」

「それは良いけど……どうするの?」

「とりあえず俺が母さんと少し話して、友達が遊びに来てるから少し外で待っててもらうように説得してみる。それが上手くいったら、その間に家に戻ってもらってもいいか?」

「…それしかなさそうだね。わかった」


 多少力技であることは否めないが、これしか取れる手段がない。

 とにかく最優先にすべきことは、自宅に唯がいることがばれるのを回避することだ。

 それさえ叶えられるのなら、泥臭い作戦でも手に取るしかないのだ。


「んじゃ、行ってくる。迷惑かけてごめんな」

「ううん。迷惑なんて思ってないから、安心して? 頑張ってね!」


 唯の激励を背に受けながらリビングを抜けて廊下を通り、玄関の扉に手をかける。

 ガチャッという硬質な音が響くと同時に、目前の来訪者は拓也の前に姿を現した。


「うふふ。拓也! 久しぶりねー!」

「……言いたいことは山ほどあるけど、何やってんだよ。母さん……」


 声高に拓也との久方ぶりの再会を喜ぶのは、拓也の母、原城はらき美穂子みほこだった。

 少し濃い目の茶髪が織り交ぜられたセミロングヘアは手入れが行き届いていることを示しており、その美しさを一切損なっていない。

 そして、何より目を引くのはその若々しさだ。


 実年齢からは想像もできないほどにハリのある肌と、衰えを感じさせない健康的な美の艶やかさは、我が母ながら見事の一言だ。

 化粧の必要性を見出せないほどに整っていると言わしめる母さんの美人っぷりは地元でも有名であり、息子としても贔屓目抜きにかなりのレベルだと思っている。


「なーに? お母さんが会いに来たっていうのに嬉しくないって言うの?」

「…会いに来るのは別にいいけど、ちゃんと事前に連絡をしてくれ。大体、何で今日来たんだよ」


 事前に伝えられていた来訪日が明日のはず。そこに違いはないはずだ。

 なのにそれを無視してまで、前日の今日にやってきた理由は何なのか。


 これだけは聞きだしておかなければならないので、ジト目になりながら問いただせば美穂子は素直に話してくれた。


「いやね。最初は予定通り行こうと思ってたんだけど、思ってたより仕事も早く片付いちゃったから、それなら浮いた時間で行っちゃおうかなーって!」

「…それならせめて、早く来ることを報告してくれ。こっちにも準備があるんだ」

「母親を相手に準備とは、一丁前になったものね。家族なんだからそんな気を使う必要もないでしょう。それより、上がってもいい?」


 …これは、母さんの性格を理解していなかった俺のミスだ

 実家にいた頃からそうだったが、母さんはどこかサプライズ好きなところもある。

 からかわれる拓也の反応を見て面白がるというのもそうだが、家族に対して突拍子もないことを仕掛けてくるということがよくあったのだ。


 今回もどうせ、早めに行って黙ったままの方が面白いだろうという考えから実行してきたのだろうが……今日ばかりは非常にまずい。

 部屋の奥にはまだ唯がいるし、今だけは上がらせるわけにはいかない。


 彼女を部屋から出すには二分……可能なら三分は欲しいところだ。

 その時間を稼げるかは拓也次第だが、上手くいくかどうか……。


「あー、上がるのはちょっと待ってくれ。今家に来客がいるんだよ」

「来客? 誰か来てるの?」

「母さんが来るなんて知らなかったから友達が来てるんだよ。いきなり母親が来たなんてことになったら萎縮しちまうだろうし、少し外で待っててもらえないか?」


 これは賭けだ。

 こう言えば曲がりなりにも他者に迷惑をかけることを良しとしない母さんは言うことを聞いてくれる可能性は高いし、上手くいけば部屋から一時的に離すこともできる。

 その隙に唯を家に帰してやればいい。そう思っていた。


 …だが、まだ俺は母さんの行動力を甘く見ていた。


「あら! なら尚更挨拶した方がいいじゃない! 拓也の友達なら大歓迎よ!」

「いや待て!? 何でそうなる!?」


 拓也の返事も聞かず、横を通り抜けてずかずかと家に上がっていく美穂子。

 それを止めようと腕をつかもうとするが……一歩及ばず。


 無慈悲にもリビングへと向かって行く母を追いかけるが、その前にリビングの扉は開けられてしまった。


「………ん?」

「えぇっと……お邪魔してます?」


 想像だにしていなかった相手と顔を合わせたことに首を傾げる美穂子と、気まずそうに挨拶を返す唯。

 引き合わせてはならなかった二人の遭遇に、拓也は頭を抱えながら終わりを悟った。

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