第三十六話 ありがたいお節介
「あぁ、すまん原城。あとで職員室まで来てもらってもいいか?」
「え、あ、はい。分かりました」
夏休み前最後のホームルームが終わり、解放感で満たされたクラスメイトを横目に見ながら帰ろうとしたら、担任の浅井風香から声をかけられた。
呼び出されることは構わないが、こうも唐突に言い渡されると何かやらかしてしまったのかと不安になってしまう。
「なんだお前、どっかやらかしたのか?」
「何もやってないとは思うんだがな……。とにかく行ってくるわ。なんだったら先に帰っててもいいぞ」
「いや、時間もあるし待ってるわ。ここにいるから、終わったら戻ってくるだろ?」
呼ばれた内容も不透明なのでどれだけ時間もかかるか分からない。
なので颯哉に先に帰るように言うが、律儀に待っててくれるという。
それなら尚更、さっさと用事は済ませてきた方がいいだろう。
「なら行ってくるわ。少し待っててくれ」
「はいよ、気を付けて行ってこい!」
教室を出ていった担任の後を追い、職員室へと向かう。
要件も早く済めばいいが……そればかりは俺ではどうにもならないことだ。
「失礼します……えっと…」
「あぁ、来たか! すまんな、急に呼び出したりして」
職員室へと入れば、先ほど拓也を呼びつけた風香は机の上に並べられた紙の束をまとめながらこちらに誘導してくる。
それに従って近づいていけば、整理し終わった紙を置いてこちらに向き直る。
浅井先生は姉御肌とでもいうのか、黒髪をポニーテールにしているところやその容姿からは想像しにくいが、はっきりとした人柄から生徒に頼りにされることも多い。
実際に拓也も授業の質問などで話を聞きに行ったことがあるが、その時にも懇切丁寧に教えてくれたことからそれなりに信頼を置いている大人でもあった。
だが、直接呼ばれることは今回が初めてということもあり、若干緊張してしまう。
「そんな強張らなくてもいい。別に叱ろうとして呼んだわけじゃないからな」
「…そうなんですか?」
てっきりお叱りを受けるものとばかり思っていたので、その言葉は少々意外だった。
拓也が面食らっていると、浅井先生は早々に要件について話してくれた。
「呼んだのはお前のことが気にかかったからだよ。確か原城は一人暮らしだったよな?」
「えぇ、入学から始めたものですけど」
「最近は物騒なことも増えてるからな……一人じゃどうにもならないことだってあるだろうし、親御さんともかなり離れてるんだろう。何かあった時には学校に連絡してくれってことを言いたかったんだ」
「…なるほど。でもそれなら、話すのは教室でも良かったんじゃないですか?」
どうやら伝えたかったこととは、拓也の身を案じていたことだったようだ。
そもそも、クラスや学校でも拓也が一人で暮らしているということを知るものは少ない。
友人ではせいぜいが颯哉と真衣くらいのものであり、唯と出会う前にはそれ以外は絶無と言っても良かった。
その中でも浅井先生には担任ということもあって黙っているわけにもいかないだろうと思い、ある程度の事情は話している。
地元から遠く離れたこの学校を受験し、両親に迷惑をかけるわけにもいかないので一人で暮らすことになっている。
大まかではあるが事情は説明し、学校生活では親の承認が必要な時などは融通を利かせてもらっている。
そういって経緯から、この人は拓也に関してよく気にかけてくれているのだ。
これから夏休みに入ることもあり、学生の一人暮らしともなればトラブルが起こった時に手に余るかもしれないし、それを危惧して事前に話を持ち掛けてくれたのだろう。
だが、それだけならわざわざ職員室でする必要もなかった気がするが……。
「一応原城のプライベートに関わることでもあるからな。そう簡単に広めていいことでもないだろう」
「それもそうでしたね。心遣い感謝します」
「いいんだ。生徒に何かあってからじゃ遅いし、相談に乗るのもあたしらの役割だからな。言いたいことはそんくらいだ。もう帰っても大丈夫だぞ」
これだからこの人は信用できるのだ。
拓也が私生活に関することを無駄に広まってしまうことを嫌っていることを察し、こうして他の生徒に聞かれないように配慮までしてくれている。
さりげないことではあるが、それが何よりも嬉しいものなのだ。
「はい、ありがとうございました!」
「おーう。体調には気を付けて過ごせよー」
頭を下げて職員室を去れば、背中に先生の覇気の抜けた気遣いが飛んでくる。
あれもあの人なりに心配してくれていることは分かっているし、理解はしているのだが……どうにも恰好がつかなさそうだ。
「戻ったぞ。待ったか?」
「いんや、そんなに経ってないし、待ったって言ってもせいぜい数分だ」
「そんならよかった。とりあえず帰ろうぜ」
「へいよ。…ところで、さっき何言われてたんだ?」
教室に戻ってくれば、待ちぼうけるように椅子に座っている颯哉がいたので声をかけながら自分の鞄を取る。
それに反応するように颯哉も立ち上がり、変える姿勢を見せれば先ほどの件について尋ねられた
こいつが気になるのも当然だ。友人が良くわからないことで呼び出されたかと思えば、特に何の変哲もない様子で帰ってきたのだから、不思議の思うのも無理のないことだ。
無理に隠すようなことでもないし、話してしまってもいいか。
「叱られるようなことでもなかったな。ただ俺が一人暮らしでトラブルに巻き込まれた時にはちゃんと相談しろって言われたよ」
「あー……。あの先生らしいな。おせっかいというか生徒思いというか……」
「少なくとも悪いことではないんだからいいって。相談先があることは安心材料にもなるからな」
「お前がいいならいいんだけどさ。それより早く帰ろうぜ。俺たちの夏休みが逃げちまう!」
「逃げねーよ。時間はたっぷりあるんだから、もっと落ち着いて帰れ」
駆けだしていきそうな友人の後を追いながら、拓也も帰宅する。
しばらく通うこともなくなる校舎を見ると少しばかり感慨深いものも感じるが、ほんの一か月ちょっとの期間の休みだ。
また気が付くころには、再び通い始める季節になっていることだろう。
「ただいまー」
「あっ、おかえりなさーい!」
自宅のドアを開ければ、廊下の奥から明るく響く声が帰宅を出迎えてくれる。
スリッパを忙しなく動かしながら玄関先へと駆けてくる姿は、その背丈の小ささから子犬のような雰囲気を連想させてくる。
拓也よりも先に帰っていた唯は、いつものように笑みを浮かべながらこっちの家で待ってくれていたようだ。
「今日は遅かったね。何かあったの?」
「あぁいや、帰ろうとしたら浅井先生に呼び出し食らってな。それで遅くなってた」
「呼び出し……? 悪いことでもしたの?」
「そんなんじゃないよ。ただこれから夏休みだから気を引き締めて過ごせよって言われただけだ」
「なーんだ! 拓也くんが悪戯でもして怒られてるのかと思っちゃった!」
「俺の事そんな悪戯するようなやつと思ってたのか?」
「そ、そんなこと思ってないよ! ただ先生に呼ばれるくらいだから、何かしちゃったのかなって思ったの!」
疑ったと思われたことにご立腹してしまったのか、頬を膨らませて抗議してくるが、その様子さえ微笑ましく思えてしまうのだから美人とは難儀なものだとも思う。
ただ苦笑しながら曖昧な態度を浮かべている俺を見ていた唯が、馬鹿にされたと思ったのかさらに抗議の意を強めてくる。
「むっ…! 信じてないでしょ! こんなに必死に言ってるのにー!」
「ちゃんと信じてるって。だからそんなに叩かないでくれ…」
もはや恒例になってきている腹を軽く叩かれるというこのシチュエーションだが、俺たちの間ではコミュニケーションのようなものと化してきている。
こうなってしまえば唯の気が収まるまで待つしか選択肢はないと分かっているので、諦めてこの仕打ちにも耐えるとしよう。
そこから無事に唯の怒りも収まり、リビングでまったりとしていた頃。
唯がお気に入りのマグカップでココアを飲み、のんびりとテレビを眺めている光景にも見慣れてきたものだが、思わず目を引かれてしまいそうになる愛らしさにだけはいつまで経っても慣れなさそうだ。
そんなどうでもいいことを考えながら拓也も自分だけの時間を過ごしていると、不意に携帯の通知が鳴ったのを聞いて確認しに行く。
唐突だが、拓也が連絡を取っている相手というのは極端に少ない。
意識的に交友関係を狭めているというのもあるが、基本的に身内以外に心を開くことも少ない拓也にとって、連絡手段は最低限確保されていれば十分なものであり、余剰は求めていない。
そんな彼の所有している連絡先は、友人の颯哉と真衣。そして目の前でくつろいでいる唯。
パッと思い当たるのはそのあたりだが、まず唯は同じ家の中にいるのだし、要件があるのなら口で言えば済む話だ。彼女が送ってきたということはない。
なので消去法でありえそうなのは颯哉あたりかと踏んで通知の名前を見てみれば……
「…ん? 母さん?」
そこに表示されているのは、友人ではなく実の家族からのものだった。
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