第二章
第三十五話 夏休み直前
まだまだ日差しの強さを実感させられる真昼間。
集会という名目の退屈な時間からようやく解放された拓也たちは、会場だった体育館から教室へと歩いて戻っていた。
こうして歩いているだけでも体から汗が垂れ流れてくるようであり、毎年のことだが夏本番の暑さというのも嫌になってくる。
しかし、今だけはそれも苦にならないくらいの喜びで満たされている連中がそこかしこにあふれていた。
そんな暑さすら吹き飛ばす喜びの正体は………
「いよっしゃああぁーっ!! 待ちに待った夏休みだぜ!!」
隣を歩く颯哉が歓喜を絞り出した声で叫んでいる。
そう、煩わしかった定期テストも無事に終了し、七月も下旬に入ろうかというこの時期に、学校はようやく夏休みを迎えるのだ。
さっきの集会も夏休み中の身だしなみや注意事項を伝えられるためのもので、くたくたになるまで聞かされたお説教にも感じられた話も終わり、本格的に夏休みへのカウントダウンが秒を切っているのだ。
「…つっても、夏休みっていうほど嬉しくはないんだよな。長期休みもやることなくて暇な時間も多いし、せいぜい出された課題をとっとと片付けるくらいか」
「おいこらそこ! 盛り下げること言うなよ! せっかく授業という名の地獄から、一時的にでも解き放たれるんだからもっと喜び合おうぜ!」
「くっつくな! 暑いんだよ!」
飛びついてきた颯哉を強引に引きはがしながら、これからの予定に逡巡をめぐらせる。
休みが嬉しいという考え方には共感できるが、それも長すぎれば退屈と変わりない。
特に自分にとってはこれといって熱中していることがあるわけでもないし、その傾向は顕著なものだ。
今までも長期休みは家族と過ごすくらいで友人と遊ぶことなんてほとんどなかったし、あってもそんな頻繁に予定を入れていたわけでもない。
結局暇つぶしになるようなこともなく、ただ何となく授業の予習復習をして終わるだけ。
それが拓也の夏休みに対する認識だった。
「今回もそんな感じだろ。それなりに勉強してれば夏休み明けも楽になるし、適当に時間潰して過ごすもんだ」
「かーっ! これだから優等生はいけねぇな!」
「…なんでだよ。学生の本分は勉強なんだから、むしろいいことづくめだろうが」
これで休み中もずっとサボり続けで、休みが明けた途端にそれ以前の授業内容もさっぱり忘れてしまっていた、なんてことになってしまったら目も当てられない。
…大概そのパターンになりそうなやつが目の前にいるが、それは当人の努力次第なので拓也が関わることではない。
ともかく、勉強しておいて損はないし、やったらやるだけ実力もつくのだから手を付けて置いた方がいいのは事実だ。
「別に過ごし方は個人の自由だけどよ、せっかくの休みなんだから、少しくらいどっかで遊びに行ったりしても問題はないだろ。俺だって拓也と遊びたいし、この機会をふいにするわけにはいかん!」
「ん? 機会ってなんのだよ」
「そりゃもちろん、お前とのダブルデートの話さ! お互いの彼女を連れて行こうぜ!」
「ふんっ!!」
「いった!?」
いつものように馬鹿なことを言い始めた颯哉の頭をはたき、物理的に会話を中断させてやる。
こいつ、まだ諦めてなかったのか。その執念深さには感服するが、話題が話題なので呆れの感情の方が圧倒的に勝っている。
「はたくことないだろ!? ただ願望を言っただけなのに!」
「その願望が問題大ありってことに早く気づけ。…ちなみに一応聞いておいてやるが、その彼女っていうのは……」
「当然あの人だろ。それ以外にあると思うか?」
「やっぱりか……」
颯哉と拓也の想像する人物は十中八九同一人物だ。こいつも学校という場でもあるので気を使って名前は出さなかったようだが、別に褒めるようなポイントでもない。
「あのな、俺とあいつはそういう仲でもないし、そうはならねぇよ」
「まーたそんなこと言って。知ってんだぞ? この前ぬいぐるみをプレゼントしたって話は」
「なんでそんなこと知ってんだよ……」
「真衣経由で聞いた」
ついこの間出かけた時に、確かに猫のぬいぐるみを渡したことは事実だ。
しかし当事者である拓也たちしか知りえないそれをなぜ颯哉が知っているのかと思えば、こいつの恋人である真衣から聞きだしたという。
…別に口止めもしていなかったし、彼女が交友関係を広めていっていることは嬉しいことのはずだが、こうも自分たちの情報が拡散されていることを実感すると気恥ずかしさが出てくる。
「他のやつらに吹聴したりはしないから安心しろって。あくまで俺らの中だけで知ってることだからさ」
「…そこに関しては心配はしてないが、また別のもどかしさもあるんだよ」
下手なことは垂れ流されないとは思いたいが、知らない間に彼らにプライベートでの情報が筒抜けになっているのかと思うと少し憂鬱になってくる。
それ以上の被害は出されないとしても、現状だけで手一杯の中でどうしろというのか。
「まぁダブルデートは保留だとしても、どっかに遊びに行ったりはしようぜ。そのくらいの時間はあるだろ?」
「あぁ。というか、そっちの話題を先に出してくれたら無駄にはたかなくても済んだんだがな」
「はははっ! そりゃ無理だ! 一回は言っておかないと気が済まないからな!」
「どんな理論だよ……」
大声で高笑いしている颯哉に頭が痛くなってくるが、遊び自体は歓迎だ。
どこまでいっても気楽なこいつの雰囲気にはこっちもつられてくることが多いし、それを楽しいと思うのも確かだしな。
「俺も部活があるから連日は難しいけど、予定を練れば何日かは問題ないだろうから、あとで送っておくわ」
「了解だ。こっちは特に用事もないし、いつでもいい」
夏休みの予定を話し合っている内に教室にもたどり着き、何やら騒がしいと思って喧騒の中心を見てみれば、先に戻っていた女子が賑やかに話しているようだ。
そこでは学校でも美少女として有名な彼女たちが戯れており、その絡みを羨ましそうに見つめるクラスメイトという構図が出来上がっていた。
「もう夏休みかぁ……。休みは良いけど、唯ちゃんと会えなくなっちゃうのは嫌だよ!!」
「ま、真衣……。そんなに強く抱きしめないで…! それに夏休みでも遊ぼうと思えばいつでも遊べるでしょ?」
「それはそうだけど……こういうのは理屈じゃないんだよ! 寂しいのは変わらないの!」
颯哉の彼女でもある真衣。別クラスのはずのあいつがここにいるのは、おそらく自分のクラスを抜け出しでもしてきたんだろう。
「すっかり溶け込んだよな。前は真衣が話しかけていくのを見て驚くやつらも多かったていうのに」
「そりゃ、あんだけ絡みに行ってたら嫌でも見慣れるだろ。現にあれを邪魔しようとしてるやつはいないしな」
この前の一件から、俺と唯の関係性………彼女が拓也の家に通い詰めているという事実が颯哉たちにばれたことをきっかけに、真衣は学校でも唯に話しかけ始めた。
当然最初は困惑も多かった。
いきなり関わりが薄かったと思われていた別クラスの人間が校内の人気者に接し始めたのだから、懐疑の視線だって出てくる。
しかし、それも真衣が相手となれば話は変わってくるようで、彼女の底抜けの明るさを知っている者からすればいつもの突発的なものだろうと納得いったことも大きかったのか。
次第にあの光景は日常となっていき、今では仲の良い友人同士として認識されており、不思議にも思われなくなった。
…ただ、真衣と話す際の唯が時折見せる素の表情がクラスのみならず他でも知られてきたようで、彼女の人気が上がることはさすがに予想外だったが。
「真衣とだけとはいえ、自然体を出すことも増えてきてるしな。なかなかに良い傾向なんじゃないか?」
「……そうだな」
彼女が学校でも自然な姿を見せてくれることは嬉しい。
それは少しずつでも唯にとって良い変化であるはずだし、俺自身もそれを望んでいたはずだった。
…それでも、俺にだけ見せてくれていたあの表情が、他のやつらにも知れ渡っていくというのは……複雑だと思ってしまうのは、我儘なんだろう。
「お? なんだ、嫉妬でもしてんのか? まぁ気持ちはわかるぜ。自分にだけ向けられてたものが遠くに行っちまうっていうのはもどかしいもんだからな」
「…そんな傲慢なことを言うつもりはねぇよ。俺だけのものなんて言えるはずもないし、そんなことを言い出したら束縛と同じだろ」
「そうやって考えられるのがお前の長所でもあるけどな。少しは欲張りになってもいいんじゃないか?」
欲張り、ね。
ただでさえ唯と共に時間を過ごしていて恵まれた環境を享受しているのに、これ以上のものを高望みでもすれば、怒られそうなもんだ。
「…ま、なんにせよ、あの人が向ける感情はあれが全部ってわけでもないだろ? お前と二人の時にしか見せない顔だってあるはずだし、それに関しては俺だって知らないもんだ」
「……そうなんだけどな」
颯哉の言う通り、彼女が見せてくれる表情はあれだけじゃない。
二人でいる時に出す照れたようにはにかむ姿、怒った時には頬を膨らませて俺の腹を叩いてくる様子なんかは、拓也にしか見せないものだ。
それを見れるのは、間違いなく彼女が心を許してくれているからだ。
「ふぅ……いつまでも沈んでばっかでもいられないな」
「その調子だ! んで話題は戻るけど、今度どこに遊びに行くよ?」
「そうだな……」
談笑に花を咲かせながら、拓也は颯哉と向き合って今後のスケジュールを話し合う。
これから始まる夏休み。いつもとは違うことに不安もあるが、それ以上に期待感が沸き上がってくる。
普段よりも騒がしいクラスの雰囲気も、そうと思えば悪くは思わなかった。
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