第三十四話 ご褒美と未遂
無事に景品も獲得し、それ以上は目ぼしいものも見当たらなかったので、拓也と唯はそのまま帰路に付くことにした。
店内では外の様子が見えなかったので体感しづらかったが、いざ出てみれば少し夕日がのぞいており、それに驚愕したのは記憶に新しい。
遅くならないうちに帰ろうと事前に決めていたので焦ったが、幸いなことに帰宅の電車にもすぐに乗ることができたので、予定より大幅に遅れる、なんてことにはならなくてよかった。
今はようやく帰ってきた拓也の自宅でくつろいでいるところであり、歩き続けだった足を休めている。
「あぁー……。たまに出かけるのも良いけど、自宅が一番落ち着くのは変わらないな…」
「今日はありがとね。私のわがままに付き合ってもらって」
「いいって。テストの点数が高かったら願いを聞くって約束だったんだし、それで楽しんでもらえたんなら俺も満足だ」
トラブルこそあったものの、それも今となってはいい思い出だと言えるくらいには軽いことになっている。
最終的には様々なことがプラスに働いていたし、今回の誘いは受けて正解だった。
ソファでゆっくりとした時間を過ごしていると、唯もその隣に座ってくる。
その腕には数時間前に拓也がゲットしてきたぬいぐるみががっちりと抱えられており、よほど気に入ってくれたのだろう。
目を細めながらぬいぐるみの毛並みを撫でている姿は、唯の小柄な身長も相まって凄まじい癒しを生んでいる気さえしてくる。
「…可愛いもんだな」
「……へっ!? ど、どうしたの急に…!」
「…あぁいや、ぬいぐるみがな!! そう、ぬいぐるみが可愛いなと思ってさ!」
「そっ、そうだよね! ぬいぐるみのことだよね!」
疲労が溜まった体を休めているので気が緩んでいるのか、何とはなしに内心をポロっと漏らしてしまった。
その直後にとんでもないことを言ってしまったと自覚し、すぐさま誤魔化したがおそらく誤魔化しきれていない。
顔を赤くした唯も猫に顔を埋もれさせて赤面を隠そうとしているが、赤くなった耳は隠れていないし、かくいう俺も自身の失言に顔が熱い。
…内心を吐露するのは悪いことではないはずだが、こういうことばかりではまず身が持たない。
できるだけ己の心くらいは律せるようにしておこう。
何とかお互いの間の動揺も収まり、携帯をいじっていた頃。
唯が何かを思いついたかのようにぬいぐるみを拓也とは反対側に座らせ、こっちに向き直ってくる。
「そういえば、ずっと言おうと思ってたんだけど拓也くんのご褒美はどうするの? テストのやつ!」
「俺のご褒美? そんなん考えてもなかったしな、なくても良いだろ」
「ダメだよ! 拓也くんが頑張ってきたのはしっかり見てるんだから、それにはちゃんと労いをあげないと!」
「そう言われてもな……」
自分だけが努力に対する報酬をもらっているということに納得がいかないようで、拓也にもしてほしいことや欲しいものはないかと聞いてくる。
しかし初めからご褒美は唯にだけあげる予定だったのだし、俺はそんなものがあろうがなかろうがどうでもよかった。
切望するほどこだわっているわけでもないので、特に気にしなくても良いと言っているのに、彼女が引き下がる様子はない。
「……どんだけ考えても欲しいものもないし、そんな気を使ってもらわなくてもいいよ。その気持ちだけで十分だ」
「むぅー……。それなら……ほら、これとかはどう?」
そう言って唯はソファの上で正座をするかのような態勢になり、空いた膝をポンポンと叩いている。
…嫌な予感しかしないが、一応それが何かは聞いておこう。
「…唯さん? それは一体何ですか?」
「膝枕だよ! 今日はいっぱい付き合ってもらって疲れてるだろうし、これで休んでもらえたらなって」
「…さいですか」
嫌な予感は当たった。
催促するように差し出された膝は潤いすら目に見えるほどに艶やかであり、そこに横になれば居心地の良さは保証されていると断言できるだろう。
美少女の膝枕。男にとっては夢の一つでもあるシチュエーションだが、気楽に受け入れるわけにはいかない。
「自分を安売りするのはやめとけ。それで俺が歯止めが効かなくなったりしたらどうするんだ」
「変なことはしないって信じてるからね。そうでなかったらこんなこと言ってないよ?」
「だからそれは買いかぶりだって……」
「もー! いいから、早くこっち来る!」
「ちょっ!? そんな急に…っ!」
痺れを切らした唯に腕を引かれ、半ば倒れ込む形で彼女の膝にダイブする。
いきなり飛び込んだことで後頭部に衝撃が来る、そう思って身構えてしまったが、優しくキャッチをしてくれた唯のおかげで緩やかに飛び込んでいた。
「どう? 居心地の方は」
「…いい感じだよ。こんな経験ないから上手く言えないけど、それでも悪くないって思える」
「ふふっ。テストのご褒美なんだから、しっかり堪能していってね?」
すべすべとした肌感を感じ取りながら、上から寝転んだ拓也を覗き込んでくる唯に感想を伝えれば、満足げに笑っている。
膝枕をしているので必然的に彼女も顔も近く感じられるが、それはあまり気にしていないようだ。
そのまましばし無言の時が続き、お互いに何も言わないまま時間だけが経っていくが、しばらくすると拓也の顔……というより、髪を見てうずうずしだした唯が声を出す。
「こうやってると甘やかしたくなっちゃうね……。ねぇ、少し髪を触ってみてもいい?」
「髪? 構わないけど……」
「やった! 拓也くんの髪の毛って触り心地よさそうだから、前から気になってたんだよね」
そう言うと、彼女は寝転がった俺の髪を手ですいたり撫でまわしてくる。
若干くすぐったさもあるが、唯が楽しそうにしているのでそれを指摘するのも野暮だろうと思い我慢する。
しかし、男の髪を触ったところで楽しいものか?
「髪もサラサラだよね……やっぱりお手入れとかしてるの?」
「あんまそこに時間はかけないかな。この髪質も生まれつきだし、適当に乾かしたらそれで終いだ」
「もっとちゃんとやった方がいいよ? 今はそれで良くてもいつか髪も痛んじゃうし、このサラサラがなくなっちゃうのはもったいないよ!」
「頭ではわかってるけど、どうしても面倒くささが勝つからなぁ……。それを言ったら、唯もかなり綺麗な髪してるよな」
唯の手で髪をいじくりまわされているので身動きがとりづらいが、彼女の淡い栗色の長い髪は部屋の照明を反射してキラキラと光沢さえ生んでいる気がする。
肩からしなだれかかるほどに長いその髪は考えるだけで手入れなんて大変だろうし、維持のための手間も尋常なものではないはずだ。
それなのに、普段から寝ぐせ一つ残さず完璧な髪型を保てているのは、彼女の並々ならぬ努力があるからだろう。
「これはねぇ……昔っから伸ばしてるのが癖になっちゃってるだけで、今更切るのももったいないかなって思って切ってないだけなんだよね」
「それを保ててるのが一番すごいって。俺が唯の立場なら絶対に途中で諦めてるよ」
その何気ないことが大したことだと思ってもいないのか、賞賛も素直に受け取ってもらえなかったが、やはり綺麗なものだと思う。
今も見上げて目に入ってくる長髪は一本一本が金糸かのように煌めいており、見惚れてしまいそうだ。
「…あのさ、俺も少し触らせてもらってもいいか?」
「私の髪? 全然いいよ! えっと、これで触りやすいかな……」
拓也の髪をすいていた手を止め、自らの髪を前に持ってきて垂れさがらせてくれる。
それを指と指の隙間でといていけば、ほんの少しも掌に絡まることもなく透き通った滑らかさが肌で伝わってくる。
夢中になってしまいそうな感触を堪能していると、それを眺めていた唯がもう少し触れやすいようにと体勢を前に倒してくる。
「こんな感じで良かったかな。これな、ら……」
「あぁ、けどその姿勢ってきつくない……か…」
彼女が気を使って取ってくれた前傾姿勢。
それ自体はとてもありがたいもののはずだが……いささかこの状況ではまずかった。
唯が体を倒してきたことで、拓也との距離は急激に縮まり、お互いの目と目がばっちりと合う。
…そして、それは触れ合いそうなほどに近づけられた唇も同様。
あと少しでも動いてしまえば、二人の距離はゼロになってしまう。そんな間が数秒続き───直後。
ピィィィィィッ!!っとけたたましい音がキッチンから鳴り響き、両者が我に返る。
「わひゃあっ!? あっ、そういえばお湯沸かしてたんだった!」
キッチンではガスコンロで温められていた熱湯が沸き上がった証拠を知らせている。
慌ててソファから飛び降り、パタパタと駆けていく唯に置いてけぼりにされながら、寝そべったままの拓也は深く息を吐きだした。
「…はぁー……。何考えてんだか……」
目元に手をやりながら、数秒前の光景をその網膜に映し出してしまう。
突然の大音量によって我に返ることはできたが、それが無ければ今頃……俺たちはどうしていたのか。
今も尚焼き付いている、唯の潤んだダークブラウンの瞳から目を離すことができず、とっさに突き放してやることができていなかった。
現在進行形で早まっている心臓の鼓動を落ち着かせながら考えてみれば……果たして俺は、彼女を引きはがしてやることができただろうか。
どこか確信が得られなくなっているその問いに、再び溜め息も出てしまう。
(…重症だな。自分は絆されないなんて思っておきながら、それに即答できなくなるくらいには堕とされてきてる)
常日頃から一緒にいる仲の少女。
その魅力はもう嫌というほど知ってきたし、これ以上はないと思っていた。
だが、先の一件のことを思い返せば、いつの間にやら拓也の心には唯の存在が刻み付けられているらしい。
そう思えるくらいには、あいつの魅力に理性がやられてきているということだ。
(落ち着こう。幸い何かがあったってわけでもないし、無闇に気にしてたら唯だって居心地を悪くするに決まってる)
不幸中の幸いといえるのは、特に明確な事件が起こらなかったこと。
距離が縮まったことで危ない場面ではあったが、それも未遂であったし、気にしすぎていれば尾を引くのは必然だ。
よし。さっきのことは無かったことにしておこう。
そう決めた拓也は、未だに熱い顔の熱を冷ますために飲み物を取りに立つ。
キッチンでは唯が夕食の用意を進めてくれているが、どこかその仕草がぎこちなく感じるのは気のせいではないだろう。
「…すまん、コップ取ってもいいか」
「あ、う、うん。ど、どうぞ!」
会話にもぎくしゃくとした雰囲気が漂っているが、これはどうしようもない。
なるべく気にしないようにとは決めたものの、それでも記憶から完全に消すことなんてできないし、むしろそのインパクトから強く焼き付いてしまっているのだから。
拓也にできることは、せめて唯が一日でも早くあの出来事を忘れられるように、自然体で過ごしてやることくらいだ。
勘違いしてはいけない。この関係性は同じ時間を過ごすためのものであって、それ以外の邪なものを入れ込んでいいわけじゃないんだ。
そう思いなおし、ダイニングテーブルで水を一気にあおる。
冷えた水分は頭も冷却してくれているようにも思え、落ち着いた思考を取り戻してくれたようだ。
───その胸の奥で燻る感情には、強く蓋をしたまま。
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