第二十八話 ナンパと初めての
待ちに待った土曜日。
唯と出かける約束をしていた拓也は、自宅で身支度を整えていた。
服装は紺の七分丈のシャツとスキニージーンズを履いていくと決めているが、問題は髪だった。
現在の拓也は前髪を伸ばしており、それによって目元が少し隠れている。
これは自分の目を隠すため、というより相手と無駄に目を合わせる必要を減らすためにしていることだったのだが、そのせいで地味な印象も増している。
だが今日に限っては唯と出かけるということもあり、こんな覇気のない状態で出向くわけにもいかない。
…あまり好みではないのだが、ワックスを使ってオールバックにしていくとするか。
そうすれば多少目立たないイメージも払拭されるだろう。
洗面所に置いてあったヘアワックスを手に取り、髪のセットを整えていく。
慣れた作業ではないが、前髪を少しいじるくらいならできるし、そう長い時間もかからない。
「…こんなもんか? やっぱ見慣れないな……」
鏡に映った自分は明らかに普段とはかけ離れた見た目であり、違和感が拭いきれない。
両親からは顔立ちは整っている方だと言われてきたが、それ以上に野暮ったい雰囲気が邪魔をしているので、多少顔をいじったところで接しにくい印象が変わるわけではない。
これで唯と同じくらいに並びたてれば楽なものだが、世の中そう上手くはいかないものだ。
しかしへこんでばかりもいられない。やれることはやったし、待ち合わせ場所に遅刻するわけにはいかないので、予定よりも早く家を出たほうがいいだろう。
この前出かけの行く先を調べていた時、待ち合わせはここから一緒に行くかと唯に尋ねたところ、お互いに現地集合にしようという話になった。
どんな意図があってそうしたのかはわからなかったが、決まってからの彼女の満足そうな顔を見ればそんな疑問もどうでもよくなったものだ。
まぁそれは置いておいて。
現地集合にするとなった以上、相手を待たせるのは失礼にあたる。
今から向かえば集合時間の三十分前には到着してしまうが、それくらい余裕を持っていけば安心か。
「もうそろそろ行くか。向こうで適当に時間を潰してればあいつも来るだろ」
荷物を持って家を出れば、気持ちのいい日光が拓也の目に差し込んでくる。
これから始まる唯との外出を祝福するかのような天気に見守られながら、自宅を離れていくのだった。
◆
「まだ来てないか……。まっ、それはそうか」
電車に乗って一駅。
目的地でもあったショッピングモールに着いた拓也は、待ち合わせの目印でもあった大きな噴水の前で唯を探していた。
もしかしたら自分よりも先に来ているかもしれないと思って見渡してみるも、そこには彼女の姿は見えず、こちらが無事に先に来れたようだ。
「あとは待つだけだし、着いたら声もかけてくるだろ」
駅からここまではさほど位置も離れていないので、連絡がくればすぐに気が付ける。
それを見落とさないように携帯に目を落としながら、近くの壁にもたれかかりながら待つことにした。
…変化があったのは、それから十五分後。
携帯で何かニュースでもないかといじりながら唯を待っていた時、自分の目の前に影が近づいてくる気がした。
連絡は届いていなかったので、少しおかしいなと思いながら前を見ると、そこにいたのは唯……ではなく、二人組の見知らぬ女性だった。
肩口の開いた服装や、耳から下げたピアスなどから派手な印象を受けるが、そんな恰好をした人が自分に用でもあるのかと思っていると、矢継ぎ早に声をかけられる。
「あの~、お兄さん一人ですか? もしそうならこれからどこかで遊びませんか?」
「一目見ていいなーと思ったんですよ! 迷惑はかけませんから、どうです?」
「…えぇっと、今ちょっと友人を待ってるところなんですが……」
声をかけられてから気づいたが、おそらくナンパというやつだろう。
しかし拓也としては彼女たちと遊ぶつもりなどさらさらなく、こういったタイプに若干の苦手意識を持っている身としては遠慮願いたいところだ。
なのではっきりと友人を待っていると伝えると、その相手が男友達だと解釈されてしまったのか、一向に引く気配がない。
「それなら大丈夫ですよ! お友達とご一緒でもいいですから、行きましょ!」
「そうそう! 大人数の方が楽しいだろうし、私たちも気にしませんから!」
「いえ、あなた達が気にしなくてもうちのやつが受け入れるかどうかは……」
押しが強いのか、どれだけ理由を付けても俺の意見なんて飲み込む勢いであり、正直手のつけようがない。
このまま強引に巻き込まれるのか……。そう思ったとき、彼女たちの背後から見た目麗しい少女がこちらに近づいてくる。
「……ごめんなさい。拓也くんは今日、私との先約があるので……ご遠慮してもらってもいいですか?」
「…秋篠?」
現れたのは、拓也の待ち合わせ相手である唯。
上品な笑みを浮かべながら……それでいて、どことなく周囲を牽制するような空気を醸し出している彼女の姿は、老若男女問わず目線を奪われるほどに見惚れてしまうような美しさがあった。
「あ……えぇと。ご、ごめんなさいね…?」
「こ、こっちこそ強引に誘ったりして、ごめんね……」
数秒前まで拓也の手を引こうとしていた女性たちは、突然現れた美少女のオーラに圧倒され、萎縮したかのように身を引いていく。
まるで芸術作品かのような現実離れした魅力を持つ唯の空気に当てられたことで、彼女らも本能的に勝てないことを悟ったのだろう。
「ありがとうございます。それじゃあ行こっか!」
「…あ、あぁ」
まだ現実が飲み込めていないかのように呆然としている彼らを置き去りにしながら、唯に腕を引かれて噴水の近くを後にする。
連れていかれる拓也本人も状況が追い切れず混乱しているが、唯によって一命を取り留めたことだけは理解できた。
「…この辺でいっか。色々と聞きたいこともあるけど、まず何であんなことになってたの?」
先までいた場所から少し歩いてくれば、上品な空気を纏った姿からいつもの雰囲気へと戻った唯が説明を求めてきた。
だが、説明と言っても拓也から話せることなんてほとんどない。
「俺に聞かれてもな……普通にお前を待ってたら、なんか声をかけられてたんだよ。何で狙われたのかなんてわからずじまいだ」
「…無自覚って怖いね。ちゃんと鏡見てきてる?」
「鏡くらいチェックしてきたよ。だからこんな不愛想なやつに話しかけることなんてないって思ってたのに、いきなり近寄られるもんだからな」
「はぁ……。あのね、自覚がないかもしれないけど、そうやって髪を上げたら普段の印象なんて吹っ飛んじゃうよ。私も一瞬、誰なのか困惑しちゃったんだから」
「秋篠と出かけるんなら半端な恰好じゃだめだと思ってやってきたもんだが……そんな変わるものか?」
本人にしてみれば、周囲から見た自分なんて想像もできない。
しかしこうもいつもとは違った反応を見ると、それなりに別人に見えているのだろうか。
「変わるよ! …はっきり言うのもちょっと恥ずかしいけど、かっこよくなってるっていうか……」
「そ、そうか……」
頬を赤くしてこの状態を褒めてくれるのは嬉しいが、それと同じくらいに照れくささが勝ってしまう。
この話題を続けていれば薮蛇をつつくことになりかねないので、こちらもあの時のことに関して聞いておきたかったことを聞く。
「…それは良いとして、さっきのは何だったんだよ」
「…? さっきのって?」
「だから……! …俺の事、名前で呼んでたろ?」
「………あ」
見知らぬ他人に囲まれるという状況にくらまされて気が付くのに遅くなってしまったが、こちらに近づいてくる時に彼女は拓也を名前で呼んでいた。
普段は苗字で呼ばれているので、唐突な出来事に聞かざるを得なかったのだ。
「そ、それは…! あの時は他の人たちに囲まれてるのを見て必死だったというか、振りほどくには親しいところを見せたほうが良かったし、そのためには名前で呼んだ方がよかったというか……!」
焦っているのか目を回して弁明をしてくる様子に口角が上がりそうになってしまうが、実際のところ嬉しくもあったのだ。
名字で呼ばれることは他人行儀なようにも感じられたし、それがなくなったことは両者の間の距離が縮まったようにも思えたからだ。
「…私たちだって、仲は良いと思ってるし、名前で呼んでてもおかしくはない…よね?」
「そうだな。………唯」
「っ! うん!」
慣れない呼び方に若干上擦ってしまったかもしれないが、それでも初めてお互いを名前で呼び合ったことに唯は歓喜する。
かくいう俺の方は、女子の名前呼びというとてつもなく高いハードルを乗り越えて、顔が熱いが……それも彼女の嬉しそうな顔を見ることができたなら、無駄ではなかったのだろう。
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