第二十六話 贅沢の味


 再び唯と過ごす放課後の時間を懐かしく感じながらも、今日も彼らは勉強に興ずる。

 試験までの時間は刻刻と迫っており、日頃からの復習を欠かしていない身としては問題ないと思いたいが、念には念を入れた方がいい。


 今も問題集と向き合いながら自分の中の課題とにらみ合っているが……ふとわずかな視線を感じた。

 気になったので顔を上げて確認してみれば、唯が拓也の方をちらちらと見ていたようだ。


「…気になるところでもあったか? 寝ぐせでもついてるか?」

「え、えーと……そうじゃなくて……。昨日は何をやってたのかなぁって思ったら気になっちゃって……」

「昨日? 颯哉との泊まりのことか?」

「そう! それそれ!」


 聞きたいことがあるが聞くに聞けないという雰囲気をにじみだしていたので、こちらから話を振ってやればその予想は間違っていなかった。

 先日は彼女には友人が泊まりに来るとだけ言ってあったが、逆に言えばそれだけしか伝えていなかったので気になるのだろう。

 わざわざ隠すほど大した内容があるわけでもないし、話してしまってもいいか。




「…とまぁそんな感じだ。面白くもないだろ?」

「ううん。すっごく面白かったよ!」


 一連の流れを話していけば、楽しそうに微笑みながら聞いていた唯が瞳を輝かせていた。

 説明していた張本人からすればどこに面白いと思ったのか想像もつかないが、どこかで琴線に触れるものがあったのだろう。


「友達とお泊まりかぁ……。ちょっと憧れちゃうね!」

「いざやるってなると大変だけどな。俺も流れで決まったってだけで、ろくな準備もしてこなかったし……最終的に颯哉も、真衣に連れていかれたし…」

「真衣さんって……二組の小倉さんのこと? あの人って舞阪君と付き合ってたの?」

「あぁそうだけど……真衣のこと、知ってたのか?」


 思いがけないところで真衣の名前が挙がったことに驚くが、どうやら唯は真衣のことを知っていたらしい。

 どういった経緯で知ったのかも気になるが、他クラスの面々のことまで把握しているとは意外だった。


「うん。直接話したことはないけど、別のクラスにすごい可愛い子がいるって聞いたことがあるんだ。すごい活発だっていうのも耳にしたけど……」

「そういうわけか。あいつなら噂になっててもおかしくはないしな」


 真衣は唯ほどではないが十分に顔立ちも整っており、美少女のくくりにも余裕で入ってくるだろう。

 近くに学校一の美少女がいるため話題にはなりにくいが、それでも同学年でも知らぬものはいないくらいには知名度がある。


 …その知名度の大半は颯哉とのいちゃつきっぷりを見たやつらから発生したものと、彼女自身の活発さから生まれたものだが、そこは気にすまい。

 拓也たちのクラスは一組なので関わりは薄いが、噂程度でも唯が周知しているのなら話は早い。


「その真衣がな、今日は自分の家で勉強するからって譲らなくてさ……。連れ去られていく颯哉を見て、心の中で合掌はしておいたよ」

「…それ、大丈夫なの? とんでもない喧嘩になっちゃうんじゃ……」

「それはないよ。どんだけ険悪に見えても、最後にはくっつき合ってるのがあいつらだからな。今頃家で遊び合ってるだろ」

「そ、そうなんだ……」


 絶対勉強にはならないが、という言葉を口にはせずに飲み込む。

 彼らが二人でいれば勉強なんて手にもつかないことは分かり切っているし、それで点数が落ちることは明白のはずだ。

 颯哉もそれを理解しているからこそ、昨日は拓也の家に来たはずなのに……真衣の前では途端に弱くなるんだよな。


 いつものような快活さを彼女の前でも発揮してもらいたいものだが、それも叶わぬことか。

 これが惚れた弱みってやつなんだろうな。


「俺の方も昨日は教えっぱなしで自分の方はあまり進まなかったし、今日の内にその分は取り戻しておかないと」

「大変だったんだね……。…そういえば、昨日は夜ご飯どうしてたの?」

「昨日はコンビニで適当に弁当を買って………あっ」


 先日の食事事情を素直に白状すれば、それが失敗だったことを瞬時に悟った。

 コンビニ飯で済ませたと言った瞬間に目の前の唯は目をスッと細め、その口元は笑みを深めている。

 見ているだけでも可憐な表情のはずなのに………背中に冷や汗をかくのは何故なのか。


「へぇ……。ねぇ、原城君」

「………はい」

「普段からバランスよく食べてねって言ったのに、なんでまたご飯を雑にしちゃったのかな?」

「…すみません」


 自分よりもはるかに小さいはずの少女に対して、頭が上がらない。

 圧倒的な圧力を放つ唯に反論なんてすればどうなるかは一目瞭然であるため、無駄な抵抗をしてはいけないと本能が訴えかけてくるようだ。


「もちろん何を食べるかなんて原城君の自由だし、そこは私も口出しはしたくないけど……せめて野菜くらいはちゃんと食べなさい! 体を壊したらどうするの!」

「肝に銘じておきます……」


 母親を思わせるような説教に身が縮こまる思いだが、彼女も拓也のことを案じているからこそ言ってくれていることなので、甘んじて受け入れよう。

 唯が拓也の行動を束縛しようとしているのならともかく、それを考えたうえで心配してくれているのだから、こちらとしてもただ突っぱねるわけにはいかない。


「ほかにも色々言いたいことはあるけど……とにかく気を付けてよ? また病気にでもなったりしちゃったら私が何とかするけど、そうならないようにするのが大切なんだから!」

「…また面倒を見てくれる前提なんだな」


 唯の口ぶりでは、再度拓也が風邪でも引いた暁には看病を買って出ると言っているようにも聞こえた。

 そしてそれは、彼女にとっては既に当然のことらしい。


「そんなの当然だよ。もう原城君は他人じゃないんだから」


 あっさりとした様子で正面からぶつけられた意思に、胸が熱くなるのを感じる。

 他人に留まらない関係になったということには同意するが、こうもはっきりと告げられると動揺を隠しきれない。


「…そうか。けど今後はよっぽどの機会がない限り、コンビニで食べることもないと思うけどな」

「え、どうして? バランスが取れてるなら怒ったりはしないし、私を気にしなくてもいいんだよ?」


 拓也のコンビニを利用しないという言葉で気を使われていると思ったのか、唯が遠慮などしなくても良いよと言うが、そこは関係ない。

 彼が以前は愛用していた場に行かなくなると言ったのは、もっと別の理由がある。


「コンビニの弁当を食べて思ったんだけど………少し味気なく思ったんだよな。前はあんなに食べ慣れてたのに、急に物足りなくなっちまってさ」

「…ふぅん。それで?」

「いや、そんなでかいことじゃないんだが、多分秋篠の料理に慣れちまったからそれ以外じゃ満足できなくなってきてるんだよ」


 人が一度贅沢を覚えてしまえばそれが忘れられなくなるように、拓也もまた唯の手料理という贅沢品を摂取してしまったことで、半端なものでは満足感が満たされなくなってしまった。

 最初のインパクトが強かったこともあって、完全に胃袋はつかまれてしまったようだ。


「…んふふ。それなら原城君は、もう私以外の料理が食べられなくなってきてるんだ?」

「まことに勝手ながら、そういうことだな。こんな男の腹をつかませて申し訳なくなってくるが」

「そんな悪い気はしないけどね。自分の料理を相手が認めてくれたっていうことでもあるし、仲の良い人が私から逃げられなくなってるって思えばいいことづくめだよ」

「だらしない男を逃げられなくしたところで、良いことなんて無さそうだが……」


 家事もできない。料理すらまともにこなせない。

 そんなみっともない男子の逃げ場をなくしても、彼女にメリットがあるとは思えない。

 どうせ腹をモノにするというのなら、将来の旦那相手にしてやればよかったのではと思ってしまうが、もはや拓也にはどうしようもないことだ。


 せいぜいが顔も知らない唯の運命の相手に対して、胸の内で謝罪をしておくくらいのことだ。


「さて、いい時間だし夜ご飯の準備でもしよっかな。原城君のお腹を満足させてあげないといけないしね!」

「…もう十分反省したから、いじるのは勘弁してくれ」

「うっふふ。ならこれ以上はやめてあげる!」


 妙にご機嫌になってキッチンに入っていく唯にからかわれながら、いじられたことで熱くなった自分の顔を自覚する。

 予想だにしていなかったところで弱みを握られてしまっていたものだが、それも今更な話というものだ。

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