第二十五話 カップルの痴話喧嘩
颯哉が勉強を教わるために我が家に来てから一日。
夜も明けて日が差し込んできたタイミングで拓也はベッドの中から目を覚ました。
「ふあぁ……。…そういや、颯哉も泊まってたんだっけか」
自分のベッドの横で床に来客用の布団を敷きながら寝ている友人の姿を見て、昨日の出来事をおぼろげに思い出していく。
昨日は夕食を食べた後、そのままテスト勉強を続行していたが、十時ごろになってきたあたりで疲労も限界に達してきたため寝ることになった。
我が家には来客が来た時のため……と言っても、今までは両親が来た時のためにしか使われていなかったが予備の布団がある。
それをクローゼットの奥底から引っ張り出して拓也の寝室にセットし、颯哉はそこに寝かせることにした。
風呂にも入り、寝るための用意を整えた俺たちは限界を迎えた眠気に抗えず爆睡し、今の状況に至るというわけだ。
「ほら颯哉、起きろ。あんま寝てっと遅刻すんぞ」
「ん……もう朝か…」
拓也が一言声を掛ければそれで意識は覚醒したようで、颯哉もむくりと起き上がった。
まだ寝ぼけているのか目も半開きだが、時間が経てばじきにはっきりとするだろう。
「俺も着替えてくっから、お前も準備済ませておけよ」
「おうよ……」
覇気のない返事に不安になるが、のんびりもしていられない。
支度には時間もそこまでかからないが、あまり遅くしていると授業の開始時刻にも間に合わなくなってしまう。
制服に着替えるために別室へと向かい、白いシャツに袖を通したらズボンを履く。
学校指定のネクタイは面倒なので後で巻くとして、ある程度着替えが終わって寝室に戻ってみれば颯哉もちょうど着替えが終わったようで、眠そうにあくびをしながら頭を掻いている。
「起きたか。朝飯はどうする? 要望もなけりゃ適当にパンでも焼くが」
「あー、パンで大丈夫だ。ありがとな」
朝食の希望があればそれに準じたものを出してやろうかと思っていたが、特にないようで安心だ。
拓也の提供できるものはせいぜいが出来合いかインスタントのもの。それ以外の手順が加わってくると途端に生来の不器用が足を引っ張るためまともなものにはならない。
そういうことならばなるべく早めに用意しておこう。
さして時間を取られるわけではないしな。
「ごちそーさん! …さて、それじゃあ俺はそろそろ行くわ。世話んなったな!」
「もう出るのか? 随分早いな」
リビングに入ってきた颯哉にトーストを出し、二人でニュースを眺めながら食べていると、先に食べ終わった颯哉が席を立って帰る支度を進めていた。
拓也よりも早い時間帯で出ることはなんとなくわかっていたが、こんなにも唐突に言い渡されるとは思っておらず若干面食らってしまった。
「このバッグ持ちながらだと学校にも行けないしな。一回家に戻って取り換えてこようと思ってさ」
「…なるほどな。それで早く出るってわけか」
「そういうこった。時間を考えたらちょうどいいし、こんくらいでお暇させてもらうわ」
颯哉が持ってきたボストンバッグはそれなりの大きさがあり、学校に持っていく分には不便が大きいだろうことは容易に想像できる。
普段使いのバッグは家に置いてきたようで今日必要な教科書類はそちらに入っているということなので、一度戻る理由も分かった。
拓也としても別に引き留める理由もないので、玄関まで行って見送ってやる。
「ほんとにサンキューな! これでテストも何とかなりそうだわ!」
「そんな気楽に解決できるなら苦労なんてしなさそうだがな……。どちらにせよ一人でも勉強は続けろよ」
「そんくらいわかってるって。そんじゃな!」
「おーう、また学校でな」
玄関を出ていった友人が階段を駆け下りていくのを扉越しに聞きながら、拓也も登校の用意を進めていった。
◆
「まだちょっと眠いけど……これくらいなら許容範囲内か」
わずかに残っている眠気に意識を持っていかれそうになりながらも、拓也は学校の昇降口まで来ていた。
そして靴から上靴へと履き替え、教室に向けて足を動かそうとした時、背中に強い衝撃を感じた。
「おーっす! さっきぶりだな、拓也!」
「いってぇ!? ってお前かよ……」
いきなり叩かれたので何事かと思ってパッと振り返ってみれば、そこには先ほどまで自宅に滞在していた颯哉がいた。
別れてからさほど経過していないので感慨もわかないが、自分の背中を叩いてきたことには腹が立つ。
「いちいち叩くなよ……。普通に声を掛けろ、普通に」
「わりぃな。無性に叩きたくなる背中してるもんだからさ」
「どんな背中だ」
軽口を叩き合いながら階段を上り、教室へと歩みを進めていくと、やはり昨日の出来事に関する話題で盛り上がる。
話題の熱が冷めやらぬことも相まって、颯哉との会話にも熱が入る。
「でもやっぱ一晩教えてもらうと違うよな! かなり範囲の内容も分かってきたし、これで試験は乗り越えられそうだ!」
「そうやって油断してると足元すくわれそうなもんだがな。役に立てたんなら俺も力を入れた甲斐があったよ」
「しっかしこれも真衣にばれたら何言われるかわかったもんじゃねぇし、最初に決めたようにばれないようにしてくれな」
「へー。その話、私ももっと聞かせてほしいなー」
「だから、これはできる限りばれないように………ん?」
拓也でもなく、颯哉でもない誰かの声。
心なしか聞き覚えがあり、気のせいか威圧感すら伴って耳に入ってきた言葉を放ってきた者の方向を向けば………ニコニコとした満面の笑みを浮かべた真衣が立っていた。
一見上機嫌に見える笑み。しかしその背後にはブリザードを彷彿とさせる吹雪が荒れており、嫌な予感しかしない。
「ま、真衣? 今のはそのー……」
「大丈夫だよ、颯哉。ちゃんと全部わかってるから」
仏を連想させるような温和な空気。
まとった雰囲気は真逆もいいところだが、そのギャップが恐ろしいほどに冷ややかな視線を際立たせ、なおさらに恐怖心を煽ってくる。
「あはは、だから……向こうでお話しよっか?」
「へ? ちょ、待って!?」
首根っこをつかまれてずるずると引きずられていく颯哉。どこに連行されるのかは不明だが、その結末はろくなものではないことは明白。
颯哉は最後の希望だと何もされていない拓也に助けを求める。
「た、拓也! お前からも何か言ってやってくれ!」
「…あー、その、なんだ。先生には言っておくから、存分にいちゃついてこい」
「ありがとね、拓也! …じゃ、行こうか。颯哉」
「いやそういうことじゃねえええぇぇぇ!?」
悲痛な叫びを廊下中に響き渡らせながらあてもない場所へと行く一組のカップルを見ながら、拓也は朝一番から言いようのない疲労を感じてしまう。
特に心配はしていない。
真衣の行動の意図も、なぜ試験勉強で自分よりも拓也を頼ったのかという嫉妬からくるものだろうし、惨事にはならないはず。……ならないよな?
ま、もしもの時には骨くらい拾ってやろう。
不毛すぎる覚悟を決めれば、しずしずと自分の教室へと入っていく。
自分の机につき、一息ついたところでどこからともなく叫び声のようなものが聞こえてきた気がするが、俺は何も知らん。知らないといったら知らないのだ。
その後、妙に機嫌を回復させた真衣と一緒に帰ってきた颯哉に話を聞いてみた。
すると、昨日真衣は幾度か颯哉に電話をかけていたのだが、拓也と過ごしている最中であったため気が付けず、そのことを不審に思った彼女が颯哉宅に電話をかけて泊まりがばれたらしい。
…完全なる自業自得だ。身から出た錆でしかない。
拓也と離れた後に何が行われていたのかは聞いていないが、真っ白になった颯哉の姿を見てなんとなく察した俺は静かにその場を後にした。
カップルの事情に他人が口を挟むものではないのだ。
◆
一日の授業も終わって帰宅し、自宅の玄関前で鍵を開けながら今日の悲さ………ゴホン、賑やかな出来事を思い返す。
放課後になってから颯哉の行く末がどうなったのかというと、一体全体どんな経緯を経ればそうなるのか理解に困るが、真衣の家で勉強をしていくことになったらしい。
さすがに宿泊まではしていかないそうだが、それもあの朝の強烈なオーラを目の当たりにしてしまえば無意味な抵抗だ。
はたして明日、彼と出会えるのかは微妙なところだが、せめて冥福は祈っておこう。
「ただいまーっと…」
「あ! おかえりなさい!」
慣れ親しんだ自宅に入っていけば、そのまた奥からここ最近でさらに慣れてきてしまった少女の声が聞こえてきた。
拓也よりも先に帰ってきていたらしい唯は、シャツにロングスカートというコーデをパタパタと揺らしながら出迎えてくれた。
たった一日だけだったというのに、こうして顔を合わせて会話をするのがひどく久しぶりに思えてきてしまう。
「早かったな。部屋で何してたんだ?」
「買い物して帰ったら少し時間もあったから、アイロンかけてたんだ! リビングに置いてあるからあとでタンスにしまっておいてね?」
「助かる。しっかり片付けておくよ」
何でもないかのように家事をしてくれている唯に感謝を伝え、着替えるために部屋に戻る。
このありふれた日常が戻ってきたことに安心感を感じている自分をおかしく思いながらも、拓也は部屋着に手をかけるのだった。
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