第二十四話 食事の違和感


 颯哉の試験対策を手伝うための用意も整い、いざ始めようとなった時に拓也はあるところに電話をかけていた。


「…はい、はい。いえ、大丈夫ですよ。こっちも楽しく過ごせますから」


 普段とは打って変わって口調を目上の相手に合わせて話しているのは、現在真っただ中で我が家へと襲来してきた男、颯哉の母親だ。

 颯哉は泊まることは伝えてきたと言っていたが、あまりにも情報共有が不十分だろうと思いこちらからかけてみれば、やはりというか向こうは詳しい状況が分かっていなかったらしい。


 細かい経緯を順を追って説明すれば、徐々にその内容も飲み込めてきたようで迷惑をかけてしまうと謝られてしまった。

 拓也からしてみればいつもの唐突な思いつきから出てきた行動だと分かり切っているので大して謝られるようなこととも思っていなかったが、身内のことともなれば話は変わってくる。


 拓也も颯哉の両親には何度か会っており、その時に気さくな人たちだということは既に理解しているので気心も知れている。

 なので「そんなに気にしないでください。迷惑なんて思ってませんから」と伝えれば、非常に申し訳なさそうな感情をにじませながら「うちのダメ息子をお願いします…!」と言われてしまった。


 …家族にまでダメ息子と言われるなんて、颯哉は過去に一体何をしでかしてきたんだか。

 ともあれこれで気にかけることもなくなった。

 帰宅した際に颯哉がどんな目に遭うのかは知らんが、それはもう拓也の関わる範疇ではないので自分でどうにかしてもらおう。


「電話してきたぞ。とりあえず泊まっても問題ないとさ」

「さんきゅ。うちの親も心配性だよなぁ。もう高校生なんだしそこまで気にかけることもないっての」

「んなこと言うな。それだけちゃんと面倒を見てくれてるってことなんだから、ありがたく思っておけ。てかその負債を受けるのは主に俺だからな?」

「拓也相手なら問題無し! むしろ迷惑かけまくってもいいくらいだ!」

「おいこら」


 親の許可も得られて調子に乗り始めた颯哉をたしなめながら椅子に座る。

 時間は確保されているが無駄にしていい理由にはならないので、とっとと始めてしまった方がいい。


「ともかく始めるぞ。こちとら今日一日でお前の苦手を克復させなくちゃいけないんだからな」

「頼りにしてます!」

「調子乗りやがって……。で? どこが分からないんだ?」

「あぁ、この辺りからなんだが……」



 それからはしばらくの間、二人はノートに問題を書き込みながら、颯哉に理解しきれない点があれば拓也が手助けに入っていった。

 集中して過ごす時間はあっという間であり、気づけば夕食時まで行っていたことに腹が鳴って初めて意識した。


「もうこんな時間か……。夜飯どうするよ」

「俺も拓也も料理は微妙だしな。適当にコンビニでも行って買うか?」

「それしかなさそうだな。たまにはこんな日があってもいいだろ」


 土日も含めて夜は唯の手料理を食べている拓也の栄養バランスはとても考えられたものであり、かつては想像もできなかったが夜にコンビニで食事を済ませることに罪悪感すら感じていた。

 俺も変わったもんだな……なんて感慨にふけっていると、空腹を認識した途端に勉強への意識が途切れた颯哉が席を立ちあがり、催促をしてくる。


「そうと決まれば、早く行こうぜ! 良い具合に腹も減ってきたしな!」

「そうすっか……ってちょっと待て! まだろくな準備もしてないんだぞ!」


 勢いのままに外に出ていこうとする颯哉を無理やり引き留めて、拓也も財布や携帯などの最低限の荷物を部屋から持ち出し玄関へと向かう。

 走ってでも行かれたらいよいよ追いつけなくなるので、それだけはしないようにと釘を刺しておくが、へらへらと笑っているところを見るに大して聞いていないだろう。


「お待たせ。夕飯っつってもそこまでガッツリは食わないし、俺は軽く買えればいいか」

「そんなんでいいのか? 男子高校生が食うんだからもっと量食った方がいいぜ?」

「運動部の食事量を基準にすんな。もともと小食だからこれでいいんだよ」


 拓也は食が細めであり、女子と比較してしまえばさすがにそれよりは食べられるが、それでもガッツリというものでもない。

 対して颯哉は運動部の食欲というものをしっかりと体現しており、一度の食事でもかなりの量を食べる。

 その食べっぷりはやせ型の拓也としては見習った方が良いのかもしれないが、あれだけのものを腹に収めれば逆に体調を悪くするかもしれないので、個々に向いた量というのが一番だ。


 お互いにそれぞれの靴を履いて扉を開け、少し薄暗くなり始めている外へと出ていく。

 颯哉が家を出たことを確認したら鍵を閉め、戸締りも忘れない。

 何かと物騒な世の中だし、ほんの少しの外出だとしても油断すればその隙を狙ってくる輩がいないとも言い切れないので、こういったところはきちんとしなければならない。


「鍵はオッケーと。電気も消してきたし……忘れたこともないだろ」


 事前に一通りチェックは済ませたはずだが、玄関前で一度立ち止まって忘れたことが無いか念のために振り返る。

 部屋の照明は全て消してきたし、窓の鍵も同様。ガスの元栓も締めてきたし、これよりほかには何もないか。


「待たせたな。そんじゃコンビニに行こうぜ」

「お、もう終わったか。用意は済んだのか?」

「鍵も閉めたし防犯も大丈夫だと思うぞ。これで空き巣にでも入られたらさすがにお手上げだ」


 拓也と同じように玄関前にて待機していた颯哉に出発の準備が整ったことを告げて出かける。

 近所にはコンビニも五分圏内にあるので、忘れ物をしていたとしてもすぐに戻ってこれる。


「しっかし何食べるよ? やっぱ肉か!」

「肉もいいけど魚とかが食べたい気分だ。あとはさっぱりしたもんだな」

「爺臭いこと言いやがって……」


 夏本番が近づいてきた影響か、夜になっても外は蒸し暑さが残った不快な空気に満ちている。

 日も落ちた今ならば過ごしやすいかと高をくくっていたのだが、現実はそう甘くはないらしい。


 エレベーターで一階へと降りていき、エントランスを通れば見慣れた外の景色が広がっている。

 まだ暑さは消えていないが、昼間の猛暑と比べてしまえば差は歴然。その事実は理解しているので、早く買い物を終わらせて家に戻ってこよう。


「この近くだとコンビニってどこにあるんだ? 案内は任せるわ」

「近辺だと……こっちの方向だな。歩いて五分くらいだしそう時間はかからな……っ! …いや、やっぱこっちから行こう」


 正面から右の方向に進んでいけばコンビニにはすぐに着く。

 そのことはとっくにわかっているので、拓也も道順に沿って向かおうとした時、向こう側から見覚えのある影が見えた。


 距離があるためとっさには誰なのか判断できなかったが、少し目を凝らして見てみれば……背丈の小ささから、唯であることが分かった。

 このタイミングでばったりと遭遇するなど夢にも思っていなかった拓也は焦ったが、冷静さを保つように努めると、左の道に行くように言う。


 その様子に颯哉は違和感を覚えたようだが、特に追及されることもなく従ってくれた。


「こっちか。勉強続きで体も少し固まっちまってるし、そこまで走っていかないか? 良い運動になるだろ!」

「馬鹿。そんなの俺が置き去りにされるだけだろうが。大人しく歩いていくぞ」


 ここで気楽に颯哉の提案に乗るわけにはいかない。

 運動部員の体力を舐めてかかれば惨敗することは目に見えているし、前提として一度はぐれてしまえば合流するのにも手間がかかる。

 隣で「えー」と不満を垂らしているこいつは無視し、ゆっくりと向かって行った方が賢明なことは明白だ。


「ここで無駄話してても意味ないし、飯買って早く帰るぞ」

「へーい。黙って従いますよ」


 どの口が、と若干思わなくもないが意見はまとまった。

 唯のいる方角を避けて通ることになるので遠回りにはなってしまうがそれも誤差の範囲内。

 颯哉を引き連れて歩く道中は騒がしさもあるものの、賑やかさを増した雰囲気も悪くはなかった。




「たでーまーっと。あんま種類は置いてなかったな」

「コンビニの広さならそんなもんだろ。良さそうなものは買えてるし十分だ」

「そうなんだけどさ……。もうちょいバリエーションがあってもいいだろとも思うんだよ」

「気持ちはわかるけどな……」


 颯哉はコンビニの品ぞろえに納得がいかなかったようで文句を漏らしているが、しっかりと目当てのものを買っているあたり本気で思っているわけではないのだろう。

 あくまでコンビニは気軽に通えることを売りにしているのだし、そこから商品の充実にまでは手が伸ばせないと考えれば納得はできるが、そんな思考ができるやつの方が稀なことは重々承知している。


 ともかく腹も減っているし、時間帯も夕飯時だ。

 夜の勉強分の栄養をチャージしておかなければ後の身が持たない。


 拓也と颯哉はリビングのダイニングテーブルにそれぞれが買ってきたものを並べていき、ようやく夕食にありついた。

 拓也は適当に弁当を購入し、こだわりもなかったので焼き鮭をメインのおかずとしていたものを手に取って買ってきた。

 コンビニに向かう前にも魚が食いたいと言っていたので妥当な選択だっただろう。


 颯哉は弁当を購入してきたというところまでは拓也と同じだが、そこにおにぎりを二つと更にサラダチキンまでプラスされている。

 どれだけ食えば満足するのかと問い詰めたいが、聞けばこれが普段から食べている通常の量らしい。

 …あれでも大食いの範疇になっていないというのだから戦慄する。

 それと同時に、颯哉とはバイキング形式のレストランには行かないことを心に誓った。行ったが最後、ろくな目に遭わないはずだ。


「んじゃ、いただきます」

「いっただきまーす! 腹減ってるときに食うと美味さも増すよなぁ……」

「…あぁ、そうだな」

「なんだ? あんま美味そうじゃねぇけど、期待してた味じゃなかったか?」

「そういうわけじゃないんだが……」


 バクバクと勢いよく食べ始めた颯哉だったが、一口食べて首を傾げている拓也の姿が気にかかり箸を止めた。

 拓也自身、コンビニ弁当を食べてどこか違和感を感じているのは確かだったが、その違和感の正体がつかめない。

 以前は普通に食べていたものだし、その時には美味だと思って食していたというのに、どうして………。


(……あ、考えてみれば当然か)


 探り続けていれば、違和感にも合点がいった。

 数週間前までは当たり前のように食べていたものだったが、ここ最近は唯の手料理を口にしてきており、それに口が慣れているのだ。

 絶品と言って差し支えない彼女の料理を食べ続けてくれば、この弁当が味気なく感じてしまうのにも納得だ。


 一度引き上げられた生活水準に浸かってしまえば、それを戻すことは非常に困難だという話を聞いたことがあるが、今拓也が感じているのがまさにそれなんだろう。


「…いや、やっぱり美味いよ。ただ想像とは違ったってだけだ」

「そっか、そんな時もあるわな」


 拓也の返答に疑問も感じなかったようで、そのまま無言になって食事を再開する。

 かつては食べ慣れていたものに引っ掛かりを感じたことに少し残念な気分にもなるが、それ以上に嬉しい気持ちもあった。


 今となっては唯の料理を食べることが日常になっているのだと体が覚えていることが、拓也の変化を表しているようだった。

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